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50代、根無草の進路相談

40代になったころ知り合った美しい人がいました。彼女はエレガントで素敵な女性で、50代に入ったばかりの人でした。
「自分なりの60代を迎えるために、50代を頑張って過したい。」  
こんなことを仰り、いろいろな勉強をされていました。
(セリフは記憶による再現です)

40代の私にとって、50代も60代も未知の世界でした。いま50代になると、
あの時、彼女の言っていたことが身に染みています。

目的に向けて爆走していた20代、
仕事と育児で考えることを忘れていた30代。
人生をリセットし迷走していた40代。
ずっとがむしゃらに走ってきたと思います。
50代は周囲とのバランスをとりながら、やりたいことをしています。この期間が次のステージである60代の基盤になるような気がするのです。

かつて友人から「あちこちふらふらしていたら根無草になるよ。」と      忠告を受けました。彼女は看護の道に邁進し努力を重ね、教授として活躍しています。尊敬する友人の一人です。

彼女の予言通り、今の私は「根無草」です。時々、自分は出来るのかもしれないと、とんでもない勘違いをして、身の程知らずの行動を取ります。そして頭を打つのです。

人はそれを行動力という人もいますが、行動したとて形にはなるとは限りません。卒業しても資格をとっても、それを生かしているわけでもなく、それは紛れもなく「根無草」のままなのです。

「私は何をするべきなのかな?どんな進路が向いていると思いますか?」 

よく質問をしてみますが、みなさん困った顔をします。そうでしょうね。50を過ぎて、未だ自分を分かってないのです。そして大抵の答えは、

「なんでもやろうと思えばできるでしょ」
・・・
おっしゃる通りです。

今年は引きこもり生活を脱するべく、相談員、採用試験、科目履修生とトライをしています。改めてならべてみるとバラバラですね。ホント1本筋が通ってないです。それでも前を向くことはやめたくないです。前を向くたび、人に出会い、学んでいくからです。いつか人のお役に立つことができたら嬉しいなと、極々身近な友人知人の相談に乗っています。

懲りない私は、60代も70代も、身体が動く限り面白そうなことに頭を突っ込んで生きて行くような気がします。死ぬまで進路を探し歩くなんて、そうとうなお馬鹿さんかもしれない。

そんなことを考えている時の私は、たった1人の同居人である知的障害を持つ息子の存在をすっかり忘れています。実際の私は多くの制約の中で生きています。
それでも実現したいと、なんとか方法はないと考え続けているのです。

やりたいことを想像している時間は、私はどこまでも自由です。        ひと時、のんきで幸せな時間を過ごしています。

・・・

さあてそろそろ現実に戻りましょう。
今日も1日が始まります。

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