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雑記 35 カラスウリの人

いつからか、私は「カラスウリの人」と呼ばれる。

昔、千葉に住む友人の家に遊びに行ったら、絵の材料にと知り合いがカラスウリを送ってくれた、と言う。彼女は洋画家で、段ボールの中に山ほどカラスウリが入っていた。それを少しもらって帰った。

自宅の机の上に吊るし、見ていたが、せっかく絵のために送られてきたカラスウリなのだから、私も描いてみようかと思った。
普段は、仕事の他、子供の世話、猫の世話、親との同居、日々の生活に追われて、絵を描く余裕もなかった。
人生には色々なことがある。それまで、何やかやと追われながらまずまず健康に生きてきて、病気とは縁がなかった私だが、ちょっとまずいという状態になり、手術も避けては通れなくなった。そして手術。
退院後、走り続けた普段の生活に少しブレーキがかかって、運良く、と言って良いかどうかは疑問だが、絵を描く時間ができた。

何もかも自己流であることは言わねばならない。
画用紙や水彩は子供達の残りものがあったが、世界堂に筆を買いに出かけたついでに、せっかくだから、と小さいスケッチブックと大きい画用紙を買った。カラスウリはA4サイズのスケッチブックに描いた。
色を塗る時には、筆の向き、という、使い方の常識があるらしい。行って戻って、とペンキ塗りのように塗るのを見ると、専門家は背中がムズムズするらしい。私は素人であるから、描き方も、色の付け方も、小中学校の授業の続き。

それでも、出来上がった絵は、いいね、と言ってくれる人がいた。地元の区の施設で展覧会をした時には、カラスウリの絵は、欲しいという人が多く、その場で全部貰い手がついてしまった。
1枚はフレンチレストランの入り口近くのレジのところに飾られ、案外「品よく」「美しく」壁に収まっていた。こういうのを自画自賛と言う。
そのレストランは残念なことに5年前閉店してしまったが、大切に飾ってくれていて、隣に横尾ミミの絵が並んでいた。

その展覧会の時、入院した病院の婦長さんが見に来てくれて「次は葡萄を」と言われた。入院中ベッドで絵を描いているのを見て、とても興味を持ってくれた。偶然家が近かったので、会場に来てくれたのだ。
カリンやカボチャも描いたら面白いだろう。心に留めて、葡萄が実る秋を待つより先に、親の介護で忙しくなって、何もせず17年が経った。時の経つのは早い。何もしないでいる時間が、その後のブランクを入れると、もう20年以上になる。

展覧会の時、会場に来た人が、
今となっては昔の話なのだが、
あの時カラスウリの絵を描いていた人、と覚えてくれている。

それほど付き合いもなく、関係も深くない人の名は、何度聞いても覚えにくいものだ。

普段は、私は、大抵は「猫の人」と大雑把に呼ばれて、それで通用しているのだが、以来「カラスウリの人」とも言われるようになった。

そして、秋になると、誰彼が、山に行ったら生えていたから、などと、カラスウリを届けてくれるようになった。
毎年、カラスウリが花束のように、玄関の扉にかかっていたり、郵便受けに入っていたりする。

コロナで日常の活動に大きく制限がかかるこの頃、Stay Homeで出来る鉛筆画や水彩画はそろそろ再開の「時」かな、と思う。ただ鉛筆画で描いていた猫が全ていなくなってしまったことは、残念だ。


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