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その文化は誰のものか?

2020年のオプラ・ウィンフリーのブッククラブにピックアップされていた「American Dirt」。

ページターナーな一冊で「寝不足になった」「他の文化を知るきっかけになった」「メキシコから何故移民がやってくるのか。その問題の根深さが理解できた」などというポジティブなレビューが沢山付き、瞬く間に全米ベストセラーになった反面「Cultural Appropriation」「文化の盗用」なのではないか?という指摘をきっかけに大炎上。

出版社は予定していたブックツアーをキャンセル、「ブッククラブのピックアップを考え直し」を求める、100人以上のライターがサインしたオプラ宛の書簡が公開されるなど、異例の事態に。

snsを中心に「文化の盗用」だ、という批判が今でも続いていて、レビューを書くのがとても難しい一冊だったのですが、私はこの本が「文化の盗用」にあたるとはどうしても思えず、思い切ってレビューを書いてみることにしました。

リディアはメキシコ、アカプルコで書店を経営しています。ジャーナリストの夫と8歳の息子のルカと共に、リディアは自分の人生を謳歌していましたが、彼女が暮らすアカプルコには新たな麻薬カルテルが勢力を拡大し、彼女の人生に亀裂が走り始めていました。

リディアの書店は、たとえ売れないと分かっていても彼女が人生で出会い素晴らしいと感じた本は「favorite books」とし、常に陳列していました。ある日、書店を訪れたチャーミングな紳士ハビアー。彼はリディアの「favorite books」の棚から2冊をピックアップ。

同じ本が好きな2人は一気に意気投合し、本について語り合うのですが、ハビアーはアカプルコの新勢力、麻薬カルテルのボスだ、とリディアの夫が突き止めます。

ジャーナリズムを大切にしていたリディアの夫は、その使命を全うすべくハビアーの正体を記事にします。ハビアーと語り合い、彼の性格を理解できていると信じていたリディアもこれに賛成。

ところが、この記事をきっかけにハビアーは部下にリディアとその血縁関係にある人を全て殺すように命令。バスルームに逃げ込んだリディアと息子のルカは何とか生き延び、ハビアーの勢力が届かないアメリカを目指し家族全員が惨殺された現場を後にます。

何百マイルも先の、アメリカ国境を目指すリディアとルカは、直ぐに同じように国境を目指す人たちに出会い、”死の列車”と呼ばれる貨物列車「La Bestia」に飛び乗ります。何人もの人が「La Bestia」の車輪に腕や足を挟まれ無くし脱落、そして命を落とす人も増える中、リディアとルカは果敢にアメリカ国境を目指し続けます。

そして、アメリカ国境が近づいてくるにつれて、リディアはあることに気が付きます。「皆んな、何かから逃げている…。でも本当は一体何から逃げているの?」

麻薬カルテルによる信じられない惨殺シーンから始まる本書に、私は1ページ目から引き込まれ、そのまま1日で読み切ってしまいました。特に「La Bestia 」に飛び乗ろうとする違法移民たちの描写は、手に汗を握るほどでした。

「La Bestia」は死の列車として世界的に問題視されており、私はBBCの特集を見たことがあるのですが「La Bestia 」に飛び乗る際に、足が車輪に巻き込まれ両足を切断した男性が「俺はしくじった。La Bestia に飛び乗るのに失敗したんだから、自分の首を車輪の下敷きにしなきゃならなかったのに、生き延びてしまった。勇気が出なかった」とインタビューに答えていたのが、今でも忘れられません。

「La Bestia 」で検索すると、YouTubeなどにも実際動画が沢山あり、片手を失った幼児やそのシングルマザーの映像に胸が詰まりました。

今でも影響力のある人がInstagramなどに本書をポストするとネガティブなコメントが付いているのを目にするのですが、その多くは「白人の著者が、メキシコ移民問題を利用して本を書くのは文化の盗用だ」というもの。

私が本書は「文化の盗用」にあたらないのではないか?と思う理由は、著者は他者の文化を傷つける目的で書いていないこと、他者の文化を理解しようとし、決して見下げていないこと、などがあげられます。

日本でも人気なアリアナ・グランデ。彼女が自身のヒット曲「7 Rings」のタトゥーを手に彫った際に、そのタトゥーが「七輪」だったことは記憶に新しいのですが、これもアメリカでは「文化の盗用」だ、と大炎上。しかし、アリアナはデビュー当時から「日本大好き」と話していて日本のアニメやkawaii文化などにも精通はしていなくとも理解しようとし、日本が好きだからやっているように見えて、私はむしろ歓迎すらできました。

「文化の盗用」とは本当に線引きが難しいなぁ、と思うのですが、他者の文化に理解を示さず表面的に利用し、そのプライドだけでなく経済的な利益を奪うことが「文化の盗用」だと、私は思います。

私は本書を読み切り、メキシコの移民問題について、より深く調べてみようと「無知の知」を発動させるきっかけを得ました。さまざまな問題が複雑に絡み犠牲になる多くの女性に何か自分もできないだろうか?と考え始めるきっかけにもなりました。

また、本書は「フィクション」として書かれています。「フィクション」を書く権利は、その文化を”実際に”経験した人にしか与えられないのでしょうか?

私は山崎豊子さんの「二つの祖国」という第二次世界大戦開戦から東京裁判までの流れを日系アメリカ人と日本人、二つの視点から描いた小説を読み、戦争が本当に何も生み出さなかったことを心底理解しました。

そして山崎豊子さんが、小説を書くために戦争体験者を丁寧に取材したインタビューを読み、目頭が熱くなりました。

優れたフィクションの良いところは、自分ではない他者の人生を擬似体験できるとことだと思っているので、「America Dirt」は「フィクションとして」優れていると、私は思う。

本書だけでなく最近見聞きする「文化の盗用」に対する批判による作品の修正は、正直あまり賛成できないものも多いのですが、理由は上記に述べた「経済的利益」を奪っているのだろうか?という点に尽きます。

「文化の盗用」を議論しないことは、その文化をもつ人を見下げる差別や、偏見といったステレオタイプを助長するという声があるのは理解しているのですが、それは多くの場合、受け取り手の素養によるところが大きく、ある種の”際どいもの”が消費者の声で排除された先に待つのはつまらない世界だと思う。

特に「フィクション」という文化は教科書ではないのだから、常に正しくあるより、危うくあるべきだと信じています。

他文化を理解しようと試み、移民問題を利用ではなく、その理解を世界に広げようとかなり危ういラインを書いた著者に謝意を表したい。









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