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不器用物語~シベリアンハスキーと呼ばれて~

「うぇ~コイツの声、男みてぇ!」

私が小学校に入学したての頃、全く初対面のたまたま前の席になった男子Oの開口一番がこのセリフでした。

ピカピカの小学一年生の私は、内気で小心者だったので言い返す事もできず、その言葉を全身で受け止めて深く傷つきました。

今になって思えば、小学生に上がりたての子供の頃の話ですから「男みてぇ」って言うか、逆に男子の方がみんな声変わり前で女子みたいな声で喋っていたわけで、私に罪はないだろうという話なのですが、当時は声変わりとか言う事も知らない子供で、自分の声のトーンが普通の女子よりも低いという自覚はありましたので、ただ傷ついたのです。

当時の私に

「お前の声が女みたいに甲高いんだよ💢」

と言えるだけの知識と度胸があれば!!くぅ~無念。

初対面の相手にそんな事を言われた事がホントにショックで、それ以降、自分の声のトーンより高めの声で喋るクセがつきました。

こんなアラフィフになっても、まだあの時の衝撃は鮮烈に残っています。
この男子Oは、この無礼千万な第一声から始まり、それからも授業中に振り返っては私をネチネチいじめました。

これも今思えば、女のように、オバハンのように細かい事でネチネチと嫌味を言うのです。だから私の中ではいじめっ子のOとして、できるだけ近寄りたくないクラスメートNo.1でした。席替えでOと離れた時はすごい解放感さえ感じました。

でもそんな低音でカスカスなしゃがれ声の私は、歌を歌う事が本当に好きでした。リズム感も音程も自分では悪くないと思っていました。でも問題はキーが低く高い音が出せない事と、しゃがれ声だから低い音が人以上に出せるという事もありませんでした。

私の小学校では、給食時間になると歌自慢の生徒が放送室から得意な歌をアカペラで歌って全校生徒に聞かせるという毎日のイベントがありました。私も「ドラえもんの歌とか3題目まで空で歌えるのにな~」と思いながらも、恥ずかしくて一歩が踏み出せないまま小学校を卒業したのでした。

 私の声は、中学に上がっても依然として低いままで、当時は発声法もわかっていませんから、そのありのままのボワっとしたカスカスの声で「声を張る」という事がどういう事なのか、さっぱりわかっていませんでした。


出る音=出せる音


声を出すという事は、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。すると、一般女子よりも低いトーンで低いキーの私には、色んな歌が歌えませんでした。

今もあるのかわかりませんが、当時は音楽で歌のテストと言うのがあって、クラス30数名が全員、一人ずつ順番に前に出て、音楽の先生が弾くピアノに合わせて課題曲を歌うのです。

その時の課題曲は「春の小川」でした。

私は歌い出しの「は~あ~るのお~が~わはサラサラ行~く~よ♪(ミソラソミソドドララソミドレミ)」という、このフレーズの音さえキーが高すぎて声が出せませんでした。

しかも私は大の上がり症でした。若ければ若い程、私は色々な事が人並みにできない子でしたが、とても真面目な生徒でした。ちゃらけたりふざけたりできるような度胸も才覚もなかったのです。

私は家で真面目に歌の練習をして臨みました。ただ、中2で元々低かった声が更に声変わり中で、普段より輪をかけて声が出にくい時期でした。

テストで歌う順番が回ってきたとき、私は緊張で足がガクガク震えました。

先生が入りやすいように一小節だけ前奏を弾いてくれます。

一番最初の「は」の音が、緊張で声がかすれて出ませんでした。

そして一番最初の音が発声できなかった事に自分で驚いて、すっかり舞い上がってしまい、益々喉がカラカラになりその後の音も全く歌えませんでした。

そしてピアノだけが肩透かしを喰らわされたように、空振りで鳴り響きました。先生は「やり直し」と言う代わりにそのまま再び一小節だけの前奏を弾いてくださったのですが、私はすっかり委縮してしまって、二回目は完全に歌う事すら放棄して、そこで立ちすくんでしまいました。

すると先生は私に弁解の余地も与えずに、

「ふっ、・・ざけんな!」

とブチ切れて髪を振り乱しながら大声で私を怒鳴りつけると、楽譜を地面に力いっぱい叩きつけました。その先生は吹奏楽部の顧問で、演奏がまずいとすぐにブチ切れてヤクザみたいに口汚く怒鳴る事から、吹奏楽部の生徒がよく泣きながら練習していると「怖い事で有名な」先生でした。(吹奏楽部は結構大きな大会にまで進み好成績を出していたと思います。)

先生や母親が怖くて、普段から怒られないように怒られないようにふるまっていた私は、そこで初めて「先生から怒鳴りつけられ」、怖くて泣きそうになりました。でも、こんな状況でたとえもう一度チャンスを貰っても益々声など出る訳がありません。私は泣きそうになる自分を抑えつけて、極力無表情で通しました(←意地の張り方、完全に間違っとる・・)

それで完全に私が「反抗的な態度」と取った先生は「歌う気がないならもう下がれ!」と怒鳴りつけて次の生徒を呼びました。

私は普段の私の授業の態度とかをちゃんと見ていれば、真面目な生徒か反抗的な生徒かくらいはわかってもいいのじゃないか、と思ったり、音楽の先生なら、プロなんだからこのくらいの年齢の生徒が声変わりだという事くらい見当つけられて当然じゃないか、とか色んな思いがぐちゃぐちゃと頭を巡りましたが、反論するだけの甲斐性も弁論力もなく、そのままテストをぶっちぎった女になりました。

私の声は、中学の時点で電話に出ると誰もが母と間違う低くてしゃがれた声でした。音域以前に声が遠くまで通らないのです。

でも、小学校でも中学校でも合唱コンクールなど、声の出し方から練習する機会はいっぱいありましたし、何より私には歌いたい歌がありました

そう、私の敬愛してやまない聖飢魔Ⅱです。

ボーカルのデーモン小暮閣下は、ソロアルバムで「好色萬声男(こうしょくよろずごえおとこ)」というアルバムも出していらっしゃるほど、低音から高音、シャウトまで自由自在に操るスペシャルなボーカリストです。

音域の広さ、声量、に加え、急にオクターブ切り替わり、高音シャウトに持って行くテクニックにシビれ、私もこういう風に歌を歌えるようになりたいと強く思いました。(←出たよ、もはや恒例とも言える「この音を出せるようになりたい」という執念・・)

このデーモン小暮閣下の人並み外れた(←悪魔だから)歌唱テクをどうぞご堪能下さい。

かくして私は、聖飢魔Ⅱの歌を歌いに歌って、歌えない所を何度も何度も音域を切り拓くかのように練習して、声は似せようがありませんが、閣下の歌い回し、テク、息継ぎ、シャウト、セリフ全てを真似して歌い続けました。

高校に入り完全に声変わりも終わり、やはり高音域になると声が枯れて出なかったり、無理やり高い音を出すと声が割れる為、軽音楽部の友達はそんな老婆声の私を揶揄して、痺れるようなハスキーボイス「シベリアンハスキー」と名付けたのです。

私は高い音も楽々出せる澄んだ声の友達が羨ましくてたまりませんでしたが、そんな私にある変化が訪れます。 続く


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