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お疲れさまコンプレックス

いつからさようならとこんばんはを言わなくなったか。

お疲れさまですという言葉が苦手だ。
なぜ大人になると、便利な挨拶としてお疲れさまと言うのだろうか。
仕事終わりに言うのはまだわかる。けれど、そんなに疲れていない時に、自分より疲れているであろう相手にお疲れさまと言われると、いたたまれなくなるのだ。いやそんな疲れてないよ、頑張れていないよと、自分にも相手にも面倒でしかない訂正をしたくなってしまう。そういう意味で言っているのではないことはわかっている。
慰めの言葉も、そうだ。おいしいもの食べてね、お風呂に入ってね、暖かい布団でゆっくり休んでね、そう言う人も、もしかしたらそんなことはしないのかもしれない。ただの表現かもしれない。だけどわたしは、自分にとって慰めにならない言葉を、たとえ表現だとしても、言えない。わたしにとって最大の慰めは泣くことであり、あなたがしっかりと泣けていますようにと願っている。必要とあらば、わたしがあなたの横か正面にいて、あなたが泣くのをじっと見ていてあげたい。あなたの涙の証人になってあげたい。

乾杯の時の、お疲れさまで〜す。
それに慣れる頃、わたしはもっと賢く穏やかだろうか?


春の日差しのような人だよ

季節が変わる時に、天気が荒れるように。その先は夏かもしれない。けれどちゃんと冬の寒さのようなものも知っていて。でもずっと、わたしの中であなたは、春の日差しのような人だよ。まさに菜の花の黄色のイメージ。

と言われた。誰が。わたしが。誰から。高校からの友達から。
その子は博識で、常識的で、ミステリアスで、高貴で、正当で、観察眼が鋭く、言葉の節々は柔らかく、知識や文化をひけらかさず、言葉を尽くして相手の本意でないところまで聞こうとせず、だけど話したくなる雰囲気があり、話させ上手で、その人にぶっ刺さりたい、意見を聞きたい、正当化されたい、いや怒られたい、自分に秘密を教えて欲しいと思わせる何かがあり、厳しそうでいて慈悲深く、ふにゃりとよく笑い、おしゃれで、平たく言ってスタイルのいい美人である。
その子の前でわたしはいつもダメダメだった。社会人三年目の代だが、もう2回も仕事をやめている。そういうことも話したし、高校時代も迷惑をかけてばかりだった。ぜったいに及ばないところ(人格や容姿)を密かに羨んでいた。わたしの軽々しく物を言うところも、薄いベールで包み隠し多くを語らないその子とは全く違った。
その子と美味しい食事をした帰りに、夜桜を見て散歩したときのこと。
病んだときのネガティブなエネルギーでしか変化できないと話したわたしに、季節があるのだと思うよと言ってくれたのだった。

浅ましいことに、しどろもどろになりながら、わたしはその言葉と同じような表現をその子に返せないかと探したのだが、用意していなかった言葉がその子に及ぶわけもなく、ましてやその子はわたしになんの見返りも期待せず、そんな言葉をかけてくれたのだった。その子も、もしかすると誰かから春の日差しと表現される子かもしれない。でも少なくともわたしの中では春の日差しとはまた違うイメージである。自分とは違う部分を認め、評価してくれる懐の深さたるや。わたしの何がそう表現させたのだろうか。でもいい、とにかく、その子が思う春の日差しという言葉に連想するイメージを、ただわたしに任せてくれたのだ。リボンがかけられた、やわらかく大切なものをくれたのだ。
誰かの中で自分がそうやって生きている。たとえ一瞬でも、これからずっとだとしても、他でもないその子の中でというのは、なんとも形容し難く、むずむずと、心のなかでぶわぁっと風が起こり花が舞うように、うれしかった。言葉一つで幸せを届けてくれるあなたは、比べるものではないけれどわたしには遠く及ばず、素敵です。
ああ、それにしてもなんと愚かな浮かれポンチだろうか。


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