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自分を受け入れる

この週末は二晩夜更かしをして、只々疲れているということをnoteに書いていた。
今日は娘の習い事の待ち時間に、いつものドトールで短い時間だが本を読んだ。今年度の私の課題図書、ポール・ディックス『子どもは罰から学ばない』。

もう3回は通読しているので、大体覚えていると思い、開くのは気が進まなかった。一度見たものを繰り返し見ることはどうしても避けてしまう方だ。その癖内容はほとんど忘れてしまう。何故だかよく分からない。
案の定、読んでみればあぁそうだったと思うことばかり、忘れていることばかりだ。もう無理だと塞いでいた気持ちが少し前向きになる。これがあればまだやれる。やってみようかなと思える。
疲れるけど。

私がつらくなるのは、しんどいと思うのは、人が当たり前にやっているように見えることが、自分はすごく努力しないとできないことだ。
周りの人は、どうしたらいいか勉強しなくても人と接することができるし、毎週教育書を読み直さなくても指導ができるように見える。
私は、自分で見つけ出したあらゆるマニュアルをその都度読み込まないと仕事ができないし、同僚と仲良く付き合うことは全くお手上げなのでもはやしていない。自分の仕事を何とかやっていくことでいっぱいいっぱいで、人に興味をもって話を聞くことなどできないし、関係をつくりたくてもどうしていいのか分からない。
そういうことを人と比べだすとやるせなくなってしまう。
前向きなときは、これが自分だと諦めていると同時に、こうしてやってきた自分に誇りをもってもいるのだ。疲れてくるとさすがに難しい。

4月から使ってきた日報のノートがいっぱいになったので、新しいノートを用意した。最初のページに、今回読み直して大切だと思ったポール・ディックスの言葉を、前より詳細に書き写した。
本はこういう私に力をくれる。挑戦してみようかなという気持ちをくれる。一人ではないと思わせてくれる。
サラ・ヘンドリクスの著書に出てきたASDの女性たちも同じだった。私たちは、孤独な世界に自分なりの対処法を見つけて、自分なりに世界を、自分自身を愛しながら生きている。圧倒的に一人であることで私たちは似通っている。仲間を見つけることは難しいだろう。自分に対するこだわりがあまりにも強すぎる。それでも、自分が愛するもののために生きていくことはできる。
私は定型発達の世界の落ちこぼれや異端者として生きていかなくていい。ASD的人生を生きていくんだと、少しずつ受け入れていけると思う。


ASDの少女・女性の皆さんへ:あなたはありのままでいい。確かにあなたは少し変わっているけれど、そんなことはちっとも問題じゃない。自分が「女性」であるとあまり感じられなくたって大丈夫。ハンドバッグについてのあなたの意見も、まったくその通り。必要なのは一つだけ、リュックサックだ。そして絶対に絶対に、自分を定型発達の女子と比べるのはやめてほしい。彼女たちは異なる種族なのであり、自分が不適切で間違っていると感じるだけだ。仲間を見つけよう。ネットでも、同人誌即売会でもいい。あなたが思いのままに生きることを喜んでくれる人を見つけよう。そして、自分が思いのままに生きることを喜ばしく思おう。なぜならあなたは七〇歳になってもスケートボードをしていて、見た目も素敵になっているかもしれない。そのとき、気にしていたことがまったくどうでもいいことだったと気づくだろうから。

『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』サラ・ヘンドリックス


ハンドバッグのくだりは笑った。その通り。笑

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