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コロナ渦不染日記 #115

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三月二十九日(月)

 ○有休消化二日目、連休四日目である。だが、朝いちばんで、現場に連絡をした。連絡するまでは、「休みの日なのに仕事に関することをする」ことに、心底不満を覚えたものであるが、連絡してみれば、思いのほかすんなりとことがはこんで、来年度にむけて懸案事項であった詰まりがとれたものである。

 ○いい気分になったのも手伝って、父うさぎ叔母うさぎとともに、車で出かけることにした。ぼくたちの一族が、代々棲んでいる巣穴は、群馬県の県庁所在地である前橋にあり、まずはそこから北上して、人気だといううどん屋にむかった。

 古い、しかしおおきな平屋の民家を改造した店舗は、青空を背にして、白い漆喰が目にあざやかだった。

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 昼前の店内はまだお客もすくなく、待たずに席につけた。
「盛りを選べるのがいいんだ」
 と言うものの、数年前から炭水化物を控えている父うさぎは、いちばん麺のすくない三合を選び、叔母うさぎもそれにならう。大盛り七合を頼んだのは、相棒の下品ラビットだけで、ぼくは中間の五合にした。つけだれは、ぼくと下品ラビット、叔母うさぎが、人気の「肉汁」にして、父うさぎが「カレーうどん」を選んで、注文してから十分ていどで提供されたから、やはりピークタイムにはまだ早かったようだ。

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 これで五合、八六〇円はお手ごろだ、と思っていると、七合を頼んだ下品ラビットの前には、こんもりと白いうどんの山が置かれた。
 うどんは、基本的に太めだが、一本ずつの太さはまちまちで、田舎のうどんらしい素朴なたたずまい。もちもちとした食感で、色味から想像するより甘さしょっぱさ控えめのすっきりしたつゆが絡んで、噛むたびに、うどんとつゆ、ふたつの味が折りたたまれていく。
 叔母うさぎがかき揚げを注文して、こちらを分けてもらえば、豚肉のうかんだつゆに浸して、その味をサクサクの衣に移すことができる。父うさぎのカレーは、うどん屋のカレーなので、和風のだしがベースになっているが、一口すするとしっかりスパイスの辛さが感じられる。素朴なだけでなく、しっかりと工夫のあるうどんを堪能した。

 ○ふたたび乗りこんだ車は、さらに北上して、赤城山をめざした。

 赤城南面千本桜は、一〇〇〇本以上のソメイヨシノを植えた並木道が有名で、ほかに世界の桜と菜の花を植えた公園がある。群馬県内で、桜を見ようと出かけるなら、まずトップファイブには入るだろう、桜の名所である。
 ぼくたちとしては、まだ祖母うさぎが存命のころには、毎年、ここを目指して車で出かけた思い出がある。祖母は、亡くなる一年ほどまえまでは、かくしゃくとしていて、ぼくと下品ラビットが遊びにいくと、よくいっしょに出かけたものだった。千本桜へ花見にゆくのも、そうしたイベントの目的地のひとつ。桜を見たいというのでなく、あるいは「桜を見に行く」という毎年のルーチンをこなしているだけだったのか、概して滞在時間は短く、あるときなどは、駐車場が混んでいたために、ぐるりと見回って、一度も下車することなく帰途についたこともあった。
 もちろん、そういうことも楽しかったのだ。

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 その祖母も、もういない。桜は毎年咲くが、それは、去年とおなじ木であっても、おなじ花ではない。われわれの命は花であるか、それとも木であるか。個人が花で、血筋が、家が、種族が木であるか。

 ○夜は、田舎穴ではひさしぶりに料理をした。巣穴のちかくの畑で、叔母うさぎが育てた春キャベツを、豚肉といっしょに蒸した。ゆず胡椒を添えて食べるのだ。

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 そこへ、父うさぎが、群馬の地酒〈誉國光〉の特別純米を持ってきた。

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 常温でもすっきりと水のような澄み酒で、冷やにしたらどんなにかキリリとしたことだろうと思うが、常温で飲みはじめてしまったので、そのまま飲み進めた。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一三四五人(前週比+五二八人)。
 そのうち、東京は、二三四人(前週比+四七人)。

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三月三十日(火)

 ○有休消化三日目、連休五日目の朝は、前夜、酒を飲みながら、ししジニーさんと『Valheim』のオンライン協力プレイを進めてしまったために、起きるのが遅くなった。

 ○布団を出ると、下品ラビットの姿が見えない。それどころか、明治のころからある、古くてひろい一族の巣穴は、しんと静まりかえって、ぼくしかいないようである。仏壇に線香をあげて、祖母うさぎの好きだった、玄米茶を淹れ、ひとすすりしたところで、表の蔵から下品ラビットが帰ってきた。
「あったぜ」
 そう言って、彼が見せたのは、松平龍樹『発情期ブルマ検査』であった。

「久々に見ると、よくもまああそこまで溜めたもんだと思うね」
 ぼくの淹れた玄米茶をすする彼と入れ替わりに、ぼくもひさしぶりに蔵に入った。

 ○蔵は、斜面に開いた巣穴のそばに建てられている。昔ながらの漆喰壁の蔵で、戦前は蚕を飼っていたが、戦後にただの物置となっていたものを、父うさぎが定年をむかえて帰郷した際に、ロフトに改造したのである。しかし、特別な使い方を思いつくこともなく、なんとなくぼくと下品ラビットが、読み終わったり積んだまま読んでいなかったりする本を送りつけては収める、書庫として使っているのだった。
 ボロボロになるまで愛読した双葉社のゲームブックや、大学の卒論を書くために付箋を貼りまくった『定本 ラヴクラフト全集』の書簡編、『ウィザードリィ』関連書籍をはじめ、SF、ホラー、ミステリ、ファンタジの文庫が壁いっぱいに並べてあるのを、あっちを入れ替え、こっちを引き出し、小一時間ほど楽しんだ。空のダンボール箱がたたまれぬまま残っているのは、最近送りつけたものを、下品ラビットが棚におさめたためか。
 最後に、ロッド・サーリング『ミステリーゾーン』文春文庫全四巻を引っ張り出して、蔵を出た。


 ○昼すぎに、叔母うさぎに車で最寄り駅まで送ってもらう。父うさぎは用事で出かけていた。もっとも、LINEで姪うさぎを話題に盛り上がることが毎日の父うさぎであるから、別れ際に顔を見せなくても、その存在感が薄れることはない。
かかるもかからないも時の運だとは思うけど、くれぐれも気をつけてね」
「叔母さんもな」
「また来るね」
 そう言い交わして、駅のロータリーでぼくたちは別れた。

 ○帰途、なんとなく肉が食べたくなって、岬の〈四文屋〉にイナバさんを呼び出して、やきとんとレモンサワーで夕食とした。
 ぼくの有休消化休日は、これで終わる。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、二〇八九人(前週比+五八九人)。
 そのうち、東京は、三六四人(前週比+二七人)。


三月三十一日(水)

 ○今朝の体温は三六・二度。

 ○年が明けてからの忙しさに、仕事の健康診断を受けそびれ、会社から受けろ受けろとせっつかれて、ようやく予約ができたのが年度末三月三十一日、つまり今日だった。
 健康診断じたいはつつがなく進んだ。腹部レントゲン用のバリウムが、記憶にあるよりもおいしかったのは、ささやかなおどろきだった。

 ○丸岡久蔵『陋巷酒家[うらまちさかば]』を読む。

 椎名誠のSF作品、なかでも『武装島田倉庫』や『アド・バード』、『みるなの木』などの、いわゆる「北政府」ものへオマージュを捧げているとおぼしい「戦後闇市SF」であるが、椎名誠作品にくらべて、はるかに人情派である。

 ○帰宅して、なんとなく在宅業務をこなして、夜は豚キムチチャーハンを作った。

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 ○これにて連休が終わり、二〇二〇年度が終わり、いよいよこの日記も終わりに近づいた。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、二八四一人(前週比+九二三人)。
 そのうち、東京は、四一四人(前週比-六人)。
 全国の新規感染者が急増し、一週間前より一〇〇〇人もおおく報告されている。ここに来て、またぞろ感染が拡大しているのは、一年前の流行初期のものよりも感染力の強いウィルス――いわゆる「変異株」――も、その理由のひとつであろうが、それだけではあるまい。
 こういうの生み出す強大な動き、そこから生まれ、かつ、その動きを増幅するがある。それは、感染を拡大させる意識なく行動する人々であり、そうした人々の動きを止めることができない企業や行政であろう。社会そのものに、感染を止められないしくみがある。そもそも、「人から人へ感染する疫病」というものが、社会生物としての人類が作り出す社会のしくみを用いて猛威を振るうものなのだ。ということは、ワクチン接種の普及も遅れ、治療薬もない現状では、その社会から遠ざかるか、その社会を変える以外には、打てる手はない。

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→「#116 未定」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣ギ画」(https://chojugiga.com/


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