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キャリアコーチングの大義と3つの課題

最近、キャリアコーチングという業界が伸びているという話を聞く。

これは背景として、次のような背景があると思う。

  • 個人主義が進む流れで、より自分にあった仕事があるという考えの普及

  • 転職で年収を上げるという考え方が普及

  • 転職のネガティブなイメージの低下

キャリアコーチングとは、何かといえば、おそらく次のようなものだ。

まずは、自己分析を徹底して自分の経験や能力、素養などを沢山の項目で視覚化する。

キャリアコーチング会社は同様に仕事に必要な要件(能力や経験、素養、正確)などのデータももっている。

そして、キャリアコーチング会社は、視覚化した顧客のデータと仕事の求人票データをマッチングし、提案する、みたいなこと。

以前、「求人票の進化」と「個人来歴データの蓄積」の未来について以下の記事で書いたが、キャリアコーチングというのはまさにこの未来に突き進むための動きだといえる。

この考え方自体は社会的に考えて良いことだと思う。
なぜなら、善悪の基準が金銭的価値や社会地位のような強力なゲームに収束されず、自分の過去や経験に「最適なもの」が善という価値観になるからだ。

ただ、このキャリアコーチングについて、3つ懸念点があるのでメモしておきたい。

まず、解像度が荒すぎないか?という視点。
今行われているキャリアコーチングとは、人と話すのが好き、というアンケート回答で、営業の仕事をおすすめされる、というようなものだ。もう少し沢山の観点があるだろうが、それでも解像度は粗く、実態をどれだけ捉えられているかわからない。

人間を1000個の観点で特徴づけたとしても、まだ解像度は荒い。人間、何かの固定した特徴の束なわけでもないし、常に流動している。

2点目は、キャリアコーチングを提供してい人や事業者が十分に幅広くかつ、深く世の中に存在している求人を理解しているのか?ということ。たいして、経験もない20,30代の人がちょっとしたインタビューとか調査で世の中の仕事の全体をつかめるとは思えない。

最後はより本質的なもの。
私自信、「キャリア」という概念が大嫌いで今まで自分事としては使ったことがない。仕事は人生の大半を占めるので重要だが、われわれの人生の土台は意識体験であり、その中には日々の生活やプライベートやその他の領域が沢山ある。

価値不在の現代において、「キャリア」といういくつもの前提の上に成り立つ概念では本質に到達できない。意識体験という根本から見直さないと本質的な問題解決にはならない。


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