2015振り返り

2015年の振り返り

2015年の振り返りをまとめました。各ジャンル2〜4つぐらいのトピックで振り返ります!

【映画】

ゴダール「さらば、愛の言葉よ」
これ以前にも3D映画は何度か見ていますが、鑑賞体験を大きく変えるものとはまだ言えず、演出技法の中の一つ程度にしか感じてませんでした。しかし、あのゴダールが3Dを撮ったとなれば、そんな3D映画のモヤモヤにガツンとやってくれるんじゃないかと期待した作品。そして映画館で2回見ました(1回目はよくわからなかったので。。。)。ぼくだけでなくどうやら複数回見た人は多かったようです。まあ結局プロットはあんまり追えないんですが、3Dによって知覚が乱され、身体中の感覚がバキバキとこじ開けられるような特異な映画でした。85歳にしてこの挑発はすごいです。
もっと知りたいと思い、トークイベント、「平倉圭×細馬宏通+畠山宗明「ゴダール、3D、そして運動――映画にとって「深さ」とはなにか?」」(@ゲンロンカフェ)を聞きに行ったりもしました。

岩井俊二「花とアリス殺人事件」
2004年公開の「花とアリス」、その前日譚として花とアリスの出会いをアニメーションで描いた新作。「花とアリス」の未見の人は見ないまま見るのがおススメです。元の作品の経験がなくても岩井俊二監督の新作としてとてもよかったと思います。ロトスコープのアニメーションなので仕草が細やかかつデフォルメされていて、動きだけでも何度も見たくなります。ちなみ殺人事件は起こりません。


Project Itoh「屍者の帝国」「ハーモニー」
夭折のSF作家、伊藤計畫が残した数少ない長編小説を映画化するプロジェクト。全3作のうち2作が公開されました。もう1作「虐殺器官」はアニメ制作会社の破綻で製作が中断し公開が延期に。現在2016年内の公開を目指して新スタジオで製作中とのこと。
さて伊藤計畫、実は読んだことがないのですが、今年のはじめに読んでいた『あなたは、今、この文章を読んでいる。:パラフィクションの誕生』 (佐々木敦)の中で大きく言及されており、それが「フィクション、メタフィクションを通して、芸術と社会や人間の関係についてついて考える」という今年の自分のテーマに結びついたこともあって、映画公開は非常にタイムリーでした。特に「屍者の帝国」では、佐々木敦氏が前述書で分析したようなパラフィクションとしての読解も少し期待してたんですが、それはひとまずおあずけのようです。
とまれ「屍者の帝国」「ハーモニー」はいずれも、物語の強さがきわだったかなり見応えのある作品でした。概ね2000年代以降に大きな潮流となっている日常系やアンチクライマックス的なものとは一線を画していました。また、今年はゾンビやアンドロイド、人工知能といった、翻って人間の本質にせまるトピックが続いていたので、その文脈でも興味深かったです。

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」
いつこの叙述トリックは明らかになるのだろうというくらい存在感あるカメラワークが圧巻でした。それは映画の中の観客も、この映画を撮るカメラを見たに違いないと思うほど。告知文があおるテーマのシリアスさから離れても、エンターテイメント的な要素がすばらしかったです。


【舞台・ライブ】
ローザス「ドラミング」

黄金比に基づき機械的に制御されるダンスと、プリミティブに立ち返るようなスティーブ・ライヒの楽曲とが併走。「ポストヒューマン」(参考:ポストヒューマニズム)を身体の機械的な拡張と原始的な外在化という両義性から検討する試みとして興味深かった作品です。公演物販で1万円近い「ドラミング」のDVD付き作品集を購入しました。


岡田利規「God Bless Baseball」
言語の扱い方がとてもおもしろかった。普段はほとんど戯曲を読んだりはしませんが、文字でも読みたくなる作品です。上演は日本語、韓国語、英語の3ヶ国語ですが、原文⇔翻訳という単純な対応関係ではありません。戯曲を読むと字幕の出し方にも指示があり、それぞれがその言葉である意味を重く背負っていることがわかります。複数の言語からなる戯曲といえば平田オリザのリアリズムを思わせますが、ここではより深い虚構性と象徴性を感じました。(戯曲は『新潮 2015年12月号』に掲載)
そして舞台美術は高嶺格さんが手がけています。片栗粉という素材の選び方に唸りました。水をかけた時の生成変化はなんと魅惑的なことか。


飴屋法水「ブルーシート」
2013年にいわき総合高校の生徒が上演した「ブルーシート」。当時はいわきのみでの公演でしたが、2015年版として待望の東京版が上演されました。しかし、岸田戯曲賞をとった際に出版された戯曲本の最後にも注釈があるように、出演者の個人的な経験によって戯曲は変更が可能なものになっています。そのため今回も単なる「再演」にはなっていません。初演の出演者を引き継いだ上で、この2年間の時間経過が織り込まれていて、より厚みのある作品になっているように感じました。


【本(作品集)】

『沖縄彫刻都市』尾形一郎、尾形優 
沖縄の都市景観の中に、戦後アメリカの統治によってもたらされたコンクリート建築と、コンクリートブロックを用いた能勢孝二郎の現代彫刻を見出す写真・論考集です。これら建築と彫刻の掲載は順不同ですが、どちらも破壊と創造に同時に突き進むようなラディカルさをもっており、「彫刻都市」を鮮やかに提示しています。奇態として立ち現れる造形を道しるべに、沖縄特有の文化の堆積を読み解く、写真集としても論考集としても本格的な一冊。
10月にはタカイシイギャラリーで写真展もありました。写真クラスタにもっと見てほしい本、作品です。

『ユニコ』 手塚治虫
サンリオのコミック誌「リリカ」(1976〜1979)に連載されていた「ユニコ」が、全ページオールカラーの完全版として刊行。海外で英語版を出版すること計画していたらしく、日本の漫画としては珍しい横書き右開きで書かれているのもおもしろいです。手塚の漫画には「コマ」割りが実験的なものも多いですが、この「ユニコ」でも全ページカラーの華やかさとあいまって、斬新なコマ割りの躍動感には刮目させられます。


【本(読み物)】

『後美術論』椹木野衣
「音楽と美術の結婚」を見立てに、新しい美術史を立ち上げる覚悟のようなものを感じる、椹木野衣氏渾身の「美術評論」。これまでも椹木さんの評論には既成のジャンルの破壊が根底にありましたが、2011年の震災をまたいだ今作でより先鋭化していることが見て取れます。造本も本文中の字体とかのデザインにまで機微が行き届いていて、それだけで紙の本を買う楽しみを満たしてくれるようです。
さらに発売直後に版元が倒産、その後民事再生手続きを経て無事増刷、そして吉田秀和賞を受けるなど、いろんな意味でメルクマールになる一冊になっているでしょう。

『人工知能は人間を超えるか』松尾豊
雑誌「現代思想」「WIERD」でも最近取り上げられたように、思想的な課題として、またビジネス的に期待と不安を寄せられる技術の先端として、人工知能(A.I.)は本格的に注目を集めています。この本では、人工知能研究が第三次ブームにある中、さらにディープラーニングという方法により歴史的ブレイクスルーが成し遂げられつつあるのだという点を解説しています。いわゆる「シンギュラリティ」という思考実験のような話よりは、むしろ人工知能に何ができて何ができないのか、そしてそれをどのように進化させていく道があるのか、という実際的な言及について読むことができます。
さらに著者の松尾豊氏と東浩紀氏によるトークイベント「人工知能はどこまで社会を変えるのか」(@ゲンロンカフェ)にも参加。理系のテーマのようでありつつも、ここでは「哲学」という世界認識の歴史とも重ねられた話が聞けて、とても刺激的でおもしろかったです。


【アニメ】

「がっこうぐらし」
いかにも萌え絵の日常系だと思って流し見ていたのですが、いつのまにかハードボイルドな終末系な展開になり、目が離せなくなりました。やっぱりここでもゾンビが活躍(?)しています。

「冴えない彼女の育て方」
ラノベ原作のよくあるハーレムものを想像してました。まあだいたいそうなんですが、# 0という表記の第1話(原作にはないらしい)で、メタフィクションの作品をさらにメタ視点からイントロダクションされていたのがおもしろくて見はじめました。その後もベタなハーレム展開とメタフィクションが散りばめられた構成には存分に楽しませてもらいました。原作の小説もちょっと読んでみたりしています。2期も期待。

「プラスティックメモリーズ」
アンドロイドが普及した社会が直面するであろう、彼/彼女らのモノとしての耐用年数をテーマとするアニメ。アンドロイドやロボットを描く先行するフィクションの蓄積の上で、人間との「心」の交流が描かれているかと思うと感慨深いです。
アンドロイドのいる社会というのが、そろそろ現実的に想像できるようになってきたのではないでしょうか。この他のテレビ番組では、阪大の石黒浩教授が手がけたマツコ・デラックスのアンドロイドが本人と共演する「マツコとマツコ」や、メーカーメンテナンスが終了した後のAIBOの修理をめぐる実情を取材した「ハートネットTV -ロボットより愛をこめて」が印象的でした。あと何度でも言いますが、人間とロボットの関係だと「イヴの時間」が名作なので見てください。


【音楽】
「アニソン」とミト(クラムボン)
クラムボンのミトは、映画「ここさけ」では劇伴で参加。そういえば、あのDTM研のシンセ音はミトっぽかったような。。。
あと、物語シリーズのアニメ化「憑物語」と「終物語」のOP曲を手がけています。クラムボンはずっと好きなのですが、「憑物語」のOPで早見沙織さんが歌う「オレンジミント」もなんかいいなー、と思っていたところなんとミトが作っていました。
10年ほど前、「音楽の現在地点」としてJ−POP論を唱えていたぼくですが、その念頭にはクラムボンがありました。そして2015年、「音楽の現在地点」としてぼくは「アニソン」を標榜する立場を取っています。そこにまたミトがいるというのはなにかしらの因果を感じずにはいられません。

「アジアン・ミーティング・フェスティバル」
このライブは見逃さなくて本当によかったと思っています。アーティスティックディレクターの大友良英さんが示したゆるやかな連帯が星座のように像を結んでいました。他のどこでも見たこと(聞いたこと)のないアジアの姿が立ち現れていて、すばらしい演奏と空間でした。
これは「ENSEMBLES ASIA(アンサンブルズ・アジア)」のプログラムのひとつ。2016年にも2月の開催が発表されています!楽しみ!!


【テレビ】
「不便な便利屋」
ドラマの中でも比較的よく見ているテレ東深夜の「ドラマ24」枠から。脚本家志望の青年(岡田将生)が、富良野に行く途中に行き倒れた「謎の」村から始まるこのドラマ。古畑任三郎「灰色の村」や映画「ディア・ドクター」(西川美和)などに通じる、村の共同体的な不気味な閉塞感がコミカルに描かれていておもしろい。話中で直接引用されてもいますが、宮沢賢治「注文の多い料理店」のようでもありおもしろかったです。
エンディングの曲はスピッツ。いいなぁなんて曲だっけ?、と思ったら新曲「雪風」でした。この既聴感はもはや安定感といっていいのでしょう。

「SICKS ~みんながみんな、何かの病気~」
おぎやはぎ、オードリーらによるコント番組。またまたテレ東深夜の「ドラマ24」枠。「30minuite」とかが大好きなので、この手のコント/ドラマは結構見てるのですが、これは視聴者の見方そのものを番組に仕掛けているようでおもしろかったです。よくあるようなオムニバスのコントなのかと思って見ていたら、実はそれぞれの短編がすべて同じ世界だということが次第にわかってきてとてもスリリング。それが中盤以降大きな物語へと収束していきます。コントの要素を捨てないあたりにも気概を感じます。


【アート】
「ここより北へ」 奈良美智+石川直樹 展
 @ ワタリウム美術館

石川直樹さんと奈良美智さんが北方への旅を綴った写真展。石川直樹さんはさすが、写真家として文筆家として、そして旅人として、人類学的なアプローチも含めて本領がいかんなく発揮されてました。一方、奈良美智さんの展示もほぼ写真だけなのだけど、これがかなりよかった。以前は写真を撮っても絵画のイメージの延長って感じでしたが、北方やアイヌという境地を得て、写真としての強度をかなり高めていました。
展示品では共に日記帳を選んでいて、二人が生き方を旅になぞらえているような共通点を感じました。そしてまだその旅の途中なんだということが強く印象付けられています。


終戦70年関連展覧会
終戦後70年ということで、各地で関連展示が開催されていました。
(1)IZU PHOTO MUSEUMの「戦争と平和——伝えたかった日本」は、戦前から戦後にかけて日本の報道写真の黎明でもあった時期の資料が非常によくまとまっていました。「報道」がどのようにして作り出されるかというテーマは、現在の日本のアクチュアリティともつながっています。
(2)戦争画を多く残したことで、終戦後70年という節目に回顧ムードが高まっていた藤田嗣治。東京国立近代美術館の所蔵全点展示の他、映画「FOUJITA」の公開など多くの関連イベントがありました。その中でも近美の藤田全点展示(所蔵26点(+参考出品1点))はさすがに圧巻でした。特に最初のパリ時代の後、中南米をさすらい、日本に帰国して戦争画に従事していく壮絶さには震えます。昨年出た3部作の画集(小学館)でいうと「異郷」編あたりでしょうか、その頃の熱量は他の時代にはないものを感じます。それから今回の展覧会では、藤田が用いた構図をダ・ヴィンチやラファエロを参照項として見出すなどの考察も興味深い。実はフランスと日本以外ではあまり作品集とか出ていないみたいで、このような西洋美術史に深く根ざした考察から、国際的(西洋美術史的)な評価を高めていこうとする動きのようにも見えます。
(3)また小沢剛さんが資生堂ギャラリーで発表した「帰って来たペインターF」では、野口英世に続くモチーフとして(ペインターFこと)藤田嗣治がテーマに選ばれています。「あったかもしれない」を描く想像力とユーモアはさすがです。
(4)東京都美術館で「第4回 都美セレクション グループ展」に出展していた「戦争画STUDIES」展も、「戦争」と「美術」の関係を、戦後70年である現在の視点から掘り下げ、戦後の「戦争画」の扱われかたに切り込むよい展覧会でした。


「Don’t Follow the Wind」
「カオス*ラウンジ新芸術祭2015 市街劇「怒りの日」」

3.11震災後のアートをめぐる想像力の結実が、この福島を舞台としたふたつの展覧会にあらわれていました。
「Don’t Follow the Wind」は、福島・東京電力福島第一原子力発電所付近の帰還困難区域内に作品が設置された「見ることのできない」展覧会。2015年3月11日に開会が宣言されて以来、ワタリウム美術館でのサテライト展や、公式カタログの出版、参加作家やキュレーターの個別の発言などによって少しずつその実態が明らかになってきています。
「カオス*ラウンジ新芸術祭2015 市街劇「怒りの日」」は、地元に眠っていた「物語」をリサーチし「あったかもしれない」いわきを立ち上がらせることを試みた展覧会。「市街劇」を標榜しているのは、寺山修司へのオマージュはもちろん、演劇的なアプローチが意図されているから。鑑賞の動線はいわき市街の複数の会場を巡礼するように仕掛けられ、個々の作品にもキュレーターである黒瀬陽平氏による「演出」が施されているといいます。
どちらも場所性が重視され、オルタナティブな世界に対する想像力を喚起するような展覧会でした。またインディペンデントな活動だという点も共通しており、昨今あふれかえっている「地域型」アートとは一線を画す取り組みとして興味深いです。

以上!それでは来年もよろしくお願いします!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?