成功したからって、なんでも言っていいわけじゃない
唐突なのですが、失敗してあれこれやり方を悩んでいるときに「臨機応変にやりなよ」と言われて、とても違和感を覚えました。
最後の決め台詞のように吐き捨てられたからなのか、その便利な言葉をこのタイミングで相手に突きつけるものではないのでは?と思い、今に至ります。
いっときの感情だけの不快な記憶として刻みたくなくて、どうにか俯瞰で捉えて抽象的に整理したく、こうしてnoteに認めたくなりました。
ご興味ございましたら、ご一読ください。
あなたは最近「臨機応変に」と言う言葉を使いましたか?または、誰かに言われましたか?
私は使ってはおらず、言われたのが今回です。
例えば、自転車を全く乗ったことがない人(例:子ども)に、すでに乗れている人(例:大人)が、「手と足でうまくバランスとるんだよ」と声をかけるような具合に。
成功した人からすると的確なアドバイスかもしれないけれど、それは成功したから言える話であって、まだ成功していない人に対しては、あまりに抽象的すぎる。
よくよく考えてみると、おそらく「臨機応変に」という言葉を使うのはいつだって成功者側が多いように思います。器用に言葉を選んでいるように見えて、失敗者には全く伝わらない。
センスがある人とない人。運動神経がいい人とない人の構図に似ているのかもしれません。
この2人の関係性を見ていくと指導者と生徒、もっと言うとマネージャー(上司)とプレイヤー(部下)と言う構造、権力の話でもあるのかなと思います。
「自分はこれでうまくいったんだから言う通りにしろよ」と言う。覆されることのない「正解」を振りかざして「不正解」を罰する正義と悪の話でもある。
成功とはある特定の狭いコミュニティや環境(=条件)において、良しとされるルールをクリアしたときに与えられるもので、例えば会社内で一番利益を上げるなど。
最も怖いのは、その成功を手にした瞬間に、失敗者に対して何を言ってもいい状況が生まれてしまうことです。
失敗者は、これを受け取るしかない。なぜなら、その状況においては彼の答えが正解であり成功なのだから。
王として君臨し続ける絶対的なルールに逆らえるはずもありません。
家庭においても、当てはまるのではないか?と思います。
例えば、子どもが泣いたとき、ママが働きかけると泣き止み、パパでは泣き止まない。結果がそう出てしまったのならば、この環境ではママが正解、パパに何を言ってもいい状況が生まれてしまいます。
こんな状況の際に、パパ側からママ側に改善のフィードバックをすることはもはや不可能で、一市民が総理大臣に意見するような構図にしかなりません。
唯一の手段は、外の世界(国)に行って対等な王という立場から嗜められたときに自らが反省することもあるかもしれませんが、ここは王の人格に委ねられる。
とは言え、成功と失敗とは狭いコミュニティや環境の中でただ良しとされているルールに基づいて下されるものなので、実は一番視野が狭くなるのは自分が正しいと信じて疑わない成功者そのもので。
そうなると一パターンしかもっていない(過去の)成功者は幅がなくなり、臨機応変などと言う言葉は使えなくなるのだと思いますが、そんな未来が来るのはいつになることやら。
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