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みんな思い込みで生きている

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。
そこからいろいろと私の学び直しが始まりました。

思い込みからのミス

"思い込みで生きている"と感じることが私の日々のなかでたくさんあり、仕事でのミスでは、確認が甘かったり、ちょっとの違いを見逃す時、思い込みで見てしまってることがほどんどです。

誰にでもあると思えることが救いになる

そんな思い込みでのミスは、ないに越したことはないのだけれど
”誰にでもある”と思えることで少しは救いになります
ミスをすると誰でも落ち込むけれど それを引きずっていたら次の仕事ができなくなるし、いくら言葉で「起こったことはしょうがない気持ちを切り替えよう」と言われても、人にもよるでしょうが 「はい、そうします」とはならなりません。
その落ち込む気持ちをみんなで共有できたら、気持ちが少し軽くなります。
みんなとはいかなくても1人でも共有、共感できる人がいるだけで違うのだろうと思います。
他の人のミスでも”自分でもありること”と思えると、「誰にでもあるよ、次は気をつけようね」と言えます。それって大事だと思います。
仕事が完璧にできる人ほど人のミスを許せないのかもしれません。
けれども仕事ができて、人のフォローもできる人もいます。
(仕事ができない上に人を責める人は論外ですが)
その差はなんなんでしょう?
平気で責める人がいがいる職場は、居心地が悪いです。
ここはやっぱり”類は友を呼ぶ”で 私は同じような人がいる職場が居心地がいいです。
今の自分の職場は”思い込みミス”が発生したり未然に気付いた時など
「(思い込んじゃうこと)あるよ、ある、人間なんだから」と言い合える職場です。
ミスをしないような完璧な仕事をする人たちの職場はきっと効率がよいのでしょう。けれど私はミスをしてしまう人間なのでそんな中で仕事をしてたら精神が持たないです。

娘の職場も今私が働いているようなところだったら、粘り強くフォローしてくれる人が一人でもいるようなところだったら病んだりしなかったのかも、と思うようになりました。
この2年間「たら」「れば」ばかりです。

みんな思い込みで生きていてその度合いがそれぞれ違うだけなのに。

人生で最大の反省すべき思い込み

自分の人生の中で一番反省すべき思い込みが、子供にたいしての思い込みだったと今は思っています。
生きづらいだろうという思い込み
でもなんとかなるという思い込み
頑固だという思い込み
相性が悪いという思い込み
人は変わらない みんな一瞬先も同じ人なんて思い込み

一瞬先は全然違った人になってる

対人関係でもよくあるのが目の前の人への思い込みです

今なら”一瞬先には違う人になる人がいる”という考えができるようになりました
すごく嫌な人感じの人でも、次の瞬間その人の違う面が見えると、先に感じていたのとは全く別の人がそこにいる

自分もそうです、一瞬で気持ちが変わる時がある
楽しい気分でいても一瞬で落ち込んだり
重い気分でいても次の瞬間には楽しくなっていたり
こう書いてると危ない人みたいだけどw
でも、落ち込んでたり気持ちが重い時はそれがわかるので
気持ちを浮かせるコツもなんとなく掴めてきました。

目の前にいる人に関しても、笑っていたかと思ってたらも、次の瞬間に怒っていたり、塞いでいたり
落ち込んでいても、次の瞬間笑っていたり

前の日に言ったことと次の日に言ってることが違ったり
(きっと一晩経って、いろいろ考えて思い直すこともあると思います)

そんな人ばかりではないのだろうけど、そういう人もいるというのを理解してるだけでも違うと思います。

当たり前なことではあるけれど、思い込みの他にある 目がいかなかったところには思いもしないことがたくさんあること。
それは今回の次女のことが起こって確信できたことです。

最後まで読んでいただきましてありがとうございます

#未来のためにできること #他者への理解を深めること

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