コンサルの仕事が始まってから3ヶ月弱、新卒の僕が思うこと。イライラとその対策(笑)
ちょっと前にこんなことを書いていた
社会人が背負っている責任
同期からの質問と書く訳
昨日一昨日と、同期二人くらいに別々にnote最近は書いてないの?と聞かれた。自分の答えは、「書きたいことが湧き上がってきたら書く」だった。
これってすなわち、もやもやすることに対して、書くことでなんらかの答えが出したい瞬間なんじゃないか?と思った。
それでいくと、今日はたくさんのことを感じた。クソ、と思ったし、納得いかないと思ったし、自分がポンコツでイラついた。
指摘内容がクソ
クソだと思ったのは、自分がリーダーとして任せてもらっている「案件振り返りプレゼン(対事業部メンバー)」の資料の最終化レビューのとき。レビュー内容は、自分からすると、あんまり大事じゃなかった。体裁のことばっかりたくさん指摘された。大きな流れはOKなのに。
言っていることはわかる。
全部フォントや文字の大きさがキレイに揃っているのも大事。でも、そこって、見ている人はそんなに気にしているんだろうか?別に、前のページと細かーい部分でフォントが2ポイントズレていても、正直どうでもいいだろう。
ちゃんとプレゼンで伝えるべきことが伝わっているのであれば。それが一番大事なはず。優先順位の話で行くと、細かい部分よりは、大事な情報を漏れなく過不足なく伝えられるような発表にするためにエネルギーを使いたい。
色のことだって、オレンジ(濃い目)が赤と比べて、白の背景でみにくいのはわかる。でも、こんなの好みの次元じゃないか?プレゼンを聞いてくれる人が読めないことはあり得ない。よっぽど見えないなら良いけど、しっかり通常の視力の人に見えればええやん?と思う。
体言止め、これは俺の方が聞き手思いだと思う。資料が独り歩きしても意味がわかることも、配る資料なら大事だけども、今回は投影して話すスライドだ。文字で全部書くなら、読んでもらえば済むじゃん?という話になる。資料とはこうあるべき論で争っても、平行線だ。でも、自分は新卒だから、上司のアドバイスを即却下する立場にはない。腹立つ。
スケジュールを最初に見たい人もいれば、何を成果物として納品したのかを先にみてからスケジュールを見たい人もいておかしくない。ここは自分の主観と、話しやすさから、後者を選んでみた。でも、レビューで待っていたのは真っ向からの否定。「それって、なんでなんですか?」と聞いても、「スケジュールみたいな全体像は最初にみせるもの。マクロ→ミクロ。」とだけ。「なんで?」って聞いてるのに。結局主観だろうが、バカ。
まあこんな「細かくて本質じゃないこと」でnoteを書いている笠井康弘が一番バカなのかもしれないけれど。(面倒くさがり過ぎるから、大事なことを大事じゃないと言ってしまっているだけ?)でも、書きたいエネルギーが湧いてくるんだから、俺にとっては細かいけど、大事なことなのだと思う。
人によって、当然大事なところが違うから、難しいんですけどね。
結局、主観でしかない
全部結局は主観なんだよな。パワーポイントなんて、人の好みに左右されまくる。上司によってもこだわりが違うし、方針もバラバラ。ある程度のやり方は共通してくるにしても、最後は感性とかセンスの世界。写真とか文章と一緒で、どっちがいいかの優劣の判断の明確な基準なんてない。
大衆に聞いてみて、多数決で多かったほうが優れている?まあ、「支持者の数=優れている」ならそうなんだろうけど、そうとも限らない。自分の感性として、譲れない部分をしっかり守れているアートとか表現って、俺は優れていて、カッコいいと思う。だけど、やっぱりすごく感覚的だし、それに理由や甲乙をつけるのは難しい。
パワーポイントってアートだと思う。人の感性が出る。「正解」は複数あると思う。自分は、写真だけが出てきて、それらを言葉で上手くつなげるようなスタイルが大好き。でも、人によっては「なんてガサツな」と感じるだろう。だから、万人受けなんて無理。そう考えると、聞いてくれる人全員にぶっ刺さるパワーポイント発表なんて、目指すのが間違いだ。
顧客第一とか、相手目線とか言うし、それも大事。なんだけども、自分を持った上でそれらを考慮しないとね?多くの意見に振り回された挙げ句、誰にも刺さらない、及第点ちょっと下のものが出来上がっちゃうんじゃない?
チームメンバーの意見の方向性が真っ二つに割れていて、その両サイドが頷けるモノにするということは、妥協点で諦めることに思えてならない。やっぱり自分の中のこだわりとか譲れない部分は大事にした方が良いんじゃないか?発表する人間が自分の責任で、方向性を打ち出す。ウケが悪くても、それは発表者の評判に響くだけ。
好き勝手出来ない理由
こんな風に言いたいんだけど、今回の難しい部分は、「俺だけの発表じゃない」というところ。「チームの発表」だから、みんなが納得できる内容でなければならない。表紙には発表者、笠井以外の名前も載る。チームリーダーがこのチームメンバーを率いて、一番大きな責任を抱えながらやってきた案件。それの振り返りだから、彼が納得できる内容、伝え方、資料じゃないといけない。
でも、自分が資料作成もするし、発表も行う。あー、自分の発表のようでそうじゃない。だから、周りのメンバーの言う事を一蹴して、「いや、俺の発表だから好きにさせてくれ」とは言えない。
もっと自分が信頼されていて「こいつなら任せといても、いい感じでやってくれる」って思われていたら、話は違うんだろう。だが、まだ新卒の自分は全然実績もないし、信用してもらえていない。実力が証明できていないのに、好き勝手させてくれだなんてことは許されない。
「任せた」=「文句言う権利の放棄」
けど、よく考えてみたら、「振り返り発表は任せた」となんの注文もなく言っている時点で、俺のやり方に文句を言う権利ってそんなにないんじゃないか?文句言うなら、最初から「絶対に文句を言いたくならないような素晴らしい構成案」でもよこして「これベースでいい感じで頼む」とでも言ってくれたらいいのに。
だから腹が立つんだ。優柔不断な友達とご飯を食べに行くときに、「もう任せた!なんでもいいよ」って言われて自分が選んだ店が、ちょっと不味くても、その優柔不断な友達に文句を言う権利はない。だったら自分で文句ないところ選べよ?って話だ。
例えば話が適切だったかはわからんが、仕事も一緒じゃないか?
新卒だから、信用されていないのはわかる。でも、任せるって言う以上は信じて任せてみるのが筋じゃないのか?こっちだって色々考えて、自分がいいと思ったものを出しているんだから、頭ごなしに否定されたら楽しくない。建設的な改善案はウェルカムだけども。
減点方式でのアラ探しみたいなことされたら、イライラする。じゃあ、言っているそばですぐ直せよ。今、黙って座って俺のスライドを見ながらちょっと話聞いている間、ちょっと手を動かしてフォントのズレを2~3個所直してくれたったって、バチは当たらない。なんで俺が全部直すの?俺は良いと思って、このスライドで行こうと思って準備してるんだから、あんたたち目線での「アラ」なんてどうでもいいんだわ。そう思ってしまう。
聞き手を前に発表してみて、【チーム内での「アラ探し」で見つかった部分が気になってしょうがなかった、発表を通して何が伝えたいのかわからなかった」】なんて言われたら、さすがに反省して直そうかなと思うけれど、それはないんじゃねえか?
「好き勝手」できるけどできない
今回のシチュエーションでは、好き勝手できないと思ってたけど、好き勝手させてもらって当然なのかも知れない。でも、これも二分論では語れない話で、「いい塩梅が大事」というベタな結論に帰着する。
冒頭で書いた「社会人が背負っている責任」という目次の内容に舞い戻りたい。お客様がいて、お金を貰っている以上は、相手が満足行くようにやらねばならない。
金と責任と決定権の関係性
顧客に「誰の金(コンサル代)だと思ってるんだ?」なんて言われたら、おしまいだ。好き勝手やらせて、望んでいた結果が出なかっただなんて言われた日には、クビだ。
チームリーダーにも「誰のチームだと思ってんだ?最後にメンバーの尻拭いをするのは俺だからな?」とか言われたら。終わりだ。
何も言い返せない。言うことを大人しく聞くしかない。
相手の言うことに説得力があるならいい。納得できたらいい。さっさと自分の中での「クオリティの低い答え・こだわり」なんて捨てて、そっちに乗り換える。
無駄な議論をしたくない
でも、さっきから繰り返し言っている「主観でしかない」話で平行線を辿るのはゴメンだ。そんなところで言い争いたくない。だって、どっちでも良いんだから。
正解なんて、さっきからのプレゼン話でいくと、聞いてる人の感性・好み・気分次第だろう。どっちが正しいかなんて、2パターンで発表をして、どちらが良かったか答えてもらわない限りはわからない。仮に発表スタイルの優劣がわかったとしても、違う人たちに対して発表すると、また結果も変わったりしてくるんだろう。そんな「正解」を出す意味ってあんまりないんじゃないの?
なんだけど、お金を出していたり、多くの責任を負っている人の発言には傾斜がつく。どっちでもいい話だとしても、その人の発言が持つパワーは大きくなる。しょうがないんだけどね。パワーがある人の発言が正解になる。
感情を丸め込め、俺のバカ!
あゝ、早く誰にも指示されないで自由にやりたいわ。でも、それには実力も経験も全然足りていない。そこらが足りていない修行期間は、こういうエゴは丸め込んで黙って頑張るしかないんだろうか。きっとそうだ。(納得言っていないから、完全に黙って黙々とってのは難しい…)
くだらないところにこだわっても、エネルギーの無駄だから、大人しくパワーがある人の言いなりになればいい。それもわかる。その方が「賢い立ち振る舞い」。
でも、なんだかすごく引っかかる。許せない。これが尖りってやつなんだろう。精神年齢の低さなんだろう。でも、こうやって書くと、「無駄な怒り」は落ち着いてくる。客観的に見ると、元からわかってはいるんだけど、2倍くらい馬鹿らしく思えてくるから。「変なところに怒りのエネルギー使ってすり減るなよ〜?バカか〜?」ってな具合に。うん、落ち着け?
歯向かって自分のこだわりを守り抜く身分に自分はないし、色々な経験がある先輩たちの言うことはとりあえず1回は聞いてみてから「クソだ」という最終判断を下すなら下した方が良い。
自分のこの性格は昔からで結構困ったちゃんだ。思うようにならないとき、すごいイライラする。でも、逆に苛立ちがパワーになることも事実。この特性を上手く手なづけつつ、仕事もおもろくやっていきたいもんだ。
三方よし、みんなを喜ばせるゲーム
一つ思った、「仕事は人を喜ばせるゲーム」ととある人(頭がすごく良い、仕事一色な人)が言っていた。それで行けば、多少の我慢をしてでも、チーム全員が笑顔になってくれるんだったら、こんな犠牲は屁でもないのかも知れない。チーム内でも「満足度の最大化」を考えたうえで、プレゼンを聞く人たちにも最大限満足してもらおう。そこと自分のこだわりも上手く折り合いをつけれたら完璧だ。完璧主義はよくないって言われるけど、こういう三方良しみたいな発想で完璧にこだわることは、みんなの幸せ(楽しい毎日)に繋がる気がするから、大事にしたい。自分のクビを締めない範囲でね。
みんな「共通の判断基準」で話そ?
こういう軸となる「判断基準」を自分の主観の外側に持つことって大事だなって思った。主観ベースで言い合っても無駄(エンドレス)だけど、「お客様のためにはこれが良いと思う、なぜなら…」って話が出来たら、みんなのエネルギーが同じ方向に向くから、変なところですり減らなくて良い。
これをやっていても、やっぱり主観的な話は混ざってくるんだろう。けど、「お客さんのこと考えると、そこってもはや好みの話で、どうでもいいのかもね?」みたいな展開になりそうな気がする。ちょっと試してみようかな。
さいごに:感謝+これから
珍しく1時間20分くらいずっと音楽を聞きながら文章を書いていた。長くなってしまったけれど、読んでくれた人、感謝です。
酷く醜い愚痴になってしまったけど、大前提、自分のためにレビューの時間を取って、チームとしてのGOサインが出せるような資料に仕上げる手伝いを協力的にしてくれるチームメンバーには感謝している。思うことはたくさんあるし、ぶっちゃけ文句を言いたいことはたくさんあるけれど、感謝していることだってたくさんある。自分が斜めに見てしまっているから、愛に感じられないだけで、本当は愛を持って指導してくださっているんだと思う。
俺が「正解」な部分もあれば、チームメンバーが言うことが「正解」な部分もあると思う。でも、「正解」なんてなくて、「最善」で良いんだもんね。それこそ【「どっちが正解」かの言い争い】よりは【「なにが最善か」の話し合い】をしたい。
書いたらスッキリした気がする。まあ、二度とこの記事に書いた内容みたいな「気分が良くはならない考え事」を繰り返さなくて済むようにしたい。だから、今回書いていて出てきた「自分なりの最善」を今は信じてやってみよう。
仕事は、みんなでハッピーにやりたい。その方が毎日の充実度が上がるから。頭使って、話したくないこともしっかり伝え合って、いい感じでやりたい。その一心なんだよな。
また色々書き始めちゃった、でも、これは趣味だから「結論ファースト」とか「で、結局何が言いたいの?」と詰められる恐れはない。ああよかった笑
今日はもう疲れてきたからこれくらいで。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋
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