新生活




離婚が成立して、アパートでの3人の生活がスタートした。



不安がないと言ったら嘘だったけど、子供たちにも話した。

「今日から3人で力を合わせて頑張ろう」

と。




小学2年生だった長男には、ご飯の炊き方を教えた。


私に何かあっても大丈夫なようにしておきたかった。





子供たちは、新しい生活を何だか楽しんでるように見えた。


もしかしたら私への気遣いもあったかもしれないけど、

前より小さくなった家は、私たち3人の絆をより深めてくれた気がする。







ある程度片付けが終わった頃に、私はパートに復帰した。





あの頃はまだ車がなかったので、長男が家を出たら、次男と2人で5分くらい歩いてバス停まで行き、

バスで園の近くのバス停でおりて、20分くらいかけて歩いて園まで行き

次男とバイバイしたら、私はまた同じ道を歩いてバス停に戻り

バスで30分揺られて職場に行く。



年長だった次男には、歩くのは大変だったかも知れない。



それでもいつも笑顔で私と手を繋いで歩いてくれた。


バスに乗るのも、遠足のようで楽しかったのかな。


いつもお父さんに怒られながら園に行ってたと聞いてたけど、

次男を怒る要素なんてどこにもなかった。




寒さが厳しくなった頃で、私のマフラーを巻いてあげたら、嬉しそうに笑った。

今にも地面に付きそうなマフラーを大切にしながら毎日歩いてくれた。



そんな次男の笑顔に私は癒された。




きっとこれからも大変なんだろうと思ったけど

それでも、この笑顔を守るために私は頑張れると思った。





子供たちは私の癒しであり、生きがいだった。







別れた夫と子供たちの面会は、当初決めた時は、月に2回会うことになっていた。


だけど、結局、あの人の仕事の都合で月に2回はおろか、月に1回も会えないこともあった。





子供たちはそこに対して寂しがることはなく、

会えたら楽しいけど、会えなかったら会えないでもいいというスタンスだった。





元夫は、離婚に至るまでの後ろめたさからか自分から面会のことについて触れることはなかったので

私からいつも連絡をしていた。







正直、別れてしまえば、夫なんて赤の他人であり、どうでもいい存在ではあったけど、

子供のお父さんには変わりなくて、私はとにかく子供たちの心のケアを大切にしたかった。






一緒にいる時は、嫌いで同じ空気も吸うのが嫌だった人だけど

離れると嫌悪感は薄れ、罪悪感からか子供たちのことを考えてくれるいいお父さんだと思った。





だから私も、過去のことは割り切って、今の関係を大切にするべきだと考えた。










離婚から3ヶ月経った頃、次男がインフルエンザになり

続いて私もインフルエンザになった。




次男と2人で休んでる時に私は考えた。



パートだと、こうやって休む度に収入が減ってしまう。


かと言って、まだ子供たちが小さいのに、離婚したばかりなのに正社員として働くべきなのか?



私は自分の過去のこともあり、どうしても子供たちに寂しい想いをさせたくなかった。



私は、休んでる間に、どうにか家で働けないかと考え始めた。





フリーランスへの第一歩だった。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?