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Under Their Thumb          - Revisited May, 2024

ローリング・ストーンズを追い続けた日々を綴った、腹を抱え、ときに胸を締めつけられる青春ノンフィクション『アンダー・ゼア・サム』。その舞台を訪ねた2024年の旅を、24枚の写真と文章で綴ります。
ちなみに、『アンダー・ゼア・サム』はこちら ☟


[1] 2024年5月22日、ついに訳書『アンダー・ゼア・サム』の著者ビル・ジャーマンくんとマンハッタンでご対面したのは既にフェイスブックなどでご報告した通りだ。落ち合ったのは西79丁目の駅を出たところ。83年9月28日にも、ファンジンをしこしこと作り続けていた弱冠21歳のジャーマンくんがここに立っていた。あのローリング・ストーンズのミックを取材したからだ。

2024年のこの日は、訳書にも登場する井戸端ゼイバーズや、ジャーマンくんの著書も棚にある大手書店Barnes & Nobleに寄ってからこの☟旧ミック邸へ。女子校だった隣家は今や共学で、旧ミック邸もその一部となっていた。かつてジャーマンくんは、ここでミックがメイドに成りすますのを目の当たりにし、絨毯にオレンジジュースをこぼしてしまうのだが。
詳しくは『アンダー・ゼア・サム』で👍


[2] ミック邸から角を曲がれば、そこはゆったりとしたリバーサイド・ドライブ。緑地越しにハドソン川へ出て散歩した。「ここで大勢がのどかに船上生活してたのに」といぶかしげなジャーマンくん。あとでググったら、マリーナ改装のために一時的に退去させられてたみたい。

[3] しかし83年のジャーマンくんに散歩の余裕はなかった。『アンダー・ゼア・サム』にもある通り、カセットテープを買い足して、キースの取材場所へ急ぐ必要があったからだ。そしてミックの勧めでそのカセットを買ったのが、先ほど落ち合った79丁目駅を出たところに今もあるニューススタンドだった。あいにくと本日は休業中。

[4] ランチはAmsterdam Ale Houseで。ブルックリンのクラフトビール2種で乾杯し、サツマイモのフレンチフライに舌鼓を打った。
実はここ、あのビーコン・シアターの目と鼻の先なのだ。イベントの終演後にジャーマンくんがここで食事をしていたら、スティーヴ・ジョーダンやワディ・ワクテルが入ってきたこともあったのだとか!

[5] というわけでビーコンへ。一応、☟こちらが表側。

[6] でもジャーマンくんにとって思い出深いのはこの☟楽屋口だろう。特に85年10月18日、彼はボビー・ウーマックを含む総勢約20名でぞろぞろと、ここからロニー・ウッド邸に歩いていったのだった。そのスキャンダラスな後日談が、ジャーマンくんのキャリアを開花させた。詳しくは『アンダー・ゼア・サム』で👍 ちなみに、当時はなかったホテルが今は併設されている。

[7] そのウッド邸がここ☟ ウッド家はもういないが、1階が改装中なのは今も建物が大切にされている証か。
ミックやロニーが暮らしたアッパー・ウェストは高級住宅街といえども、こうした古い建物にはエレベーターもガレージもない。すでに欧州で広大な古城を買うほどになっていたストーンズが、NYではサッと歩道に出て、ジャーマンくんのような庶民と触れ合う暮らしを敢えて堪能していたのだ。この玄関に現れた面々、ノン薬なジャーマンくんが地下室で体験した謎の出来事、今は赤い車がある位置に仮置きされた大型ゴミ箱については『アンダー・ゼア・サム』で👍

[8] ジャーマンくんによる2024年の特製ツアーは、ダコタハウスからも見下ろせるストロベリーヒルズで幕を閉じた。80年12月8日、ジャーマンくんもいたたまれなくてここに(ブルックリンから?)駆けつけたらしい。
銃社会とか言われる米国だけど、日本が多様であるように、ジャーマンくんが知る人に銃を持つ者はいない。近年では常に、誰かしらが平和のために音楽を演奏している広場には、名物ファンも集まるのだとか。アルゼンチン人ミュージシャンの演奏に心溶かし、セントラルパークの木陰に癒された。明日はストーンズのコンサート日。

[9] 2024年5月23日午前5時、ホテルの部屋から見る朝焼け ☟

[10] 2024年5月23日午前10時、ホテルの部屋から見る豪雨!

[11] でも20分で晴れて、ジャーマンくんが紹介してくれたお友達との集合場所Mustang Harry'sへ。巨大なカリフラワーを食べたあとは、Penn駅からNJ Transitの列車(62歳から敬老割引!)でハドソン川をくぐり、Secaucus駅からUberで会場へ。と思いきや、会場近くのモールで降ろされちゃうし、とにかくわかりにくいし大混乱! 初めはバスで行くつもりだったけど、バスはもっと大変らしい!
それにしても、訳者だと自己紹介したら「AI翻訳の時代到来はまだまだだね」と言われたの嬉しかったけど、「特に『アンダー・ゼア・サム』はAIには無理」と答えたら、原書読んだ人らが一斉に同意したのウケた👍

[12] 10歳でストーンズの魔力にかかった時、私は米国パサデナ市で4年半の素晴らしき日々を送っていた。だから、ストーンズをパサデナで絶対観たかった。その2019年パサデナ公演で出会ったのが日本語ペラペラのラリーさんだ。これ ☟ がその時の写真。
ラリーさんは、こういう方法か、格安ペア型抽選券であるラッキーディップ券(ちゃんとした公式のチケットであり転売品や無料券ではありません)でしかストーンズを観ない。チケットマスターの独禁法違反的な商法には屈しないのだ。今回もラッキーディップを疾風のワザで何公演分もゲットして「チケットあるけど、どこ行きたい?」と誘ってくれた。私はもちろん「NY」と答えた。ビル・ジャーマンくんに会えるからだ。

[13] そしてこの日にラリーさんが当てた席がここ☟ だった! 嬉しくて騒いでたら、日本から来ていた見知らぬ読者さんに声をかけられた! ローリング・ストーンズ、『アンダー・ゼア・サム』、ラリーさん、人を繋げてくれてありがとう!

[14] 昨夜は結局、へルズキッチンを歩いてホテルに着いたのが午前2時だったから、この日は遅めに出かけた。まず向かったのが2番街と89丁目の角。このすぐそばにジャーマンくんが83年6月から何年も暮らしたおんぼろアパートがある。『アンダー・ゼア・サム』の主な拠点となった場所だ。
当時あったセレブ御用達レストランElaine'sは写真の左端? いずれにしても、老舗食堂Midnight Expressは角にご健在。

[15] 2024年バレンタインデーの本人フェイスブック投稿によると、ジャーマンくんはいつもこのMidnight Express食堂でスクランブルエッグとポテトとトーストを食べていた。理由は安かったからだ。私は間違えてベーコンを注文しちゃったけど激ウマだった! 今はさまざまな国から来たおじさんたちが、このこじんまりとした食堂を切り盛りして、オシャレなお兄さんたちをもてなしている。

[16] ジャーマンくんから聞いていた住所の前を通ると、たまたま扉が開いていた。この通路を突き当たって曲がって自宅に入っていたらしい。つまりは建物の裏側だ。日当たりは相当悪かったんじゃ? どうりで風呂場の天井が……。詳しくは『アンダー・ゼア・サム』で👍

[17] しかし狭いアパートでルームシェアはキツかったろうと思いきや、それどころじゃなかったのが19世紀末のユダヤ系移民だ。郷土資料館好きな私にジャーマンくんが薦めてくれたのがTenement Museum。これがメチャ面白かった。ストーンズ・ファンならまずイーディス・グローヴの模型を思い出すだろうが、こちらは本物の住居を保存している。なのでガイドと一緒じゃないと回れない。
今回のガイドは「It's crazy!」が口癖のひょうきんなお兄さんで、現代の基準では常軌を逸している当時の劣悪な生活環境を解説してくれた。こうした移民によって、米国の衣服の大半が当時のNYで作られていたという。ちなみに私の曾祖父は絹商人として日本と西海岸を行き来していた。つまり、全米を膨大な量の繊維が東へ西へと移動を繰り返しては、低賃金の一端を担っていたことになる。それでも彼らは幸せを見出していた。そして、これって本当に現代では考えられないんだろうか?
聞けば、ジャーマンくんの先祖もこの時代に移民して、服職業に就いていたらしい。

[18] てっきりジャーマンくんとはもう会えないかと思っていたら、ディナーに誘ってくれた。山の手では本格的ユダヤ系デリの廃業が続くが、ロウアー・イーストには超老舗Katz'sがある。ただし、常に混雑しているのがネック。ちょっと浅草を思い出す感じ? ジャーマンくんのご両親も長くこんな食堂で働いていた。詳しくは……ま、そういうことで👍

[19] そしてこのKatz'sで私は、ジャーマンくんの長年の恋人で『アンダー・ゼア・サム』のペーパーバック版でもフィーチャーされているサリさんに会えた! 瞳が美しいナチュラル・ウーマンだ💗 "恋人たちの予感"にあてられながら、激ジューシーなパストラミや、ギッシリ詰まったサモサのようなクニッシュや、ハーブがきいた浅漬けキュウリがおいしくて、思わずイッちゃったフリしそうになったよ😉

[20] ストーンズ・ファンクラブShidoobeeのオフ会会場は、そこから数歩のクラブBerlin。ストーンズ・ファンはもとよりジャーマンくんファンも世界中から集まるなか、日本版『アンダー・ゼア・サム』もお見せして「あ、ふつーに縦にして読むのよ」なんて教えたら異常にウケた。

[21] これで訳書『アンダー・ゼア・サム』にサインが揃った。ちょっと視界、ぼやける。

[22] 帰国日前の最終日、生まれて初めてブルックリンに行けた。
申し込んであった食べ歩きツアーで立ち寄ったのは TALEA, Bien Cuit, Paisanos Butcher Shop, One Girl Cookies, Shelsky's, Damascus Pita & Pastry Shop, Sahadi's, Table 87, The Chocolate Room などなど。そして、この日着たTシャツはもちろん「Beggars Banquet」👍

[23] その後、独りでブルックリン橋を渡ることに。ただ、誰もが「あの橋、歩いて渡れるよ」とは言うのだが、誰もその道順を正確に教えられない。何人もの人に聞いて広大な範囲を右往左往した末に渡りきったあとで、実は朝一番に撮った写真に標識があったことに気づいた。141歳を迎えたこの橋は長い歴史の中で、何人もの事故死や自殺を招き、誰も渡らない時期も経て賑わうまでになったそうだ。それってまるで『アンダー・ゼア・サム』?

[24] メモリアルデーの連休でNYCの地下鉄は不通が続出。そもそも職員がいない。幸い、ホームで見守るNYPDの懇切丁寧な案内で、Howard Beach経由JFKへ。
さて、ここで読者諸君は「作家の生家へは行かないの?」とお思いだろう。実は何度となく行こうとしたのだ。でも聞けど答はきまって「遠くて退屈だからやめとけ」(byジャーマンくん)か、「馴染みのない住所だから行き方わからん」(by数々のガイド)のどちらかだった。敦賀市ほどではないが八王子市よりも広いブルックリンの最もマンハッタンから遠い部類の場所に、今は「泣いて帰るわけにはいかない」ジャーマンくんが83年6月まで暮らした地域はある。ストリートビューから察するに、そこはどちらかというと、こんなのどかな町だったのではなかろうか。
いずれにしても、ジャーマンくんのふるさとはいつだって New York, New York ニューヨーク州ニューヨーク市だ。

Barnes & Noble 82nd & Broadway
West Bank Cafe 舞台俳優さんらが出入りする
Brooklyn Bridge
Brooklyn Bridge 「ひとりで悩まないで」
World Trade Center メンテのため片方のプールは水を止めてあった
JFKでアーティチョークディップ
ポケモンジェットだぜ
Shelsky's ベーグルを美味しくするのはNYの良質な水道水
Katz's
Katz's とにかく並ぶが、待ってるあいだにパストラミを味見させてくれる
Katz's セロリのソーダ、おいしい!
Katz's 「にいさん、一度に注文してくんないとあっちまで歩く羽目になんだろ」
Katz's
Tenement Museum 膨大な数の移民が1つの部屋に住んでいた
ジャーマンくんがかつて暮らしたボロアパート近くの地下鉄駅
ジャーマンくんがかつて暮らしたボロアパート近くのバースデーボーイ
当たり券と往復券
Larryの背中
ホテルからNJ行きの列車が出る駅へ向かう道
Times Square チップを事前に乞うのは良心的とも言える
もうすぐJFK
MSG いつかここでストーンズを観たい
Times Squareの手前
カリフラワー食べるだけで精一杯でパスタ残した ゴメン
Pod Times Squareの宿泊客が無料で参加できるツアー
スタジアムは意外と遠かった、けど楽しかった❗

[おまけ]
iPhone によりますと、私が歩いた距離は
2km (1.24 miles) on May21
16.7km (10.38 miles) on May22
13.4km (8.33 miles) on May23
12.8km (7.95 miles) on May24
16.5km (10.25 miles) on May25
14.5km (9 miles) on May26
3.4km (2.11 miles) on May27

どんだけ歩いとんだ、ヴァシ!


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