見出し画像

詩が与えてくれること

ある時テレビをつけると、大江健三郎が中学校で講演をしているものすごく古い映像が流れていたので、とりあえず録画をした。
大江健三郎に興味を持っている若い人は稀だろう。私は大江健三郎が好きだ。難解なものは読まないし人にお薦めもしないけど、エッセーやそれに近いような作品は読みやすく、そういうものを読んでいるととても親近感が湧いてくる。だからご本人が喋っている様子はぜひ見たいのだ。

その映像は80年代終わりに愛媛県の中学校で行われた授業で、微動だにしないでポカンと聞いている中学生と、ヤラセかと思うような笑える作文もあって、最初は半信半疑で観ていた。
大江さんはあくまで難しいことを言わず当たり前に文章を添削しながら、一見素朴な意見を伝えていく。
文章を書くということは、ゆっくり考えることであるという。また詩を覚えるときにも、書き写すことでリズムを感じ、覚えるのだと。
最後に独特の筆致で一つの詩を空書きする。それは中学生の作文から感じられた素朴な思いと通じている。郷土愛という単純な言葉では言い表せない、若い心の率直な感受性を描いた詩。
今日感じた思いは、これから何万日と生きていく中できっと忘れてしまうと思っていた。でも自分が思った、何気ないそのことはずっと残り続ける。文章を書くことでそれがより確かになっていく。
その通りなのだ。
詩を書くこと、文章を書くことで、消えていってしまう日常や思いがつなぎとめられる。残される。その時にしか残されえなかった形で。だから文章を書くことはつまらないことではない。大切なこと、貴重なことだ。


今日の帰り、最寄りのブックカフェに寄って哲学の棚の前の席に座ると、『時間は存在しない』という青い表紙の本が目に入って、2章ほど読んだ。
最近は仕事と関係のないジャンルの本も読むようにしている。難しいけど、知りたいことであれば面白い。
その本にも詩が出てきた。科学に大切なものも詩であるという。目に見えないものを見通すのが詩であるからだと。
目に見えないことをあらわす。そのことをもっと知りたいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?