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11/29 投げ銭時代

まさかとは思っていたが、「11月のエッセイマガジン作るぞ!」とウキウキして昨日『2018年11月』のマガジン作ったら、もう明日で11月終わる。どういうことなの?

今日もまた、ツイッタランド(Twitter)に呟きながらブログを2本書いて、YouTubeに誰も見ないマイナーゲームの実況をUPして、こうしてnoteを書く。毎日この繰り返しをする気満々なのだけど、これが仕事になるかならないかは、熱意あってこの文章を書いているかどうかとまた違う軸にある。


仕事っていうのは、誰かを喜ばせてはじめて仕事なんだということを最近になって知った。

と、いうことは、もしわたしのこのエッセイ自体を仕事にしたいのだとしたら、わたしの文章を読んで喜んでくれる人が一定数必要だということ。逆にいえば、誰かに喜んでもらえる文章を、わたしが生み出していくということだ。

とはいえ、文章を読んだだけで人が感動したり感心したりする、というのはものすごく高いスキルだよなとわたしは思う。その文章には魔力が宿っているに違いない、つまり芥川賞をとったり直木賞をとったりするような文豪たちのように。当然、そこまでのスキルはわたしにはない、というか才能もない。と、すると文章を仕事にすることは不可能なのか?

いや、それは違う。


正直言って、たいして文章なんて上手じゃなくても、お金を稼いでいる人というのはめっちゃいる。


なんだこの世の中。

そう言いたくなる気持ちもわかる。あ、わたしが言ったのか。

人を喜ばせるために必要なのは、才能や努力だけじゃなくてもいいということだ。つまり工夫とか、知恵の類。

例えば小説家にならなくたって、このnoteで文章に値段をつけて、売ることはできる。100円の値をつけたとしても100回売れば10000円だ。2000回売ったらすでに生活できる。「いやそれが難しいんでしょう」という話だと思うが、ようは「本気で文章を仕事にしたい」と思っても、いまは本当にできちゃう世の中なんだということ。

わたしは文章だけを仕事にしようとは思っていないけど、このnoteのマガジンに値をつけて買ってくれる人がいたら嬉しいなあとは思っている。自分の文章にぜったいの自信があるわけでもないし、超有名人でもないのにも関わらず、「買ってくれる人いるんじゃないかなあ」と下心満載で値段をつける。

何故か?


勝算を感じるからだ。


ちょっと前に、よくスーパーで見かけたと思う。「⚪︎⚪︎農園の△△さんが作ってくれた大根です」のようなPOPカード。あれこそ、時代の変化を象徴しているよねと思っていたのだが、いまや個人の魅力で勝てる世の中になってきたんだ。

べつに有名人じゃなくてもいい、誰かにとって特別な人であればいい。


そうすれば、あなたの生み出した作品は、ファンにとって唯一無二のものになる。ファンは喜ぶ。すごく嬉しい。そうやってあなたのもとにお金という形で感動が流れ込み、あなたはまたファンに作品を還元する。ストリートライブの投げ銭システムが、いまはそこかしこで発生している。


個人を売る時代。自分そのものが商品として成立しちゃうんだ。その代わり、嘘はつけないし、常に等身大が要求されるからシビアな流れでもある。実力で勝負したい人にとって、またとないチャンスだ。

ということで、これまで諦めていたクリエイターたちにも、ぜひ顔をあげて一緒に全力でがんばっていこうよと言いたいし、わたしはわたしでマルチに動いていく。根っからのひきこもりなのだが、今後はリアルに人と会って繋がっていく活動も増やすつもりだ。もしどこかでお会いできた際には、優しくしてやってください。あと投げ銭してください。

11月が終わることに衝撃を受けながら……おやすみなさい。



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