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「キャリア」とか言わずに、価値あるものを創造すればどうか?

最近、転職のブームなのか、転職とかキャリアという語を聞くことが何回かあった。

私は、「キャリア」という語が好きではないし、これまで一度もそういう軸で自分が何をするかを考えたことがない。

ここでいうキャリアは、官僚の意味ではなく、履歴書をきれいにして転職したりしてより高い年収を求め、より高水準の生活をする、みたいなことだ。

こんな打算的な生き方面白くないだろう。

そもそも、原理的に考えたら、これはそうとう表面的な考え方だ。

われわれ人類は、<世界>というカオスに放たれており、その荒野に立ち向かって生存しようとする存在である。

原始的な生活を考えてみるといい。

狩猟採集で、その日暮らし。毎日、生きるか死ぬかの生活をしている。

原点にはそれがある。

その後、食料や外的な環境の危険に打ち勝つために、社会が生まれ、高度に発展してきた。

今では、日本などは生活保護のような仕組みがあり、何もしなくても生きていける状態が実現している。

昔は、身体に障害があれば、即死を意味していたが、そういう不確実性を高度な社会が支えている。

では、われわれは何をすべきか?

原始的な社会で、獲物を狩ったり、植物や果物など探しに行くような営みは、原理的にずっとやり続ける必要がある。

現代で、イノシシを追う必要はないが、その代わりに、社会にとって価値あるものを創造することは求められている。

これは労働の義務とかそういう法的な話ではない。

この世に生まれてきた時点で、自分の個体保存は自己責任であるのは間違いない。

高度な社会のおかげで、サポートが無償で得られたとしても、やはり、根本的には自分で生きていくという図式は変わらない。

人間社会において、生きていくには、狩猟採集は必要ないが、その高度な社会が価値と認める何かを創造することは、誰でもめがけていきるべきだ。

それが基本にあるので、キャリアどうこうではなく、価値あるものを創造するという視点がより原理的なだと思う。

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