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広い場所へ

春休みには、一緒にどこか出掛けられるように、休みをとっておいてねーと言った。
結局体調が悪かったりし、行きたいところも特に決まらないなぁと言っていた。
休みが始まって、どこ行こうかと言ったら、え、行くの。である。
いいよ、じゃあ。
以前の私ならここでパニックだ。
出掛けようって言ったのに、これだから、私ばっかりだ。呪いの言葉を吐いて暴れ回る。
しかし、私はこれでも成長しているのだ。
まぁ結局出掛けたがりなのは私だけであるし、二人ともが行きたい場所があるのではないのだから、そもそも行きたいわけでもないのに付き合ってもらうより、それぞれに行きたいところに行った方がお互いに幸せであることだろうよ、などと淡々と述べて自分を納得させ、危機を回避する。ではせめていつかチャンスがあったら飲みにでも行こうね、と落とし所としての希望を述べ、その場を終わりにする。
これでよい。二人で仲良く出掛けることもしないなんて?他人の価値観など糞食らえである。
自分が思っていたことができなかったとき、以前であれば本当に激しく泣いたり暴れたりした。
自分の自閉特性に気付くようになってから、これが見通しが崩れたことによる一時的なパニックだと気付いた。その瞬間は回避できないこともあるが、時間がたてば落ち着く。それが分かれば怖くはない。


結局、行きたかった場所に一人で行く。
そうできると分かればむしろ意気揚々である。

横浜に行くと、いつも都内で見ている景色がどれほど狭いかと思い、ため息が出る。景色の高さが違うのだ。
こういう場所にいることもできるのに、いつもは狭い場所にいる。狭くて人の多い場所。そうでない場所があると知るだけでもいい。それだけでもいいんだ。


横浜トリエンナーレが行われている美術館に入ると、とにかく気味が悪くて、一瞬来たことを後悔する。
現代美術はこれだから。
しかし見始めると面白くて、やっぱり好きだなと思う。何でも展示になり美術になるのだから笑える。ずっと笑って観ている。でも人と一緒に観る人の気が知れない。人と共有できる気はとてもしないが、それがいい。私一人で面白がっている。


象の鼻パークまで歩いて、海辺に座って大桟橋埠頭のスケッチをした。描くものがないのでお店の紙袋にボールペンで描いた。
最近の私は、アウトプットができるようになってきた。ずっと半信半疑で習ってきた絵がやっと、描けるようになってきたと思い、楽しいと思い始めている。ここに文章を書くこと、ごくたまに詩を書くこと、詩や文章を書き写すことを少しずつしている。
できないと思うこと、できなくなることは簡単だと知っている。うまくやろうと思うこと、意味がないと思うこと、時間や心の余裕がなくなることなどで、いつでも簡単に転びうる。
だから、やろうかなと思う心に急いで水をやり、そっと大切にする。数を増やし、ハードルを下げて、やってみた自分を歓迎してやる。それはとても大切なことだ。簡単に手放してはいけないことだ。

広い場所に行き、自分の心に水をやる。今日仕事をしている人のことがふと心にちらつく。これだから、休養することは難しい。自分は正しいことをしていると何回でも自分に言おう。


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