疲れること
教師の仕事は、やるべきことが多すぎる。学ぶべきことが多すぎる。
例えば1、2冊の本を何度か通読して、これをバイブルにしてやっていこうと思うが、1ヶ月くらい実践をしていれば徐々に忘れていく。現場の習慣と日々の感情が、目指したい理念をすぐに上回ってしまう。6月がきついというのはそのためだ。理想は逃げていき、付け足す時間がなく、擦り切れ続けていく。
4月に一生懸命本を読んでから、もう2ヶ月も経ったのか。そうなるのも当たり前だ。
立ち止まる暇がないことはきつい。付け足さなければやっていけない。これだけ消耗するための蓄えをいつしておけというの?どうしたらそれほど聡明な教師になれる?根本を忘れない豊かなアイディアはどこから湧いてくる?
現実の子供と日々対峙しながら、私の与えられるものはどんどん減っていくとしか思えない。努力して蓄え直さないとやっていけない。もとのリソースが少なすぎる。そろそろ学び直さないといけない気がする。
この週末はやらなければならない仕事もなくのんびりと過ごせるけど、なぜか仕事のことが不安で落ち着かなくなっている。うまくいく見込みがないように思い、絶望的な気持ちになってしまう。
『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』という本を読んでいる。Amazonで見かけたときは、症状の強めの人のことが書いてあるのだろうも思い、失望すると嫌なので買わなかったが、本屋で手にとって読み始めた。
著者は大人になって支援者として働きながら診断を受けた人で、IQは高いが、道路を当てずっぽうで渡るところや、子育てに全く根拠をもてないところなど私とそっくりだ。
私も診断を受けるという道があるのだろうか?イギリスでも、女子の場合は自分で相当根拠を持ち出さないとまず難しいという。現実的ではないだろう。
でも、自分の特性を人に認めてもらえるとしたら心強いと思う。そうでなければ、やはり私の努力が足りないとか、思い違いだということになってしまう。むしろこれまでずっとそう思ってきたので、そうでないとしたら、私が人と違うからこういう人なのだとしたら、どんな世界が見えてくるだろう。気づかれないように生きることをやめられるだろうか?実は野球のルールがわからないと言っていいだろうか?いろいろなことにそもそも興味をもてない、あと子供が怖いと?本当は言いたいのだ。これでも生きていていいと言ってほしいのだ。
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