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田﨑飛鳥さん・ヘラルボニーさんとの出会い

今日は松嶺さんに続き、デザインに協力いただいたアーティストの田﨑飛鳥さんとヘラルボニーさんについて紹介していきます。



【田﨑飛鳥さんのプロフィール】 


陸前高田市在住のアーティスト。
ヘラルボニーの契約作家。
生まれながらにして、脳性麻痺と知的障害がある。
幼いころから絵本や画集に興味を持ち、中学生に上がると、自然や人物を中心とした絵画制作に力を注ぎ始め200点ほどの作品を描き上げ、2000年に第3回岩手きららアート展へ初出展で優秀賞を受賞。

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【田﨑さんを知ったきっかけ】


田﨑さんを初めて目にしたのは、テレビでの報道だった。

その内容は、陸前高田市高田町の市庁舎新築工事現場の仮囲いに、田崎飛鳥さんの絵画作品が展示されているというものだった。

そのデザインを見たときは個性的というか独特というか、ただ、今までにないものを感じた。
そして、それと同時にどこか温かさも感じさせる作品ばかりだった。

その時は田﨑さんの事情を知らなかったのだが、「岩手にこんな方がいたのか!」と感動して彼のことを調べていった。


【ヘラルボニー様との出会い】


彼のことを調べたところ、どうやら岩手県花巻市にある「るんびにい美術館」へ伺えば良いとわかり、彼の事をもっと知る為にそこへ向かった。

そして、そこの担当者の方から「彼はヘラルボニーに所属している作家なのです。」と話を受けた。

これがヘラルボニーさんとつながる一歩目だった。



【ヘラルボニーさんについて】


「異彩を、放て。」がキャッチフレーズの岩手県盛岡市に本社を置く企業だ。

障害のある作家が制作したアート作品の商品化を手掛ける。
今では様々な企業とのコラボレーションであったり公共交通機関の壁のデザインを手掛けたりと、今を輝く岩手の企業だ。

ヘラルボニーの社長と副社長は三兄弟の次男と三男で、二人には兄がいるのだが、その兄には自閉症という先天性の障害がある。

ヘラルボニー立ち上げの根底がHPで記載があるので紹介させていただく。
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兄はもちろん、笑います、悲しみます、怒ります、そして、涙を流します。
敢えてカテゴライズするならば、私たち”健常者”と同じ感情を抱きながら、当たり前に毎日を平和に過ごしています。

しかし、兄はよく「可哀想」と表現されることがありました。

同じ感情を抱いているにも関わらず、なぜ「可哀想」なのだろう?
抱く感情に優劣も差別もないのではないか?
幼い頃から強い疑問を胸に、私はいつか知的障害のある方々に関わる仕事がしたいと思い生きてきました。

ヘラルボニーは、障害を敢えて特性と言い切ることで、違う視界から、違う世界を、
社会に向けてプレゼンテーションできると信じています。
カラフルな個性を纏う彼等だからこそ、生み出せる魅力があるのです。

知的障害のある人が「できない」ことを「できる」ようにするのではなく、「できない」という前提を認め合う。
社会のために彼等を順応させるのではなく、彼等の個性のために社会が順応していく。

株式会社ヘラルボニーは、そんな社会を夢みて”異彩を、放つ”福祉実験ユニットです。

(株式会社ヘラルボニーHPより抜粋)
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私たちは、この作家ファーストというところにとても共感した。


しかし、障害があるというだけで世間からの目はまだまだ冷たいこともある。
今では少なくなってきているようだが、数年前までは「障害者のアートなんて誰も興味ない」とあしらわれていたこともしばしばあったそうだ。

100%の人から支持されるものなんていうのはないことは承知の上だが、少なくとも私たちは彼らの考えに共感できる。


田﨑さん自身の想いをヘラルボニーさんも形にしてくれているのだ。

すぐさま田﨑さんの作品を使わせてほしいとお願いをした。

【田﨑さんへの私たちの想い】


幼いころから制作活動をしていた彼だが、実は一度は筆を置いている時期があった。

その理由は10年前の東日本大震災だ。

津波により、自宅、今まで描いてきた約200点の絵、親しんできた豊かな自然とそこに住む人々。

かけがえのない大切なものを彼は一瞬で失ってしまったのだ。


しかし、そんな中、彼のお父様が飛鳥さんに「言葉にできない思い、今だからこそ描かなければいけない絵があるのではないか?」と言葉をかけた。

飛鳥さんはその言葉を聞いてから再び筆をとり、作品を描くようになったのだ。

そして、今でもアーティストとして精力的に活動されている。

IWATEDOWNに使用するデザインに田﨑さんの作品も使いたいと考えたのは、震災で経験した悲惨な現実を前に「今自分にできること」を行動に移しているこういう姿を知ったからだ。


この悲劇から立ち直るのは決して簡単なことではなかったはずだ。

もしかしたら、本当はまだ深く傷ついたままなのかもしれない。

本当のところの辛さは本人たちにしか分かりえないことだ。

これからも震災当時の気持ちや記憶が消えることはないだろう。


でも、人はみんな平等に「いつ、誰が、どうなる」なんてことはわからない。

だからこそ、「今をしっかり生きて、前を向いて頑張っていく必要がある」と思う。

彼の事を知り、彼はそんな「頑張っている一人」にみえた。

震災10年目という節目で、そういう風に頑張っている方たちとこのダウンジャケットを一緒に作り上げたい。


それが私たちの想いだ。

【バックプリントに込められた想い】


作品名「森の道赤い森」
田﨑さんの住む陸前高田市は、復興のために嵩上げをする工事が始まった。その時、元の街が土の下に徐々に消えていくのを見て、以前の街並みと将来の陸前高田市の街を道に象徴として描いたのが「道シリーズ」の始まり。
道に希望を託すような表現になっており、森の小径もそのうちの一作となっている。木々の隙間から見える空の表現や道の色合いに悪戦苦闘しながら絵具を何回も重ねた。その繰り返しが力強さを表現している。

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【まとめ】


繰り返しになるが、人はみんな平等に「いつ、誰が、どうなる」なんてわからない。

だからこそ、「今をしっかり生きて、前を向いて頑張っていく必要がある」と私たちは考える。

田﨑さんはそんな頑張っている一人だ。
その姿勢に惹かれ、私たちのIWATEDOWNのデザインにぴったりと感じ使わせていただいた。

田﨑さんのデザインの入ったレディース向きのダウンジャケットはとても好評でマクアケでは一時的に予定数が完売になってしまうほどだ。

このダウンジャケットIWATEDOWNをとおして、もっと多くの方に田﨑さんとヘラルボニーさんを知っていただきたいと思っている。

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田﨑さん、そしてヘラルボニーさん、この度は本当にありがとうございました。

同じく岩手から世界へ羽ばたこうとする者としてこれからもよろしくお願いいたします。



最後までお読みいただきありがとうございました。

ではまた次の記事にて!

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