子供の喜ぶ姿が全てだと思ってます。
まだ世界がこんな事態になる前、普通に学校があった時期、仕事を休ませてもらって娘の小学校の授業参観に行った時の話です。
保育園時代のお迎えの際にも何度か体験したのですが、多数の子供を前にすると時々不思議なことが起こります。
授業が終わって休み時間に入った時、顔も名前も知らない初対面の子供たちが、ぼくに駆け寄ってきて猛烈な勢いで話しかけてくる。
近所に住む親戚を含めた自分の家族構成を一生懸命説明してくれたり、習い事のサッカーの様子について詳しく教えてくれたり。そんな様子を見てさらに知らない子が寄ってきて、抱っこしてくれ! 力こぶ作ってみて!腕の力で自分を持ち上げてみて! とか。
ぼくは元々子供好きなので、そんな全てがとっても微笑ましい幸せな時間なんですね。
変な顔して!とか、無茶なリクエストにも出来る限り全て応えてあげるんですが、初対面の子供たちが猛烈な勢いで寄って来てくれるあれは一体何なんだろうと。
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子供たちがそうやって勢いよく寄って来てくれる理由はよく分からないんだけど、ただ、そういう時の自分は「良い状態」なんだと思ってます。
ぼくは昔から日々の自分の状態を自分自身で正確に把握するというのが少し苦手で、今日は調子がいいなーなんて思っていても友達との雑談が弾まなかったり、相手の表情が少しこわばって見えたりなんてことがたまにあります。
逆に、今日はなんか疲れてるなって自分で思っている時に、会話してる相手が笑顔だったりリラックスした表情だったりする。
そうして、相手の様子を見ることでその時の自分の状態を知るということが昔から多々ありました。
小さい子供って、利害関係や駆け引き、本音と建前みたいなややこしい世界とは無縁の純粋さで満たされてますよね。
だから、子供の反応こそが自分の本当の姿を映してくれてると思うし、そんな純粋な子供たちが勢いよく寄って来てくれるというのはぼくが良い状態、心を開いてる状態なんだろうなと、良いように解釈しています。
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刺激、喜び、幸福感。
蓋を外して始めてコップに水を注げるように、心を開いて始めて自分に入って来るものがある。
心を開いた自分に入ってきたそれらが、また目の前の子供を喜ばせる。そうして、交流が生まれる。他人との交流は心を開くことから始まる。
子供と接して喜びを感じる時、それと同じ喜びを子供が共有してくれてると感じる時、そこに心の交流を感じ取れます。
人は、そんな交流を感じ取れない状態が続くと寂しすぎてその辛さに耐えれない生き物だとぼくは思っていて、だから、そんな交流こそが人間関係の原型なんだと思ってます。
世間体とか他人の目とか恥ずかしさなんてものは一旦棚上げにして、素の自分と接した子供が笑顔で心から喜んでくれてるなら、本当に大切なことはそこにあるのかなって思うんですよね。
生きていく上で本当に大切なものはそこにある、って。
だから、娘に限らず自分が接する子供の笑顔を見ていたいし、目一杯楽しませてあげたいって、いつも思ってます。
子供の喜ぶ姿、それが全てなんだろうなって思ってます。
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