「すばらしき」世界

映画を観終わったとき、タイトルの解釈を悩んでしまう映画がすごく好き。

「すばらしい」って何?純粋にすばらしいと捉えていいの?それとも皮肉なの?
タイトルに立ち返るのがすごく好き。

映画「すばらしき世界」では、殺人を犯し服役していた男・三上が出所し、社会復帰していく姿を描く。
曲がったことが許せず、悪事を働く人にはすぐに手をあげるほど真っ直ぐすぎる三上は、周りの優しい人々に支えられながら、徐々に「社会の暗黙のルール」を知る。スルースキルや愛想笑いを身につけて、現代社会に適応していく。

私がこの映画を観終わった時、頭にはひとつの曲があった。

SEKAI NO OWARI 「LOVE SONG」である。

いつだって時間はそう
僕達を楽にさせて
少しずつ麻痺させて
最高な大人にしてくれる

いつだって時間はそう
諦めを教えてくれる
君達をいずれ
素晴らしい人にしてくれる

私なりの解釈では、この曲の「最高」とは、「素晴らしい」とは、「社会に溶け込む『普通』がわかる常識人」みたいなイメージがある。
さらに曲はこう続く。

Hey Kid
I'm from your future
“Nice people make the world boring”

考えてみる。
映画「すばらしき世界」における、
「すばらしい」とはなんだろう。

もちろん純粋に良い意味で捉えることも出来る。
作中に出てくる、三上を支える周りの人間たち。「空が広い」と教えてくれる人。新しい選択肢を提示してくれる人。全力で喜んでくれる人。
「犯罪を犯す」という現代社会のレールから外れることをした人を、偏見なく支えていく。そんな人がいる世界は、間違いなくあたたかく、「すばらしき世界」である。

でも私はそれだけでは無いと思った。それが「LOVE SONG」にも出てくる皮肉を使った表現での解釈である。
いじめともとれる言動を受け流して笑う。
街中で絡まれている人がいても見て見ぬふりをする。
自分が何かをすれば助けられるかもしれない「誰か」に関心を持たない。
使うエネルギーを節約して、無駄なことは考えずに生きていく。
そうやって誰もが都合よく生きて出来上がった世界。
真っ直ぐすぎる三上が、その全てを封印しなければ生きていけない世界。
それがあなた達の作り上げた、「すばらしき世界」なのだ。
と、突きつけられた気がした。

それなら私には何ができる?
残念ながら、三上のように全てに全力で向き合ってしまうと、やはり「犯罪者」になるし、その勇気もない。
もっと他の方法で向き合わなければならない。

大学生の今なら「勉強」ができる。いろんな世界を知って、今までの自分が関心を持ってこなかった問題や存在を知る。何も行動が起こせなくても、知ることには意味がある。

それから、映画に出てきた「三上の周囲の人」にもなれる。全力で応援し、全力でサポートする。一緒に考えて、アイデアを持ち寄って。

「すばらしき世界」を壊せるのは「関心」である。
すばらしき世界をより素晴らしくするために、
少しずつ、無視していたものに向き合っていこう。
そんなことを思わされた映画だった。

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