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【読書体験】そうだ、インドに行こう|汝、星のごとく

※はっきりしたネタバレはありませんが、ネタバレへの配慮はありません。気にする方はご注意ください※
※読書体験と銘打ってる通り、感想です。本の紹介は最低限しかしません※

「汝、星のごとく」凪良ゆう

 タイトルと著者名の組み合わせから漂ってくる、文章センスの高さが際立っている。いつまでも口の中でつぶやいていたいようなタイトルだ。

 その愛は、あまりにも切ない。

 正しさに縛られ、愛に呪われ、それでもわたしたちは生きていく。
本屋大賞受賞作『流浪の月』著者の、心の奥深くに響く最高傑作。

 ーーわたしは愛する男のために人生を誤りたい。

 風光明媚な瀬戸内の島に育った高校生の暁海(あきみ)と、自由奔放な母の恋愛に振り回され島に転校してきた櫂(かい)。
ともに心に孤独と欠落を抱えた二人は、惹かれ合い、すれ違い、そして成長していく。
生きることの自由さと不自由さを描き続けてきた著者が紡ぐ、ひとつではない愛の物語。

 ーーまともな人間なんてものは幻想だ。俺たちは自らを生きるしかない。

「汝、星のごとく」凪良ゆう Amazonの紹介ページより引用

 あらすじを読んで、あまり自分には合わなさそうだと思い、いったんは買うのを避けた本である。よくある物語で、私には心に引っかかるものが何もない。

 でもちょうど「スキップとローファー」を読んで青春モノの良さに打ち震えていたこと、

「汝、星のごとく」凪良ゆう

 この語感が大好きな三浦しをんさんの『きみはポラリス』に似ていて頭に残っていたこともあり、購入した。圧倒的な筆力に、溺れるように読み切った。

 結果。

 うーーーーん。。。

 あらすじに書いてあるようなストーリーが、美しい文章で綴られていく。暁海と櫂が愛し合う、その過程において様々に襲ってくる人生の障害を二人なりに乗り越え、最後は愛に帰る。二人の努力にも関わらず、物事は良くなったり、良くならなかったりする。そういう小説である。

 だが。

 いやあ、もうちょっとやりようあるでしょ。

 全編を通して私が思ったのはそれである。二人の人生において生じる問題、そのすべてにおいて、自分が絶対に取らない選択肢を取っていくので、非常に感情移入が難しかった。

 いや、なぜその選択肢を取るのかは丁寧に描写されているので、そこに違和感があるわけではない。理解できる。二人がそういう魂の持ち主なのだろう。でも欲張りだとも思う。

 人生は、多くの障害があり、その障害すべてを乗り越えるだけのリソースを持つ人間は稀である。だから我々は、何を得て、何を捨てるか。どこにリソースを注ぐかを選ばないと、望んだ結果を得ることは難しい。

 私は子供の頃からそれを理解している。

 例えば、私が暁海なら、父に不倫されて心を病む母親のことなど、言って分からなければ捨てるだろう。その後、大学を出て島を出る。多分、世界が広がれば、櫂との恋愛関係はそのうち自然消滅するだろう。

 私が櫂なら、男にフラれて酒をのみ、嘔吐する母など放っておく。吐しゃ物が喉に詰まらないように回復体位を取らせ、ペットボトルと毛布でも近くに置いておけば後で何かあっても法的に責任を問われる可能性は低いだろう。

 東京に出た後は母親とは交流しない。もしまとわりついてくるようなら、金にモノを言わせて警護を雇う。こういう人間は、いくらこちらが優しくしても全く恩に着ないし、こちらに害を及ぼしても反省しないのであまり相手にしない方が良い。

 相方がとあるきっかけで大炎上するくだりは避けられないが、こういうケースでは相方もろとも、自分を誰も知らない場所に行くのが良い。

 例えばインドである。多分インドに行けば何もかも解決する。だって、自分の身の不幸を嘆き悲しんだところで、右を見ても左を見ても事情を知らないインド人しかいないのである。多分日本で起きた炎上のことなどばかばかしくなってくることだろう。インド人を右に。

インド(イメージ)

 このように、二人が本編で遂げたような最後を迎える前に、自分の周りの環境を思い切ってすべて変えてみる、再チャレンジするという選択肢は取りえたはずである。私の人生哲学ではあるが、うまく行かないことは思い切りよく捨ててしまうことが大事である。

 ーーまともな人間なんてものは幻想だ。俺たちは自らを生きるしかない。

「汝、星のごとく」凪良ゆう Amazonの紹介ページより引用

 これは櫂のセリフだと思うが、まさにその通りである。

 だけど私から見ると、彼らは全く自分の人生を生きていない。

 本編中にもある通り、「あれをしろ」「これをしろ」と指示してくる人間、中傷してくる人間、偏見の目で見てくる人間は、あなたの人生の責任を取ってはくれない。

 ということなので、私にとってこの本、「汝、星のごとく」は優れた小説だとは思うが、登場人物に感情移入の難しい本だった。

 どちらかというと、インド移住して人生を滅茶苦茶にしていく物語の方が見たい。良くなる見込みが無いような人生なら、何がどうなるか分からない方に踏み出した方が絶対に楽しい。そして訳の分からない経験をする中で、謎に昔の経験が役に立ち、それまでのクソみたいな人生が無駄でなかったと気づいたりする。

 うん、面白そうだ。

 こんな風にもっと割り切ったらと考える私は、以下のインタビュー中で著者が語る、安易に考えている人だろうか。

捨てればいいじゃん、と簡単に言ってしまえる人は、すっきりラクになれると思っているのかもしれませんね。でも、作中に書きましたけれど、はやくラクになりたいと願うことは、けっきょく、親の死を願うことと同義なんですよ。求めていた愛情とは違うけど、母親なりに愛してもくれている。迷惑ばかりかけられて、どうしようもない母親だけど、自分もやっぱり愛してもいる。だからこそそんなひどいことを願ってしまう自分が許せない。どこに行っても苦しみがふりかかってくる罠だらけの人生なんです。

凪良ゆうさんのダ・ヴィンチweb インタビューより

 分からないなあ。すっきりラクになれるとは思っていない。だけど物事には優先順位というものがあり、自分がその一番に来るべきだ。自分以外に、優先順位の一番に自分を置いてくれる人はいない。親ですらそうだ。だからこそダメな親は子供に迷惑をかけて、ほとんど顧みない。そういう親には、もう自分に危害を加えられない状態になって初めて、寄り添えるだろう。

 凪良さんが言うように、親を捨てることが心地いいわけではない。でも自分が不幸であることの原因に、親がいるのなら、必要な犠牲だ。それを苦しみと捉えない努力が必要だ。

 そう、人は、周囲の幸せのためにも、自分が幸せでいる努力をするべきだ。でもこの小説の主人公二人は、親のためにそれを放棄している。凪良さん自身が、親を捨てたら幸せでいられないという固定観念を持っているからだろう。

 でも、親を捨て、死を願っているとしても、それでも自分を肯定し、幸せでいる努力をするべきだ。それが親にとっても救いになる。

 だから、いよいよ、やはりインドに行くべきだ。もうこの際、登場人物全員引き連れて、凪良さんもインドに行き、インド社会でちょっと生きてみるべきだ。自分の世界観や価値観がどれだけ狭いかを知り、かつ、その中の普遍性を見つける素晴らしい体験になるだろう。そしてナートゥナトゥナトゥ

 できたらいつか凪良ゆうさんの、美しい筆致で、インド旅行記などが読みたい。


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