2020年8月の記事一覧
僕の体験した東京の90年代 第8回 小沢健二 日比谷野外音楽堂への想い
小沢健二のマネージメントをすることになった僕だが、
オリジナル・ラヴの時のように全てプロデュースすることはなかった。
もちろん様々なアイデアは出したけれど。
天気読みのデモ、そしてレコード会社との契約、早速アルバムのレコーディングに入っていた。
小沢健二デビューにあたり、フリッパーズ・ギター時代を知る多くのファン、更なる音楽ファンに、なにが新鮮に映るかを考えていた日々だった。
僕の体験した東京の90年代 第7回 小沢健二
富ヶ谷にあった僕の事務所は地下にあって、ちょっとした異空間だった。
初めての自分だけの場所。
それは幼少期から作っていた「基地」だったかもしれない。
「宇宙」をテーマに。
デスク・スペースには銀色の鉄板がテーブル代わりに。
そこに60年代に実際に使用されていた電話、とアクリルで出来た椅子。
そこに僕が東急ハンズで毎日のように買ってきたホワイト、ピンク、ブルーの風船が膝丈くらいまでに。
それをか
僕の体験した東京の90年代 第6回 オリジナル・ラヴ のプロデュース、マネージメントを終了するまで。
1991年11月20日にセカンド・シングル「月の裏で会いましょう -Let's go to the darkside of the moon-」が発売。
この曲は高城剛が初めて監督したテレビ番組「BANANACHIPS LOVE」の主題歌にタイアップが決まって、さらに認知度が高まった。
でもこの辺りから、これから自分は芸能界の仕事をしていくのだろうか?と葛藤が生まれ、のちに離れることに繋がってい