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20201118 同じ人を撮り続ける

ひとむかし前は、「写真で一旗揚げてやろう」なんて気持ちがなかったわけでもなかった。

でも、30代を目前にすると自分の才能の無さに嫌でも気づかされる。
と同時に、写真を仕事にするというのは無理な話だなー、と腑に落ち始めている。
(とはいえ大変ありがたいことにカメラを扱う仕事には就かせてもらっているわけで、これ以上欲を出してはいけませんな)

となればまぁ、次なる写真の存在意義は「究極の自己満足」である。
片っ端から日常の光景を記録して、ふとした時間に見返す。それがまた、なかなかに楽しい。特に趣味と割り切ってからというもの、誰かに認められたいという欲がすっと消えて、撮りたい被写体をマイペースに撮るのが心地よくなってきた。

ある人が日記を書くように、自分にとっては日常の記録が写真なのだと気付かされる。
いかに孤独な私生活といえども、人とのかかわりは訪れる。その距離感の変化もまた、写真に温度を与えてくれる。

以下の写真はことしの夏に撮ったもの。被写体の女の子にはその後も無理を言って撮影にお付き合いいただいている。年の瀬にも約束を取り付けたので、ことしの撮り納めもご一緒できそうで、今から楽しみ。
どうやったら笑ってくれるかなとか、安心してくれるかなとか、人を撮るっていうのは自分の信頼度やエンターテイメント性みたいなものを試される場だなと思う。元来奥手な自分はそうやって色々な自分の側面を出すのが苦手なのだけれど、この子の笑顔を撮るためなら頑張らなきゃ!と変に張りきっちゃうから不思議なものである。

写真は人とのかかわり方を写すものであると同時にまた、写真は人とのかかわり方を変えてしまう力もあるのだなぁ。

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