あいちトリエンナーレと表現の自由

 燃えてますわ。あいちトリエンナーレ。

 従軍慰安婦像(自称少女像)の展示や昭和天皇の御真影を燃やす映像が展示されている。それが問題であると多くの人が怒りの声を挙げていて、撤去に向けて動いているっぽい様子だ。どうなるやら。んまあ、俺の主張を書いておこうと思う。とりあえず、「あいちトリエンナーレはクソだ」という主張だけど。

現代アートってなんだろうね

 問題の作品が展示されているのは、愛知県美術館で「表現の不自由展」というものだ。世界各地でなんらかの事情により撤去された問題作を一堂に集め、展示をするという、作品そのものとその展示コンセプトがセットになったアートだ。たぶん。

 そもそも現代アートってなんなん?って思うよな。美術史を学んだ訳でもなんでもないが、俺の解釈は「アイデアを楽しむもの」だと思ってる。上手な絵とか、奇抜な表現とかじゃなくて、考え方や概念の面白さを楽しむもんじゃねえかなって。

 既製品の便器を置いて「美術館にあってタイトルあればみんな美術だと思うんだろwww」みたいなシニカルなもの。あるいは、缶詰のラベルを内側に貼り付けて「今あなたがいる場所が缶詰の内側です」と定義してみたり。面白いと思うかは個々の判断に任せるが、俺はそういう視点を楽しいと思ってる。

 今回の「表現の不自由展」というのもその類だろう、どうせ。「撤去されたものを一堂に展示する→炎上する→ほら不自由でしょ」みたいな。まぁでもさ、それってもはや現代アートっていうより古典じゃね?よくある。アイデアがないし、その手のコンセプトはもう面白いと思わない。

問題となった作品の評価

 作品自体の評価はクソだよ。論じるまでもなく。

 それで終わるのはアレだから書くけども、慰安婦像については何が面白いの。紙粘土の作品じゃねぇんだから。で、昭和天皇の御真影を燃やすアート。いや、これも何が面白いの。ただひたすら気分が悪いだけだ。

 アートと言えるか否か、については明確な線引きがないから限定しない。本人がアートと言い張ればアートだろう。ただ個人的な感想としては、「アイデアがない」だ。

「慰安婦像ではない」と主張

 芸術祭の広報担当者はメディアの取材にそう説明しているらしい。テーマも異なる、平和の像だ、と。

 んなわけあるか。何が平和の少女像だ。ルーツを一から説明する気はないが、作品の説明文を引用しておく。

本作は「慰安婦」被害者の人権と名誉を回復するため在韓日本大使館前で20年続いてきた水曜デモ1000回を記念し、当事者の意志と女性の人権の闘いを称え継承する追悼碑として市民団体が構想し市民の募金で建てられた。最大の特徴は、観る人と意思疎通できるようにしたこと。台座は低く、椅子に座ると目の高さが少女と同じになる。それは見事に成功し、人々の心を動か公共美術パブリックアートとなった。今や《平和の少女像》は戦争と性暴力をなくすための「記憶闘争」のシンボルとして、韓国各地をはじめ、世界各地に拡散している。
制作 キム・ソギョン

 ほう、あくまで平和の像だと。
 さて、キム・ソギョンの相方で像の製作者、キム・ウンソンのコメントも引用しておこう。

少女像は数十年間胸の中に隠していた恨みを取り出して、日本の蛮行を責める慰安婦被害者の勇気を尊重するという意味で作った

 なめとんか

 像については轢死事件被害者の少女で、それらを転用したとする説もあるが、ぶっちゃけキナ臭い情報だと思う。根拠が見つからない。

 キム・ソギョンの作品説明には「水曜デモ1000回を記念して作られた」と書いているように、大使館前に設置された像を指している。キム・ウンソンのコメントもソレに向けられたコメントだ。

 少女像と慰安婦像は「別の物」と思っている人も多いかもしれない。でも同じだ。コンセプトによって呼称を使い分けているわけでもないし、少女像をモチーフにして慰安婦像を作ったわけでもないし、最初の1つ目以降の像は平和の少女像になるわけでもない。全て同じだ。

 韓国は少女像と呼び海外でもそう流通させている。一方、同じものを日本は慰安婦像と呼んでいる。それだけだ。そして、像は水曜デモ1000回を記念して日本大使館の前に置かれ、日本へのヘイト感情のもとに企画・制作されたものである。これを「反日の象徴ではない」「慰安婦像とは別」というのは苦しすぎる。

 まー2兆歩くらい譲って少女像と慰安婦像は別だ!と言い張るのを採用したとしよう。

だったら別人をモチーフにしろ!髪型変えろ!アホか!

「昭和天皇はモチーフにしていない」と主張

 昭和天皇の御真影を燃やした作品について。芸術祭の広報担当者は、「昭和天皇はモチーフにしていない」「見た人がそう思われたのかもしれない」「制作過程においても燃やした事実はない」と。ふーん。

制作者による作品解説
自分から外へ外へ拡散していく自分自身の肖像だろうと思うイマジネーションと、中へ中へと非常に収斂していく求心的な天皇の空洞の部分、そういう天皇と拡散していくイマジネーションとしての自分、求心的な収斂していく天皇のイマジネーション、つくり上げられたイマジネーションとしての天皇と拡散する自分との二つの攻めぎあいの葛藤の中に、一つの空間ができ上がるのではないかと思ったわけです。
制作 大浦信行

広報担当者は眼科か公文式に通え

 おもっくそ昭和天皇をモチーフにしてるやんけ。そういう嘘はしんどすぎるだろう。

 というか、説明しなきゃ成立しないアートってなんだよ。説明してるのにわからんけど。

慰安婦像の展示が良くない理由

 これは単純で、今なお国家間で意見が対立している懸案で、制作者の意図も明確にプロパガンダであることが明らかだから。

 政治的な主張を作品に反映させることはあるし、否定しないが、虚偽の情報を流布したり、日本を貶めるプロパガンダとして未だ慰安婦像は現役選手だよね。

 それをコンセプトはどうあれ、公金を投入して展示・保護する理由が全くわからないし(まだ支払われていないとの情報あり)、その税金の使い方に納得いかない国民・県民がいるのは当然だろうと思う。

 そして俺は愛知県民だ。納得いかない。

 ただ、条件付きで許容できる。

 1つは、不可逆的に解決している事実を韓国が納得し、完全終了していた場合。つまり、慰安婦問題がすべて過去のものとなっていたら俺はそれほど問題視はしないと思う。現在進行形のプロパガンダを日本に持ち込むのはありえない、ということ。

 2つめが、「世界のプロパガンダ展」みたいなコンセプトだった場合。プロパガンダに利用されたアートを、その背景と事実関係の解説とともに展示されれば、単純に興味があるし、その並びに慰安婦像があったら面白いとさえ思うかもしれない。ただアートというニュアンスは薄らぐけど。

昭和天皇の御真影を燃やすのがダメな理由

 いや、国の象徴を燃やしたらお前…ダメだろうよ。これ論理的な説明いるかね?富士山を燃やしたらダメじゃん。伊勢神宮を燃やしたらダメじゃん。それって、器物損壊だなんだって法律論以前に、「みんなが大事にしてるものにそういうことしちゃダメ」ってDNDレベルで感じるもんだと思うんだよな。

 で、そういうものを「アート」として、県民、市民からかき集めた金の一部をぶっ込んで展示するってさ、どうなのよ。嫌だよ普通に。

作品撤去に賛成か反対か

 これすごい微妙なんだよね。多分伝わりにくい。抗議やクレーム、批判は、あって然るべきというか、芸術って常に賛否あるわけで当然だと思ってる。

 ただ、それを理由に芸術祭の中止や撤去の推奨は一切しない。かといって、無理に継続しろとも思わない。最終的な判断は主催側、愛知県にあるわけだから、その判断を尊重する。

 クレームも抗議も批判も織り込み済みで、それでも展示の正当性があるのだと思うなら、税金の使い方として価値があると思うなら、堂々とその意思を示して継続すればいいと思ってる。「表現の不自由展」のコンセプトを理解してほしいなら、それを丁寧に発信し続けるべきだろう。

 ただ、批判や抗議の内容を見聞きして「確かに」と納得する形で、撤去を決めたのであれば、それはそれで尊重する。これは政府の検閲や口を挟む行為ではなく、市民の要望によるものであることは忘れてはいけない。

作品撤去は表現の自由を奪うのか

 んなわけあるか。なんだそれ。

 作品はゲロきもいし、コンセプトは古臭いし、俺らの金を使われてるのもムカつく。ただ、違法でない限り、「その表現が存在し発表されること」自体は否定しない。許容する。

 展示する場所、展示のコンセプト、そして今回の場合はお金の使われ方。それぞれでコンセンサスが取れた状態で展示に至るのが普通だ。それが社会生活ってもんだ。

 「世界のうんこ展」なのに「裸婦の肖像」を飾ることはできない(普通は)し、友人から「3日何も食べてないんだ」とお金を借りて個展を開いたら普通に怒られるだろ。それで撤去や中止に至ったとしても、それは表現の不自由とはいわない。

 それに、表現自体が規制されているわけでも、発表が規制されたわけでもない。その場、芸術祭にふさわしくないというだけで、発表する場は他にいくらでもある。街のギャラリー、路上(許可とってね)、SNSなんでもいい。発表するだけで規制されてとっ捕まることなんてない。

 表現の自由は担保されている。

最後に

 この件で、「どんな作品でも撤去だけはしてはいけない、それが表現の自由だからだ!」という人たち

福島の「サン・チャイルド」という防護服を着たモニュメントが福島の人々を傷つけるとして撤去された時、「撤去しては行けない」と言いましたか?

保守系の論客・作家のイベントを脅迫やテロ予告などで中止に追い込んだ時、同じ熱量で批判しましたか?

過激な嫌韓活動家のプラカードやポスター、コラージュを、同じように表現の自由として、あなたのお金の一部を使って保護できますか?

ご自身の言動を振り返って、今一度じっくり考えて見てください。

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