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課題の分離とマジギレマックス

多分ほぼ愚痴。最近人間関係で嫌なことがありすぎて、ぐるぐる考えているので、そろそろ吐き出す。

「馬を水辺に連れていくことは出来るが、水を飲ませることは出来ない」っていうことわざが好きなんだけど、ついさっき調べて、初めてイギリスの言葉だって知った。
アドラーの課題の分離に出てくる例え話で知って、その時は、「そう!わたしはこれが言いたかったんだよ!!」と身体中が痺れるような感覚に陥ったのを覚えている。

課題の分離さ、できてない人多くない?てか、そもそも知らない人が多いのか?
わたしさ、小さい頃から、人の課題をわたしのもののように押し付けられたり、わたしの課題に誰かが踏み入ってくるの、本当に嫌いだったんだよね。どんなに小さな出来事でも、拒絶反応半端なかった。

言うて、わたしもできてないこと多くて、「ああ!いけないいけない!これは相手の課題!」と反省することもある。

でも、そもそも、課題の分離を知らない人達が多すぎるんだよね。自分が感じること、考えること、行動すること、それら全ては自分にしかできないことなのに。自分の感覚を当たり前のように他人に強制する人が多い。
他者の物事をまるで我が事のように感じ、自分の考えや価値観で他者の物事をはかり、それが他者も同じように感じていると思ってることが多すぎる。

そして、自分の課題を相手に丸投げしたり、相手の課題を自分がコントロールしようとしたりする人も多いよ。もう嫌だよ。

しかも、相手に伝えてるその言葉、全部自分に返ってるで?ってこともよくある。わたしもある。でも、それを自覚してるかしてないかって重要じゃない?無知の知って、本当に大事だと思うよ。

自分に知らないことがあると知ること。むしろ、自分にとって知らないことばかりなこと。それなのに、自分が知っていることが全てであると思ってしまうこと。

自分の見方が全てでは無いこと。わたしも含め、どんな人間も自分の見方がこの世の全てであると思い込んで生きていること。

自分の行動や考えが相手を変えることは無いこと。自分の考えが相手にとって最善かどうかは、相手が決めることだから、自分が決めてるものでは無いこと。

こうしたらいいかな?って相手に対して思ったことは、相手にとっての最善ではなくて、自分にとっての最善であること。

人はみな、自分のために生きていること。どんなに傷つく思考や言動をしていても、それは回り回って自分にとって最も嫌なことを避けるためだったり、自分を守るためだったりすること。相手のためと言っときながら、それは自分のためであること。

知ってる人も沢山いる。でも、知らない人も沢山いる。知らない人と関わるのは疲れるし、わたしの視野も霞む。

大事なものを抱えて生きているのに、無知な人達といると、その大事なものを無断でベタベタ触られて、叩かれて、踏まれてるような、そんな気持ちになる。
頑張って伝えても、伝わらない。根本が伝わらない。噛み砕いて噛み砕いて、わかりやすい事象に置き換えて、今嫌だったことを相手が拒否らないように伝えて。それでやっと、実際に起きた行動だけをやめてもらえるか、やめてもらえないか。

人は変わらない。変えられない。わたしはわたしのことしか変えられない。
わたしを傷つけた人たちに、わたしを傷つけないでと言い、他者を傷つけないような思考を求めることも、また他者の課題に踏み込む行為なんだと思う。
だからわたしは、嫌なことは嫌だと伝えて、相手がどのように動くか、考えるかを見届けて、今後関わっていくかどうか考えていくしかない。相手の課題に踏み込まないように、自分の課題は自分でこなすように。

それでも願うよ。やめてよ、嫌なことは。相手を大事にしないことも、被害妄想で傷ついたって思い込んで相手を傷つけることも、自分の考えを強制することも、他者を差別するような発言をしてしまうことも、やめてよ。

そういうのは、心の中で、自分で上手に向き合ってよ。人にあたり散らかさないでよ。人を傷つけないでよ。
そうやって、わたしを傷つけたように、これからも他の人を傷つけていくの?そして、人から嫌がられて、距離置かれて、また自分は独りだって被害者ぶって生きてくの?もうやめなよ。

自分を守るために、人を傷つけていいの?自分が傷つけられたからって、人を傷つけていいの?
そうやって、あなたも人を傷つける人になっていくの?

わたしだって、無意識でも意識的にでも人を傷つけてしまうこと、傷つけてきたことたくさんある。みんな、みんなあるよ。
でも、だったら人のこと言えないじゃん!とか、みんなそうならいいじゃん!とはならない。
ごめんねって言って、もう二度と同じことで人を傷つけないようにって反省することが大事なんだよ。
どれだけ自分の言い分があっても、「人を傷つけてしまったこと」はちゃんと自覚して、記憶して、反省すること。それが、人と、自分と向き合ってことだと思うよ。

その行動が、言葉が悪かったなら、それだけを直せばいいって訳じゃないんだよ。なんでそうしたのか、そう思ったのか、ちゃんと自分を見直して、根本を見つめないと、その出来事の本質は、自分の価値観は見えてこないんだよ。

わたしも未熟だよ。できてないことの方が沢山あるし、人を攻撃してしまいそうになることも、結果として攻撃してしまうこともある。
だからこそ、そんな自分を自覚することが大事だと思う。自分の攻撃性もしっかり見て、それをコントロールできるように、見直すことが大事だと思う。
あと、自分一人の時に倫理も社会性もガン無視で思いっきり本音でわめくことも、大事だと思う。人を傷つける可能性のある発散は、自分一人きりでやるもんだと思ってる。

わたしは、自分が、人間がどんなに恐ろしくて愚かかを知っている。

怒りに身を任せて人を殴ったことも、罵詈雑言を浴びせたことも、人の心を粉々にしたことも、人を本気で殺そうかと思ったこともある。
そして、その後、死ぬほど自分が嫌いになって、殴った分だけ拳の痛みと心の底から湧き出る不快感がこべりついて、自分の心も尊厳も粉々になって、より愚かで最悪な自分を自覚して、そんな自分を否定して心が死ぬことも知っている。

あんな思い、もう誰もしないでくれ。どんなに軽い攻撃でも、目に見えないだけで相手の心は相当傷つくんだ。そして、その傷がまた相手の攻撃性も育んでしまうんだ。

人を傷つけるって、自分も傷つけることなんだよ。目に見える傷も、見えない傷も、ずっとずっと残っていく。それが肥大化していくと、人は殺意も抱くし、本当に自分や他人を殺してしまう人だっている。そういう火種を、みんなみんな抱えている。

暴力的な人と、そうでない人の違いって、実はあんまりない。いつでもわたしたちはどちらにもなれるんだよ。ちょっとしたストレスや調子で、人はすぐに攻撃的になるんだよ。自分の攻撃性に無自覚な人がほとんどだし、他人の攻撃性にも無自覚なんだよね。

鈍感であることも生存戦略ではあるけれど。でも、自分がどんな時に攻撃的になるのか、人の思考や行動に踏み入ったり、荒らしたりしがちなのか、知っておくことは大事だと思うよ。

だからね、マイフレンドたち。
もう同じことで他人を傷つけないで欲しい。

わたしは君たちとの楽しい思い出もあるし、君たちに救われたことも沢山ある。君たちがいてくれたから、生きてこれたことも沢山ある。
だから、わたしは君たちを故意的に傷つけてしまうほど思い詰める1万歩ほど前までは、君たちと関わり続けるよ。
傷ついたことは傷ついたって言うし、傷つけていることがあったら本当にごめんねって反省するよ。

大人になったら、傷はスルーされがちだし、その人の攻撃性に気がついた人は離れがちだと思う。だから、人をあたりまえに傷つけて、また別の人を傷つけていくんだと思う。わたしもそう。

だからこそ、互いに気持ちを大事にできるように関わっていきたいし、傷ついたことはちゃんとお互いに伝えられるようにしていきたいのです。人と向き合うって、そういうこと。

でもね、あまりに立て続くと自信なくすわ!他人って自分の鏡だって言うし、傷つく度に、わたしも傷つけてるんか!?そんなぞんざいにしてるんか!?わたしの関わり方が悪いんか!?って思っちゃうよ。

それぞれの人と色々話したけど、わたしが悪いのか、その人の特性なのか、時期が悪いのか、正味わからん。原因なんてなくて、ただただそういう事象が起こって、それに伴ってわたしだから傷ついているのかもしれない。わたしの傷はわたしのものだし、相手の傷は相手のものだからね。

ここまで長々と語ったけど、人を傷つける行為自体をわたしは許さないってことです。それは、相手がしても、もちろんわたしがしても。
わたしは感情と出来事が結びついているからか、記憶力も再生力もバカいいので、傷つけられたことも傷つけたこともあんまり忘れることない。普通にトラウマなだけかもしれないけど。わたしの心根が傷つくと、すげえフラッシュバックするし。

忘れてやるもんか!って気持ちもあるしね。わたしは死ぬまでお前がしたことを忘れないぞって思ってる。そんな部分1ミリも見せないけど、許すかどうかはわたしが最後に決めることだからね。

あと、どんなに仲良くても、一緒にいて楽しくても、わたしを傷つけるようなことが頻発するのなら、信頼は容易く失うし許さないので、関係を保留することはあっても、相手に慈悲を与えるタイプでは無いです。
わたしそんなに生易しいタイプじゃない。即切りしないし、様子見に猶予があるだけ。あと、他人にも同じことしてるならマジで許さない。
なんたって、わたしにとってはわたしが一番大事で、わたしがいちばん可愛くて愛おしいので。わたしを傷つけたことは、どんなに謝られても許しません。無かったことにもなりません。今後の反省次第で関係性が変わるだけです。

これは、わたし自身にも言えます。だから、わたしは傷つけてしまったことは今も仲良くしてくれる人達にも心の底から申し訳ないと思ってるし、今は関わっていない人達にも申し訳ないと思ってる。そして、もう二度と誰にもしないようにって意識してる。出来てるか出来てないかは置いといてね。もうあんなことはしないようにと、日々試行錯誤だけど。

相手がどうなるかは相手次第だけど、わたしが関わる人、わたしがどう思うか、わたしがどう行動するかはわたしが決めるからね。

あ〜すっきりした!!!やっぱり文章にすると、自分の考えがまとまるねえ。久々に、怒り散らかしながらもがいて思考していた10代の頃を思い出したわ。

もうだいぶ周りの年齢も大人だから、穏やかな関係性ばかりだと思ってたけど、そんなことも無いね!
成熟してる部分もあれば、未熟すぎて中学生くらいの人と話してんのかと思うこともあるわ!特に揉め事があったら、その人の成熟具合が出るねえ。
感情はぶつけないように極力冷静に対応したけど、心の中は大惨事でした!マジで許さねえぞ!!!わたしだったら何してもいいと思うな!!!甘えんな!!!自分の課題は自分でやれ!!!わたしの課題には踏み入るな!!!以上です!!!

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