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『バケモノの子』から見える「人間の闇」

細田守監督の最新作『竜とそばかすの姫』公開直前企画として先日、日テレ系『金曜ロードショー』で放映された『バケモノの子』。人間界からバケモノが生きる街「渋天街(じゅうてんがい)」に迷い込んだ少年九太(本名は蓮)と渋天街で生きるバケモノ熊徹が修行を通じて重ねる友情や成長が物語の主軸だ。
見るのは2度目だが、今回九太と一郎彦が抱える「人間の闇」が形となって描かれているところが自分の境遇と共通していて、感銘を受けた。
今回はネタバレ込みで「人間の闇」をテーマに、闇と向き合うことで大事なことを綴る。

闇の力

猪の顔をしたバケモノ「猪王山(いおうぜん)」の長男である「一郎彦」。前半では父親のような強く品格のある凛とした優等生として描かれていた。しかし、後半になると闇が姿を表し全く違う表情が描かれている。彼も九太と同じく人間であり、捨て子だった一郎彦を猪王山の養子に迎えた。しかし、親や弟の二郎丸と違う風貌に違和感を示し、猪王山になぜ牙が生えず、鼻が伸びないのか問うものの、「いつかそうなる」などと小さく嘘をついてしまったことがコンプレックスとなり、大きな闇と化し、念力となった。その後、人間らしく振る舞う九太への嫉妬心から熊徹や人間界に危害を加えてしまうことになる。
九太も両親の離婚や引き取られた親戚への嫌気、自分が何者なのか分からないことで同じような闇の力が身に付いた。ただ、九太の場合は、人間界で出会った女子高生楓に勇気付けられたこと、一郎彦への反撃の際に思い止まったことや仲間の救いの手によって危害を加えるまでには至らなかった。

僕の闇

見ていて、自分自身も一郎彦や九太とは違う形だが、大きな闇を抱え、それを吐き出しきれないこと、弱音を吐きたくても吐けないこと、言っても軽くあしらわれる、否定されたりしてきた。過去にぶっちゃけてきたから改めて綴らない。詳しくはこちらのマガジンで。

闇はみんな抱えてる。

闇は否定すべきものでないし、人間ならみんな抱えていて当たり前のようにも感じる。否定してしまうと暴走のきっかけになりかねないし、軽く見ていても、実は大きなものになっていたりもする。
勉強ができない、学歴至上主義、人間関係のもつれ、壮絶ないじめ、恋愛、毒親、自身の生い立ち、LGBTQのカミングアウトやそれらをアウティングされた、性のこと、SNS、マウンティングなどなど。上げたこと以上にいくらでも多様な闇が存在する。
全てを肯定するにはなかなかエネルギーがいるかもしれないし、現に元友人1人に抱え込みを酷くして「僕の人生では必要ない」と絶交宣告してしまったりしている。でも、僕が持つ「優しさ」「言葉と伝えることの大切さ」「余裕」と相手の人間性に良いフィーリングを感じられればいくらでも心の底から救いたいと思うし、その余地はある。そういう良い人を潰すなんてもったいないし。

今回は映画『バケモノの子』を交えて「人間の闇」をテーマに綴ってきました。なかなかセンシティブなことですから、どこまで支持されるか分かりません。ただ、人間は悩む生き物、闇を抱えない人はいないと断言できるかと思います。その上で闇と向き合い、この人といたら自分らしくいれる、自分を強くさせてくれる人に闇を打ち明けるのがいいと思います。九太は楓という自分を強くさせる存在に確信を感じていたぐらいですから。僕自身もそうやって、闇に向き合い、強くさせる存在を見つけて成長していきたいと思います。そう思うと、noteというこの場もそういう存在だと思いますね。

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