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ルビーの王さま

娘と寝る前に、少し長めのお話を読むようになった。
クマのプーさん、パディントン、ムーミンなど。
娘は自分で読むことには興味がないが、聞くことでほとんど話を理解して、かなりシュールなものでも楽しんでいる。
私は娘の歳の頃には自分で本を読んでいて、今も文章が大好きな生粋の視覚優位だが、この子は真逆の聴覚優位なのだと今更気付いた。
数日前に読んだ話の細部を驚くほど覚えている。私は目で見て読んでいても何も覚えていないのに。
これだから脳機能は不思議だ。


ムーミンのお話は初めて読んだ。『たのしいムーミン一家』という本だ。
ムーミン一家というのはめちゃくちゃ謎で、どこまでが「一家」なのか全く分からない変な生き物たちが、特に説明もなく一緒に暮らしている。
他に読んでいた児童書と比べて、一話完結の話でもなく、一冊を通して伏線を回収する物語になっているのも新鮮だった。

飛行おにが落とした魔法の帽子を見つけたところから物語が始まり、トフスランとビフスランという突然現れた怪しげな夫婦?が鍵となって、最後には飛行おにがムーミン一家の前に姿を現す。
飛行おにが求め、ビフスラン夫婦が隠していたルビーの王さまと言われる宝石は、見るとその人の人生の一番素晴らしい時を思い出すという。
人生の一番すばらしい時とは、自分にとって特別な友達と夜中にした散歩であるとか、一人静かな場所で安心しきった気持ちでうたた寝をした時や、海辺で素晴らしいものを見つけた時であったりする。

恐ろしげな姿をした飛行おには、探し続けていたルビーを前にしても無理やり奪おうとはせず、なぜか皆の願いをなんでも一つ叶えてくれるという。
なんでも一つ願いが叶うとしたら、何を願うか。飛行おに優しかったね、なんで優しかったの?と言いながら、娘はしばらくそのことを話していた。
私もそのことが頭から離れなかった。飛行おにはなぜそんなに優しいのだろう。ママは何をお願いする?と何度か聞かれても、答えることはできなかった。


何でも一つ願いが叶うとしたら、自分が自閉症でなかったらいいのに、と正直思ってしまった。
定型発達であったらいいのに、と意外と思っているんだな、と。
ムーミンたちの願いはとても素直で素朴だ。一人旅立った友達にごちそうののったテーブルを届けることや、大切な人の心から悲しみがなくなること。
本当にその通りだと思う。私たちが願いたいことは結局、誰かと共に生きたいということだけのような気がする。そうでなければどんな願いも大して意味をもたないのかもしれない。
ムーミンの物語には、一人一人が生きている中での自然な願いや思いが素直に、そのままに描かれている。家族とか恋人とか友達などの関係性を決めることもなしに。
娘の生活も同じだと思う。誰かと共に生活する中で、楽しかったり悲しかったり、悔しかったり誇らしかったりする気持ちを、子どもは素直に感じている。それはとても尊いことだし、人間の本質であるような気がする。


仕事が忙しいと、頭の中が騒がしくなり、うまく眠ることができない。恥や失敗を思い出してうめき声が出たり独り言を言ったりする。
私の脳機能は面倒だ。
そういう自分を気味が悪いと思い余計悪循環に陥る。他人の入る余地がなくなってくる。私がやっていける世の中ではないような気がする。
本当は私だって誰かといたいのに。大切な人といる時を大切にしたいのに。
私は私なりに、誰かといるために、人の中で生きていくために一生懸命やっているとも言える。
苦しくても私にも願いがある。その願いは定型でも発達でも変わらないような気がする。


連休で久しぶりに一息つくことができた。

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