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「家族だから」と言う枕詞

「家族だから」。

無償の愛だとか繋がりだとかきれいな側面だけ語られがちですが、ときに気の許しが度を越して怠慢になることだって、あります。

愛。無条件に相手を受け入れること。これを無意識のうちに課せられるからこそ、足かせにだってなるのだと思うのです。

今日は、そんなお話を。




不思議なことに、いまは仕事での自分の振る舞いが人と付き合う上では最も心地よいと思っています。

1対1で話して、耳を傾けてあいづちをうって、話した量とおんなじ分だけ聞く。

極力、途中からこちらの話したいことをかぶせず、相手の話・意志に耳を傾ける。相手の嫌だと思うことはしない。

これこそが、相手の存在を認め肯定するはじまりだと思うから。相手が話したそうなら聞くし、話したくなさそうなことは聞かない。

昔、仕事は準備が9割と言われたけれど、人は話す / 聞くと言う行為だって、話す / 聞く前の状態でほぼ決まっていると言えます。

場所、相手へ向き合う姿勢、話しやすく聞きやすい姿勢をつくるからこそ、本当の意味で話す / 聞くと言う行為が行われるのだと思うのです。

相手が居心地よく話せる環境づくりをどれだけできるか?たとえ自分が話したいことがあろうと聞きたいことがあろうと、相手の立場に立って、それを気持ちよく引き出させてあげるのが礼儀だから。

決して、こちらの思い通りにしようとしない。こちらの思い通りにする道具として扱わない。

昔、相手が意見を言わない / 何でもはいと聞いてもらえるからと、こちらが矢継ぎ早に言いたいことばかりを伝えてしまい苦しめてしまったことや、聞いてもらえる環境があるのに言いたいことを伝えないことで納得していると勘違いされたこと。

様々な失敗を得たからこそ、研ぎ澄まされていまのコミュニケーションに至るのですが。




「家族だから◯◯」と言う一文は、◯◯の中に何を入れても正当化されてしまう魔力がある。何をしても許される関係性。

家族だから雑に伝えてもいいし、相手の話をさえぎって自分の言いたいことを言ってもいいし、傷つける言い方をしてもいい。

家族だから。その一言で後ろの行為のすべてが全肯定されるような恐ろしい一言。

ましてや、ここに「周りの家族は△△だからうちも◇◇」となると、それは逃れようのない要望を相手に押し付けて、より恐るべき文法になります。

同じようなニュアンスで「普通は◯◯なんだからあなたも合わせなさい」と言うのは、その他大勢を味方につけつつ相手を自分の要望の中に引きずり下ろす残酷さが垣間見えます。

昔から、この「普通は◯◯」の言葉に苦しめられてきましたり

けれど、引き合いに出されたその他大勢が悪いのでは決してなく、ただ単に話者の思惑に説得力を持たせるがために使われた口実でしかないことは今では知っています。

だから自分はこのような論法で相手を自らの思い通りにはしようとは絶対にしないし、何なら「普通は◯◯だけど、あなたは△△の点で違うから、あなたらしさを考えてみましょう」として相手の個性に焦点を当てるようにしています。

良くも悪くも意味を持った枕詞だからこそ、使う人の意思を強制的に受け手に浴びせる使い方はしたくないなと思ったのでした。




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