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星のこと暮らしのこと夢のこと

星のこと

ホロスコープを自分で読み解きたい、と願い、のんびり牛モードで学びが続いている。
一時の必死さは影を潜めてはいるけれど、種火となった願いは消えることなく、ながく続いていくであろう。
わたしの太陽は9ハウスにあり、ハウスの始まりのサインは牡羊座♈️だ。ハウスとは人生でなにをやるかという領域のようなものらしい。太陽星座は牡牛座だけれど、人生の目的、というか、気がつけばやっていることは、学ぶことだ。そのやり方は独特であまり人の言うことを聞かない、我儘なやり方だ。ただ勉強が好きだから、する。わからないことがあるとワクワクしちゃう。終わりが見えると熱が冷める。飽きっぽい困った性分だと思ったこともあるけれど、性分は変えられるものではない。あるがままを認めてやりたいようにやっている。こういうところが牡羊味なのかもしれない。
占星術は果てしなく拡がる世界で終わりがないので、わたしは生涯学びつづける分野に出逢えてしあわせだ。

暮らしのこと

暮らしを支えるのは衣食住とお金だ。
幼い頃から着るものにはこだわりが強い。気に入らない服を着せられると、わざとお漏らしをして、タンスの上の方の段にしまってあるお気に入りの洋服を台に登って、自分で取り出して着替えていたという記憶がある。3歳?5歳くらいの自分を俯瞰している記憶だ。もしかして亡くなった祖母の見ていた景色なのか?知らんけど。ハイブランドからプチプラまで味わい尽くした先にあるものは自給自足だ。織物を始めた。ずっとやりたかった手芸ができる暮らしにようやく辿り着いた。始まったばかり。楽しみ。
食住は人生の前半はまったくべらぼうで生きてきた。育った環境はびっくりするくらい無法地帯だった。祖父母と同居の長男の嫁だった母。祖母が早く亡くなり、祖父は50代から半身麻痺になり在宅で過ごしていた。それでも母は看護師という仕事を定年まで続けた。
父の妹は3人いて三人三様で個性的な女性達だ。母にとっては好ましい存在ではなかったかもしれないと想像するが、私たち姉妹にとっては時に母がわりでもあり、末っ子の叔母は高校の修学旅行のお土産に姪のわたしにビキニを買ってしまうくらい愛を注いでくれた。長い指でピアノを弾くお姉ちゃんは保育士になった。そしてミニチュアダックスを飼った。その犬はとても長寿でパートナーを病気で亡くしたお姉ちゃんを癒してから天国に行った。遠方の叔母は夏中従兄弟を連れて帰省し賑やかな夏休みは楽しかった。
母の実家は農家で貧しく、「お金で困らないこと」が彼女の人生の目的のようだった。「愛があってもお金がなかったらギスギスしてくる」この言葉は一度きりだと思うが、しっかりと刻まれている。「長男の嫁にはなるな」これも笑。
母親の願いは反転して、娘は対極を追求するものなのかもしれない。わたしは長男の嫁になり、お金のある暮らしをしたが、愛は期限付きで終わった。母と叔母の人生から影響を受け、わたしは看護師と子育てと保育士と離婚とミニチュアダックスとの暮らしを味わった。
新しい暮らしではお金の苦労を体験してみた。こんどの愛はお金はないがしあわせだ。対極を味わったのでこんどは中庸にいけると思う。楽しみだ。


夢のこと

人生の前半の終盤はひとりで舵をきって、ふたりのこどもを守ろうと必死だった。ひとり親になることは不安もあったが、こどもを守ることの責任の方が勝り、迷いはなかった。
この頃はまったく夢を見なかった。夜頭が枕に着くと同時に眠りに入る、のび太スタイルで、寝たと思ったら朝、という感じで熟睡していた。朝暗いうちに目が覚め、すっきりとした脳でヨガをして日記を書いて出勤した。わたしは思考をアウトプットするために日記を書いている。何を書いたか見返すことは今はない。いずれ人生を振り返って執筆活動するときに役にたつときが来るかもしれない、くらいに思っている。まだまだやることが多すぎて先のことだと思う。
いま、夢について興味が深まってきた。わたしの大変な時を支えてくれた服部みれいさん、文筆家パートナーの福太郎さんと色々な叡智を発信してくれるおふたりから受け取ることは多い。自分のアンテナに引っかかったことは行動にうつしている。その中に夢のことがあり、昔図書館で出逢った占星術家の松村潔さんも最終的には夢に辿り着いた、ということも知りえて、夢に注目するようになった。
三次元ではない世界で、魂が何かをしている、ということは腑に落ちる。最近のわたしは夢の中で感覚を学ぶ、ということを実験中だ。のんびり牛モードで。これもライフワークになるのかな、どうかな。

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