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仕事の上では対等(エッセイ)

 時には昔の話をしようか。2011年、私は大学を卒業し或る広告代理店に入社した。百年に一度の就職氷河期を乗り越えたら、卒業式間近に東日本大震災が起こり、新卒研修中は節電として部屋の蛍光灯が半分消されていた。コンプライアンスやワークライフバランスという言葉はまだ世の中に浸透していない。そんな時代の話である。

 新卒社員の価値の一つは他所の社風に染まっていないことだ。まだ無力だけれど気力に溢れた雛鳥はその会社における飛び方を素直に吸収していく。
 私は営業部に配属された。直属の上司の存在は重要なのだが、哀しいかな、雛鳥は親鳥を選べない。初めての部長は自分と真逆のタイプだった。
 部長はノリと顔が良く、テンションと統率力が高い人だった。
 学生時代はイベントサークルの代表をしていたらしい。雑談中に「仕事じゃなかったら相川みたいなタイプとは関わらないわ〜」と無邪気に笑っていた。私もそう思う。
 もちろん性格は合わない。お前って呼ばれるし、外見をイジられるし、数字をまとめている時に「ねーねー、面白い話して」と話しかけてくるし…。納会中の居酒屋で隣の女子大生グループに一万円あげちゃうし、合コンとキャバクラ大好きだし、その上「好きにさせるにはいくら積めばいいかなって考えちゃう」とかのたまっているし…。合わない理由はいくらでも列挙できた。

 しかし部長は仕事が出来た。部長が同行すれば成約率は上がるし、謝罪訪問も丸く収まる。頭の回転が早くて相談事への返答も的確だった。
(だから色々諸々許されていた感はある)

 私は初受注が一番遅かった。初めてのテレアポや提案書がスムーズに受注に繋がった同期を祝福しながら、内心は焦っていた。同行してくれる先輩達に呆れられ、部長からも見限られるのではとビクビクしていたのだ。
 自社ビルの目の前にあるコンビニを出ると乾いた風が小さなレジ袋を揺らした。季節は秋に差し掛かっていた。

 この時取り組んでいた提案書が唯一芽がありそうな案件だった。しかも案件規模は一千万円、勝ち取れれば初受注はおろか年間ノルマも達成できる。
 提案書は企画部と連携して作ることになった。社内ミーティングで与件を共有し、企画部が提案書の草案を作る。私は担当営業として提案書をチェックする。
 提案書に気になる箇所があった。クライアントは細かい与件を複数提示していたのだが、相対しない項目がある。これは網羅しなくても良いのだろうか。
 迷ったが、連日の深夜残業に疲弊していた私は提案書をそのまま上にあげることにした。企画部の担当者はベテランっぽい人だし分厚い提案書を短期間で提出してくれた。新卒の私が分かっていないだけで、提案書作成ではよくあることなのかもしれない。課長のお墨付きを貰えば安心だ。
 課長に声をかけると思わぬ返事が返ってきた。
「大事な案件だから部長が見てくれるって」
 嫌だったが仕方ない。私は部長の席に近づき提案書を差し出した。
 部長は分厚い紙の束に目を通しながら、頷いている。
「ま、あの人はちゃんとやってくれるからね〜」
 好感触だ。やはりあの企画部の人はしっかりした人なのだ。残業と初受注プレッシャーからの解放が目前となり、私は口がニヤけるのをこらえた。
「で、お前的にはどうなの?」
 部長の目が真っ直ぐにこちらを向いた。怖い。けれど懸念点を報告せずに失注する方がもっと怖い。
 私はしどろもどろに報告した。記載のない項目があるのが気になるけれど企画部はあえてそうしているのかもしれないし、新卒の私が指摘するのはおこがましいかもしれない…と。
「企画部に言え」
 感情の吐露になっていた私の長い報告に部長は端的に答えると、提案書を突っ返した。
「分かりました」
 残業ループの確定に失望したことがバレないように私がそそくさとデスクに戻ろうとした時、部長が言った。
「仕事の上では対等なんだよ」
 私は足を止めて部長に向き直る。
「新卒だからとか関係ねーんだ。思ったことはちゃんと言え」
「はい…」
 私は腑抜けた声で返事をすることしかできなかったが、部長はさらに言葉を継いだ。
「ついでに言うと俺とお前も対等だし、客と俺等も対等なんだよ。役職や金の流れはあるけどな」
「…はい。ありがとうございます」
 提案書を抱えて自席に戻り、言われたことを噛みしめた。そしてジワジワと染みて気づきに変わった。私の視点や発言にも価値はあって、それを相手に伝えてもよかったのだ。
「んじゃ、おつかれちゃーん!」
 部長の声が遠くから響いた。もう鞄を持ってフロアの出口にいた。
 私の提案書確認がその日の最後の仕事だったのだと今なら分かる。

 「仕事の上では対等」
 この言葉は私が最初にもらった武器だ。この武器は「大型初受注」や「新人賞受賞」といったフレーズよりも、その後の仕事人生でずっと役に立っている。
 親の心子知らずで部長のもとからはとっくに巣立っているが、この武器は握りしめたままだ。

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