次男は2年間の不登校を経て、中学から学校へ復帰した。 幸いなことに、次男が行った中学には、同じ小学校から5人しか来ていなかった。 次男にとっては、心機一転やり直すチャンスだった。 そして、2つ年上の兄が同じ中学ということもあり、母親としてはかなり安心できた。 だけど、学校生活というのはなんの問題のない子でもなかなかハードで 2年間のブランクがある次男にとってはもちろんとてもハードだったに違いない。 しかも、次男はサッカー部へ入部した為、6時間の授業に加え、部活動が
次男の不登校も2年目に突入したが、私も次男もこの生活に慣れ 割とマイペースにやっていた。 もちろん、常に次男が家にいるというのは私にとっては今までと違う状況なので 大なり小なりストレスはあったと思う。 遊んでばかりだと気になるし、かと言って元気が無いのも心配になる。 どんな状態でも受け入れようも思いながらも 私は次男の状態にかなり振り回されていたと思う。 次男は5年生の大きな行事にはもちろん出ず、 6年生の修学旅行も行かず、運動会も出なかった。 そして、卒業
話は少し前後するんだけど、 離婚して、元夫と1度だけ金銭的なことで揉めそうになったことがある。
事故にあって数ヶ月はほぼ寝たきりと通院だけの生活だったけど、 次男が6年生になる春休みには、また別のサッカー教室のイベントへ連れて行ったりした。 私の体調は決して万全ではなかったけど、次男の生活に新しい空気をいつも入れたかった。 次男はそこのサッカー教室を気に入ったので、学校のサッカー、フットサルに加えて サッカー教室にも申し込むことになった。 今考えたらとてもハードな生活だったけど、 学校に行かない次男が、知らない人と関わる貴重な時間だったので 家から少し遠く
ここに越してから、定期的に私の頭を悩ませていたのがこのご近所問題。 子供がいるからと低姿勢で生きてきたけど、あまりに執着されていて、 こっちもノイローゼになりそうだった。 棒通販会社の誤配達から、オジサンのターゲットは私から子供たちに変わっていた。 たまたま、長男の部屋とオジサンのベランダの位置が真向かいということもあり、 オジサンは、タバコを吸いにベランダに出る度に 長男の部屋に向かって 「このバカ息子が!!ストーカー野郎が!!」 と怒鳴り散らすようになって
その年は、振り返ると色んな災難がふりかかった年だった。 その始めが、交通事故だったかも知れない。 あの日は、次男がフットサルに行っている間に、長男と文房具を買いに 車で移動してる時に、信号のない交差点で私の運転席側に車が激突した。
次男は、5年生の秋頃から、サッカーだけでなくフットサルもやりたいといいだしたので 週1でフットサルにも通い始めた。 相変わらず家では午前中一緒にタブレット学習をして、午後は好きなゲームをして、夕方はサッカーかフットサルへ行った。 その頃には勉強することも慣れてきたのか、朝起きたら自分でタブレットに向かい、 何も声かけなくてもその日の課題をやるようになり 分からないことだけ聞きに来るというスタイルができていた。 特に英語に関しては、耳がいいことでリスニングには強く、
子供たちは、小学1年生の時からサッカーをしていたが、 次男は2年生の終わりからピアノもやりたいと言い出した。 学校で試しに弾いたらとても楽しかったらしく、家の電子ピアノでも毎日弾くようになっていた。 同じクラスに、ピアノが上手な男の子がいて、その子のようになりたいと言っていた。 たまたま保育園時代のママ友さんがピアノの先生をされていたので、 そこに習いに行くことになった。 いざ、ならい始めると家ではほとんど練習することはなかったけど 先生から、自由にやらせてあげ
私の離婚後の生活において、度々登場してくるのが 別棟に住むおじさんとおばさんだ。 事の発端は、駐輪場に子供の友達の自転車を停めようと動かしてる時に いきなりベランダから30分説教されたことだった。 内容は、子供がふらふらと自転車に乗ってるから、うちのバイクに当たったらどうしてくれるんだ ということを 繰り返し繰り返し30分怒鳴られた。 だけど、一度も当たったことはない。 でも、その時は、私も、うちの子に非があるといけないからと思い、 ひたすら 「すみません
離婚して3年が過ぎた頃、私たちは家族3人の暮らしにも慣れて 3人でいるのが当たり前のようになっていた。 少し生活に余裕ももてるようになったので、1泊で旅行にも行った。 そして、なあなあにしていた私の借金たちを債務整理をして、 月の支払いをぐっと減らしてもらった。 債務整理をすると5年くらいカードが持てなくなる可能性が高いと言われたんだけど、 現金で生活するのも悪くないと思えるようになっていたので、 やってみようと思えた。 実際、カードがない生活は不便で 結局
面会のことでこちらから連絡していたんだけど、その返信が元夫からあった。
離婚して2年間は、とにかく子供のケアを一番に考えながら、 休みの日はママ友たちと一緒に遊んだり、お泊まりもよくした。 あの頃、私は心の隙間を色んな不満を持ったママ友たちと愚痴を言い合うことで埋めていた。 その間に子供が友達と遊べるなら尚いいと思っていた。 彼氏という関係ではなかったけど、連絡を取り合う人もいた。 私が彼を1番にできないように、彼も私を1番にはせず、 私たちはお互いの都合のいい距離感で5年以上も繋がっていた。 彼も私と同じように離婚してすぐだったの
私はとりあえず、通勤時間も長いパートを辞めることにした。 いきなり家で仕事なんか見つかるわけもなく、私は、ネットで色々探しながら 近所へパートで勤めた。 その頃、ネットビジネスはたくさん出回っていて、とりあえず手当り次第色んな物をやってみた。 明らかに詐欺のような物にも引っかかったし 詐欺なのか微妙な物にも引っかかった。 そして、とりあえず私は家でパート代より少し多く稼げる方法を見つけ パートをやめ、家で働くことになった。 ちょうどその頃だった。 別れた夫か
離婚が成立して、アパートでの3人の生活がスタートした。 不安がないと言ったら嘘だったけど、子供たちにも話した。 「今日から3人で力を合わせて頑張ろう」 と。 小学2年生だった長男には、ご飯の炊き方を教えた。 私に何かあっても大丈夫なようにしておきたかった。 子供たちは、新しい生活を何だか楽しんでるように見えた。 もしかしたら私への気遣いもあったかもしれないけど、 前より小さくなった家は、私たち3人の絆をより深めてくれた気がする。 ある程度片付けが終わった頃に
夫は、離婚の条件として車とパソコンは欲しいと言ったので、 それは承諾した。 その代わり、家具家電は使えるものは新しい家で引き続き使うことになった。 引っ越して1ヶ月くらいは車のない生活をしたので、 不便なこの土地ではなかなか大変だったけど、どれも楽しい時間と思えた。 子供たちは時々、お父さんのことを聞いてきたので、 そこは嫌がらず普通に話した。 そしてその都度 「ごめんね。一緒にいたらケンカばかりになるからもう一緒に暮らせないんだよ」 と説明した。 正直、