八々 - やや

「やや」と思わず小さな驚きが漏れてしまうような、日々を優しく彩るメッセージをLette…

八々 - やや

「やや」と思わず小さな驚きが漏れてしまうような、日々を優しく彩るメッセージをLetterにして届けます。

マガジン

  • Brand Letter 〜日常をややよくするお手紙〜

    短いヒアリングを通してご自身の想い・誰に・何をどのように伝えていくか?をお伺いし、言葉にまとめてLetterをお届けします。

  • 心を動かされたnoteをLetterと呼びたい

    「まるで私のことを語ってくれているのでは?」と深く自分のことかのように語られたnoteを勝手ながらご紹介させていただきます。

最近の記事

  • 固定された記事

ただいま、note。そして、はじめまして。

はじめまして、八々(やや)と申します。 以前、別の名前でnoteを書いていたのですが継続できず、でもやっぱり書くことに身を置いていたくて戻ってきました。 実名のみで活動していると、すべてが自分に跳ね返ってくるのがどこか苦しくて。客観的に自分を見つめ直しながら向き合いたくて、別の名前で人格を切り分ける形でのはじまりです。 名前に込めた想いを、つらつらと綴ります。 思考を巡らせていると、「八々」と言う名前が思い浮かびました。 すこしだけ、過去の話を私自身は、受託系のホー

    • 「話す」は感情、「書く」は理性

      とあるきっかけで、少し前からラジオで一人語りを始めることになり、「話す」ことの効果を実感しています。 もともと話すことは得意ではなく書くことの方が自分の気持ちを表せるからと敬遠していましたが、もう少し冷静になって理解をしたく、こうして言葉でまとめたくなりました。 みなさんにとっての話す / 書くとは違うかもしれませんが、もしご興味ございましたら、お読みいただけますとお幸いです。 話すは一発勝負でライブ感があり、その場でつくられるもの。書くは書いた後に眺め、書き直すことが

      • 「家族だから」と言う枕詞

        「家族だから」。 無償の愛だとか繋がりだとかきれいな側面だけ語られがちですが、ときに気の許しが度を越して怠慢になることだって、あります。 愛。無条件に相手を受け入れること。これを無意識のうちに課せられるからこそ、足かせにだってなるのだと思うのです。 今日は、そんなお話を。 不思議なことに、いまは仕事での自分の振る舞いが人と付き合う上では最も心地よいと思っています。 1対1で話して、耳を傾けてあいづちをうって、話した量とおんなじ分だけ聞く。 極力、途中からこちらの話

        • 「貯める」行為そのものに惹かれているのかもしれない

          少し前からポイ活(ポイントを貯めること)にハマっており、レシートアプリで数円を貯めたり、ファミリーマートのアプリで毎日くじを引いたり、TikTok Liteでログインしてポイントをもらったり。 集めても微々たる額なのに不思議と続いているのは、もう失われてしまった「貯金箱にお金を入れる」という行為に近いのではと思いました。 自分がした行為の積み重ねが具体的に見えること。 どんな小さな行為であっても、それらは自己肯定感を与えてくれるものだと知りました。 レシートアプリで、

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        ただいま、note。そして、はじめまして。

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        • Brand Letter 〜日常をややよくするお手紙〜
          4本
        • 心を動かされたnoteをLetterと呼びたい
          3本

        記事

          「話す」が遠くなる

          知人で、会話(会って話す)にはなるけれど、対話(対等に話す)にはならない人がいて、なんでだろう?とここ最近は悶々と考えておりました。 一つのテーマが落ち着かないと次のテーマには移れず、けれどようやく客観的に整理できる手がかりが見えてきたので、こうして書くことを通して解きほぐしてみようと思います。 「話す」とは自分の意志を示すと言うことで、「話さない(=黙る)」とは自分の意志を示さないと言うこと。 よくある事件のシーンで「お前がやったんだろ?早くやったって言えよ!」と言わ

          「話す」が遠くなる

          あなたのnoteに、Letterを贈りたい

          毎日、忙しなく時間を過ごしていると、呼吸の浅さに比例するように書く/読むという行為を浅く行なってしまいます。 それはもしかしたら話す/聞くでもおんなじで、ではいつ私たちは深く物事に向き合うのだろうか?と、残念ながら不安になってしまうことだってあります。 それは誰かと深く関わることを切に願うからで、そんな祈りにも似た行いの中で感情が動かされる体験をしたいと願っています。 こんな行いに付き合ってくださる方、もしいらっしゃいましたら、あなたのnoteを読ませていただけませんか

          あなたのnoteに、Letterを贈りたい

          成功したからって、なんでも言っていいわけじゃない

          唐突なのですが、失敗してあれこれやり方を悩んでいるときに「臨機応変にやりなよ」と言われて、とても違和感を覚えました。 最後の決め台詞のように吐き捨てられたからなのか、その便利な言葉をこのタイミングで相手に突きつけるものではないのでは?と思い、今に至ります。 いっときの感情だけの不快な記憶として刻みたくなくて、どうにか俯瞰で捉えて抽象的に整理したく、こうしてnoteに認めたくなりました。 ご興味ございましたら、ご一読ください。 あなたは最近「臨機応変に」と言う言葉を使い

          成功したからって、なんでも言っていいわけじゃない

          燃え盛る炎に、数滴の雫

          「話さない」ということは、自らの意志をそこに入れないことだと思っています。 昔、欲と保身で渦巻いた職場に所属していた頃、意図的に「話さない」という態度をとっていたことを思い出しました。 自己防衛と一言で片付けるにはあまりに物足りなくて、今まで解き明かしていなかった分、なんだか言語したくなりました。 本日の導入は短いですが、これくらいにして。 「話す」ことは、自らの考えや感情を言葉にして発露することで、世界に影響を与えることだと思っています。 発信する行いなので、当然

          燃え盛る炎に、数滴の雫

          出した結果と、人との距離感

          自らの中で知らぬ間に膨れあがる「期待」とどう付き合っていくか?がこの頃、とても難しく感じます。 期待の意味を調べてみたら、こう返してくれました。 自分が想像した意味以上にかなり受け身で、自分の願いを人に丸ごと託して待つだけと言うのはいかがなものかと、すこしだけ悶々としてしまいました。 ではなぜ人は期待するのか?と考えを深めてみると、今までの結果から算出して、こうなるであろうと仮説を立てているに過ぎないのでは?と至り、この仮説に向き合ってみたくなりました。 あなたは最近

          出した結果と、人との距離感

          私が一番、私の声を聴きたがっているのだから

          最近はなかなけ書けなくて悶々としていました。 書こう書こうと思って書けないのは、明確に読んでくれる「誰か?」を想像してしまっているからで、そのせいか書くに値しないと私が思ってしまうわけで。 けれど、それは「書きたい」という欲求とは全く別の話。 どちらかと言うと、書けないときこそ言葉にしたい想いはたくさんあって、だからこそ一度書いてみると、その言葉に引っ張られて、せきをきったように感情が溢れ出す。 そうわかっていても書けないのは、やっぱり書くに値しないと思ってしまう謎の

          私が一番、私の声を聴きたがっているのだから

          読むことで、書くことに向き合いたくなるnoteたち

          書くことよりも読むことの方が多くなっても、罪悪感に苛まれなくなってきました。 昔、スポーツは「身体を動かす」ことがすべてのアクションだと思っていたけれど、徐々に「見る(観察する)」「考える」が増えてきて。 全体で見ると「スポーツをすること」には関わっていて、身体を動かすことがすべてだと思い込んでいた自分はこれでいいのか?と責める時期もありました。 けれども客観的に振り返る時間をとるからこそ、プレイする奥深さを実感できる。 それは話す/聴くもそうですし、書く/読むだって

          読むことで、書くことに向き合いたくなるnoteたち

          エッセイが読みたいんです

          日常生活が慌ただしくなってきた中で、するすると読めるのは、日常生活を淡々と綴られたエッセイでした。 どの言葉にも温度があって、目的があって、まるでその人の息づかいを受け取るような。 だからか、何か特定のものを紹介するHow toな説明文はどこかよそ行きの言葉たちに感じて、なんだか読めないのです。 まるでCMみたいに非日常なテンションで、とあるミッションを達成する佇まいで、日常に忍び込んでくる。 傷口に醤油を塗るようで、なんだか読めないのです。 * Prelude

          エッセイが読みたいんです

          すでにそこにあった、読む習慣

          noteを読むことは細々とした習慣ですが、不思議と続けられています。 なぜ?と考えてみると、すでに今までもいろんなものを読んできたのだと気づき、今こうして認めております。 学生時代は教科書を、社会人になってから空気を。 街中の看板やメールなどの単純なテキストを読むこともあれば、その場での流れを読んだり、前後の文脈を読むことだってあるのでしょう。 みなさんは日々、何を読んでいますか? * Prelude もしかしたら、書くよりも読む方が多いとさえ言えます。思い返して

          すでにそこにあった、読む習慣

          目を閉じても情景が思い浮かぶnoteたち

          読んだ分だけ書くのなら、毎日noteを書いていればそれだけ読んでいるんだなと気づかされます。 文字を読んでいるだけなのに、書いた方の気持ちが、感情が流れ込んできて夢中になる。 漫画や小説でもこの体験はあるけれど、それよりもドラマや映画に近くて、文字を読む以上に視覚や感情がうごめく感じ。 私の心の奥底に引っかかっていたものが、言葉で確かなものとして形づくられていくようで、嬉しくなって。 それでも全く同じではないのだから「私はどうだろう?」なんて考えてみて、それが次の書く

          目を閉じても情景が思い浮かぶnoteたち

          Brand Letter 〜日常をややよくするお手紙〜 (ライト)

          日頃noteを書く/読むを続けておりますが、同じく書く/読みが好きな人が多いこの場所でLetterを介したコミュニケーションをしたくて、新しい試みを始めてみようと思います。 「あなたのブランド」を一緒に考えて、手紙にしてお届けします。 だと考えています。だからこそ、誰しもがブランドと呼べるでしょう。 そんな個人の活動を後押しするお手伝いをしたくて、短いヒアリングを通してご自身の想い・誰に・何をどのように伝えていくか?をお伺いし、言葉にまとめてLetterをお届けします。

          Brand Letter 〜日常をややよくするお手紙〜 (ライト)

          Brand Letter 〜日常をややよくするお手紙〜 (スタンダード)

          日頃noteを書く/読むを続けておりますが、同じく書く/読みが好きな人が多いこの場所でLetterを介したコミュニケーションをしたくて、新しい試みを始めてみようと思います。 「あなたのブランド」を一緒に考えて、手紙にしてお届けします。 だと考えています。だからこそ、誰しもがブランドと呼べるでしょう。 そんな個人の活動を後押しするお手伝いをしたくて、短いヒアリングを通してご自身の想い・誰に・何をどのように伝えていくか?をお伺いし、言葉にまとめてLetterをお届けします。

          Brand Letter 〜日常をややよくするお手紙〜 (スタンダード)