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ただじっと、耐える、見つめる。無為の作法で変化を起こす「ネガティブ・ケイパビリティ」の大切さ。

何かしなくては。

コロナ禍による社会の大きな変化の中で、そんなふうに焦燥感を抱いている人も多いと思う。僕自身、ここ1年くらいずっと同じようなことを思っている。もちろん何もやっていないわけではなないけれど、自分のやっていることに100%の自信があるかと言えば、決してそんなことはない。常に手探り、暗中模索の日々が続いている。

動き出さなくちゃ始まらない。行動こそが全てだ。そこに異論はない。

だけど一方で、性急な行動と判断、問題(と思われる事柄)の解決が、かえって大切なものを見えなくさせることもあるんじゃないだろうか。絡まった糸を焦って解こうとして、余計にこんがらがってしまうように。いまの世の中は、まさにそんな感じに見える。

僕らは新しい未来を創造するために、行為="する"の論理だけではない、別のモードを持つべきなのではないだろうか?

そんな問いへの答えをくれたのが、無為="しない"の作法、「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念だ。

ネガティブ・ケイパビリティとは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」、あるいは「性急に証明を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」のことをいう。

18世紀後半〜19世紀初頭に活躍したイギリスの詩人・キーツが兄弟に宛てた手紙の中で記した概念で、シェイクスピアを引き合いに出しながら、詩人に必要な能力として語られている。

なぜ、単に耐えることが「能力」と言えるのか。ここに僕らの認識の大きな落とし穴があると著者は語る。

 目の前に、わけの分からないもの、不可思議なもの嫌なものが放置されていると、脳は落ち着かず、及び腰になります。そうした困惑状態を回避しようとして、脳は当面している事象に、とりあえず意味づけをし、何とか「分かろう」とします。
(中略)
ここには大きな落とし穴があります。「分かった」つもりの理解が、ごく低い次元にとどまってしまい、より高い次元まで発展しないのです。まして理解が誤っていれば、悲劇はさらに深刻になります。
私たちは「能力」と言えば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育が普段に追求し、目的としているのもこの能力です。問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。

僕たちの脳は"分からない"に耐えられない。だから、性急に未知を分解し、理解し、対処・解決する力が求められる。この能力のことを、本書ではポジティブ・ケイパビリティと称している。人類はこの優れた解決能力のおかげで発展してきたわけだが、複雑化する現代社会では、一つの対処では根本的な問題解決がなされないばかりか、かえって別の問題を発生させることもある。わかりやすい解決に飛びつくポジティブ・ケイパビリティが、事態をどんどん悪化させていく。

この負の連鎖を断ち切るためには、別の「能力」が要る。それが、ネガティブ・ケイパビリティなのだ。不確実な状況の只中で立ち止まり、耐え、深く物事を見つめる。そうすることで、ようやく物事の本質にたどり着くことができる。「行為」ではなく、あえて「無為」を為す能力が、事態を好転させる鍵になり得るのだ。

個人のキャリアにとっても、ネガティブ・ケイパビリティは大切な考え方だと思う。ともすれば僕らは、働き方を変えるために何か事を起こさねばと考える。冒頭で書いたように、僕自身もそんな衝動に駆られるときがある。転職や起業、複業、あるいは地方移住、二拠点生活。多様な生き方を選択できる社会に変わりつつあるのは素敵なことだが、それらは本当にあなたの人生を豊かにしてくるものだろうか?安易な解決策に飛びついてはいないだろうか?もし迷いがあるようなら、一度深く深く自分自身の中にダイブしてみると良いだろう。そこは間違いなく居心地が悪い。けれど、潜り進んでいった先の水底に、光る何かがあなたを待っているかもしれない。

結局は、ポジティブ・ケイパビリティとネガティブ・ケイパビリティのバランスが大切なんだと思う。一歩進むための力、一度立ち止まるための力。二つが補いあって、初めて人はより良い選択をすることができる。いま問題なのは、社会全体が前者に偏り過ぎているということだ。その背後には、自立した個人を前提とする、行き過ぎた市場原理が存在している。より多く・より早くという価値観が僕らから立ち止まる力を奪い、人生の判断を歪めている。

これは、芸術がなぜ必要なのか?という問いの答えにも繋がると思っていて。音楽も映画も絵画も、わかる/わからない、役に立つ/役に立たないというポジティブ・ケイパビリティ的な二元論の尺度を超えた領域にある。芸術が教えてくれるのは、まさにネガティブ・ケイパビリティの重要性なのだ。理解の範疇を超えたものを前にして、いかにその状態と"共に在る"か。その先に待つ、自分と世界との深い対話こそが、真の現実を変える原動力になっていく。文化芸術を不要不急と言い捨てる僕らの国に圧倒的に足りないのは、この眼差しなんじゃないだろうか。

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【参考】
こちらの本でもネガティブ・ケイパビリティが取り上げられているので、ご興味ありましたらぜひ。先述の本より、もう少しビジネス・自己啓発寄りの内容になっています。


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