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目覚めたのはどの朝だ

目覚めたのはどの朝だ

夜だったことなんて忘れてしまったような、けろりとした顔色の空。傘を持っておらず、小雨に濡れながら帰ったのは本当に数時間前のことか。すれ違う人が傘を持っているとイライラし、横断しようとした車が止まって、なんなら少しバックして道を譲ってくれると、雨に打たれる可哀想な子として映っているのか悪くないなと、気分が良かった夜。
起きる直前は一瞬、ぐわんとした引力で眠りの最深部まで吸い込まれて、また次の瞬間、意識の表層までトランポリンで跳ね上がって、起きる。
窓際にベッドを置いているので、目が覚めると空がまず見える。
さあ、今回目覚めたのは、どの朝だ。タイムワープしたような感覚で、不思議と毎朝そう思う。今日は昨日の続きのようである。
休みか、仕事か。
休みだ。穏やかに透き通って晴れる空の番が、休みの朝に回ってきた。休みだ休みだ休みだ。
ユーチューブを徘徊し、眺めて、簡単に掃除をし、支度をして、喫茶店に連れて行く本を見繕う。最低二冊、多くても三冊。
本を重ねる、ぱた、ぱた、という音が好きなので、必要以上に持ったり置いたり、ぱたぱたする。

解脱する、または、脱ぎすてる

お疲れさまでした、のあと、少なくとも二十分は歩きたい。
職場で楽しく話した次の瞬間、その表情を貼り付けたまま振り返って、あ、この表情剥がさなきゃ、と考えて、口角を軽く上げた表情に切り替える。
一つ先の駅まで歩く間、そうやって貼り付けた表情、望まれたことを言える口が、少しずつ遠ざかる。少しずつしっかりと一人になる。この過程を、自分の中で解脱と呼んでいる。意味はまったく違うだろうけど、言葉の響きが似つかわしいのでいいのだ。友達や職場の人たちの前で明るく饒舌な自分も、一人であきれるほど驚くほど暗く卑屈な自分も、いつもちゃんといる。信じられないくらい暗く、寂しく、孤独な自分も、いつからか、もしかしたらずっと自分の一部である。
山手線が坂道を上ってきて、並走するのを眺めながら、足音は、チャットモンチーのシャングリラの前奏と同じリズム。
この時間は決して。

自分のハードを診てもらう

健康診断に行った。心が体を飼っているとしたら、ペットを連れて行くような。心がソフトで体がハードだとしたら、ハードの方をカスタマーセンターに持って行くような。この子の調子はどんな感じですのん?という気分で愉快だった。
少し話はずれるが、自分のことが、ひどく、他人事のように感じることがある。なんでパートナーが必要ないかというと、自分で核心をつくような気分だが、わたしは雲をつかむように自分のことをつかみきれず、ずっとここにあらずな気分で、ここにはなにもおらず、空っぽになにもおらず、普通に考えて、その自分を愛してくれる人は必要ないのだ。自分でもよくわからない人なのだ。
時々親しい人と会って食事する。生きていることを確かめてもらっている。安心して別れて行く。人と会っているから大丈夫と思っていたけれど、誰かと時間を重ねていた生き方がどんどん遠ざかっていくのを、見て見ぬ振りをする。

見せ本・エンターテイメント

電車で開くのは、福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」。最近は大江健三郎さんや村上龍さんの、純文学のような私小説のような作品ばかり読んでいるので、それとのペアリングというか、自分の中でバランスを取るための読書である。電車の中で、わたしは何やら難しそうな本を広げる女性として他の人の前に登場する。他人が読む本なんて見てないとか、そんなのどーでもいい。内容が入ってこなくても、たった一行、たった一文字でも目で追うだけで、満足なのだ。そして、もしわたしがどんな本を読んでいるか見る人がいたら、その人がちいさなサプライズを味わってくれたりしないだろうかと思っている。おっ、と思わせたい、見せ本。電車で本を開くのが、わたしのちいさなエンターテイメントである。
疲れていて本も開けない、声の入った音楽も聴けないとなると、最近のお気に入りは人生のメリーゴーランドか、MOTHER2のEIGHT MELODIESという曲だ。前者はすごくゴージャスで、壮大に、かいがいしく、自分の人生の船旅をしているような気分。はあ、これが今世ね〜〜、となる。後者はすごく牧歌的で、なんだか魂が回帰するようで、ずるい。

喫茶店の思想を守る本

思想は言葉の形をとって、言葉は本の形をとって、本は本棚を作って、喫茶店の思想を守る。今年は、喫茶店の本棚を眺めて、その店が持つ思想を受け取ることをしたいと思っている。

ゆるりと自由研究。この自由研究を終えるまでにいくつか行っておきたい喫茶店がある。そういうのを楽しみにしている。

おわり

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