見出し画像

バックストーリー:『白い孤影』が出来るまで

取材に20年かけた『白い孤影 ヨコハマメリー』。
この本が出来るまでのストーリーです。

●「ヨコハマ幻想」を追うはずが、予想外の方向に

ヨコハマ。1970年生まれの著者が子供だった時代、この街は特別な意味をまとっていました。

米軍基地を抱えた国際都市。
外国船がやってくる異国情緒溢れる港。
裏通りに軒を連ねるオーセンティックなバー。
犯罪映画に登場するような、海岸沿いにひろがる夜の倉庫街。
喧噪の中華街。

そんなものを見たい。

横浜に移住したのは1995年11月。
奇しくもヨコハマメリーの姿を見かけることが少なくなった頃でした。

ISDN 普及に伴いインターネット接続がポピュラーになったことをきっかけに、1990年代末ごろから世間でホームページづくりが流行り出しました。
著者がホームページをつくりはじめたのは、1999年。
ただしよくあるような「私の趣味」や「私の日記」などをコンテンツにする気はありませんでした。
なぜなら無名の一個人の関心事など、誰も興味を持たないからです。

著者は20代前半のころ、仲間と趣味でミニコミ誌(いまでいう Zine に相当するもの)を作っていました。
その延長戦上にあるようなホームページを作りたい。
そのコンテンツとして考えたのが、日活無国籍映画や80年代の角川映画、あるいは「あぶない刑事」のような犯罪アクションものに登場する「イメージの世界のヨコハマ」でした。

犯罪映画に登場するような、一癖も二癖もある人物、影のある世界、匂い立つようなハードな情景はないものか。

その過程で見つけたのが、ゲイのシャンソン歌手、永戸元次郎さんでした。
しんとしたシャンソニエの楽屋で、そっと裏社会の情報を耳打ちするネタ元として、こんな人物がスクリーンに映ってもおかしくない……。
そんな思い込みで近づいたのが、元次郎さんとの馴れ初めです。

その元次郎さんは、当時ホームレスだったメリーさんの世話を焼いていたと言います。
私は元次郎さんを取材するつもりだったのですが、「波瀾万丈の人生だったけど、私は最後に成功した。それよりも売れっ子から落ちぶれてしまったメリーさんの話の方が面白いから、メリーさんにしなさいよ」と説得され、そこからメリーさんについて考える日々が始まったのです。

しかし私は、彼女を見たことさえなかったのでした。

●編集者から声掛けされたが……

メリーさんは路上で噂の的でした。大きく背中の曲がった老婆で、いつも白いドレスをまとい、顔は白粉で塗りつぶしています。
身元不詳でしたが、知らぬ者のない存在でした。
娼婦だったということですが、客がつくようには見えません。
謎をはらんだまま、いつの間にかいなくなってしまったのです。

彼女に関する原稿は、何本か発表しています。
最初のものは2000年頃 Web上で発表した「さよならメリーさん」。
原稿用紙30枚強の短編でした。
アマチュアだったので、その程度しか書けなかったのです。

この作品は累計で数十万ビューを記録し、地味に知られていました。
それから数年して、映画『ヨコハマメリー』が公開されます。
監督の中村さんとは取材中に面識ができました。しかし親しい訳ではありません。

この映画がヒットしたお陰で、あるフリーランスの編集者から「メリーさんの本を書いて下さい」と依頼がありました。
嬉しくなり、ちょうど仕事を辞めたタイミングだったこともあって、3ヶ月間取材と執筆に没頭しました。
そして1章書き上げるごとに、編集者にメールで納品しました。

すべての原稿が仕上がるまで、相手は何も言ってきませんでした。
作品が完成したとき、ようやく電話があったのですが、それは「この内容では売れません。この話はなかったことに」という無常なものでした。

駄目なら駄目で、もっと早く言って欲しかった。
おまけに具体的なアドバイスもなにもなく、言いたいことだけ言って一方的に話をうち切るなんて!
自分から売り込んだのであれば、悔しいですが、諦めもつきます。
しかし他人様に仕事を依頼しておいて、この態度はないでしょう。
心底頭にきました。

ぜったい出版してやる。

そう決めた私は、さらなる追加取材を重ねました。
その結果産み出したのが、前作『消えた横浜娼婦たち』(ミリオン出版)です。

●「基礎資料」として、彼女の記録を実直に書き残したい

その後、ある雑誌になんどかメリーさんのことを書く機会がありました。
掲載号はどれも売れ行きがよく、編集者から「メリーさんの無敗神話」と言われました。

しかしその一方、メリーさんについてメディアが談話を求める先は決まっています。

『ヨコハマメリー』の中村高寬
『横浜ローザ』の五大路子
「PASS ハマのメリーさん』の森日出夫

この3人です。

彼女をリアルタイムで見かけていた頃、横浜の市民たちはなにを感じていたのでしょうか?
すくなくとも上記の3人が関わった『ヨコハマメリー』や『横浜ローザ』とはちがう世界が展開されていたはずです。
彼女は「悲劇の主人公」でもなければ「純愛のヒロイン」でもありませんでした。

口当たりの良い「人情」や「涙」で包み込むことなく、時間の流れに耐えうる「基礎資料」として、彼女の記録を実直に書き残すこと。
街にとっての意味。
昭和という文脈。
そのなかで、あらためて彼女の神話を読み解くこと。
議論の叩き台として、さらなる考察の種をまくような仕事をすること。
そんなことを考えながら、20年の集大成的なものとしてまとめたのが『白い孤影』です。

彼女の故郷には、都合3回足を運びました。
じつにのどかな場所です。
ここを捨てさえしなければ、彼女は娼婦になる必要がなかったはずです。
なにかあったら、故郷に帰れば良いのですから。
しかし彼女は戻ることが出来ませんでした。
彼女が娼婦になった理由は、戦争と直接関係なかったからです。

彼女の青春時代と戦争は、たまたま重なっていました。
だからでしょう。
「戦争の犠牲者」
「それでもプライドを保ち、凛と生きた人生」
芝居や映画になってから、そんな風に語られるのが常となりました。

しかし生前の彼女はからかいの対象でした。
たくさんの噂がささやかれました。
「本牧(あるいは鎌倉)の豪邸で暮らしている」
「息子を養っている」
「頭がおかしい」
もちろん娼婦だという噂もありました。
結局のところ、たくさんの噂のなかで一番受けの良いものが定着したに過ぎなかったのです。

本来裏取りをして事実報道をしなければならないはずの新聞までもが、彼女を「戦後の影の体現者」「反戦の象徴」のように扱いだしたことで、ファンタジーが既成事実のようになってしまいました。

これでは「一杯のかけそば」(*註)と変わりません。

ウケる話を大切にするあまり、伝達者たちは一線を踏み越えてしまったのではないでしょうか。

感動というのは、作り出すものなのか?

それとも掘り起こすものなのか?

「美談」にされてしまったメリーさんの物語に対し、居心地の悪さを感じている人たちは、この本に共感してくれるでしょう。

それからもうひとつ。
このファンタジーが産み出された背景には、なにがあったのか。
そこに都市の物語やひとびとの欲望が垣間見えないか。

さらにもうひとつ。
すべてが虚像だったとしたら、彼女が立ちつづけた本当の理由はなんだったのか。

そんなことを考えながら、書き上げました。

彼女の個人史を探ることよりも、もっと大きな話を提示したつもりです。

騙されたと思って、お読み頂けると幸いです。

*註 1989年から数年間にわたって話題となった童話。「涙なしには聞けない実話」という触れ込みで喧伝され、社会現象になった。しかし後に創作疑惑が持ち上がり、さらに作者自身のスキャンダルが明らかになったため、忘れ去られた。


この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?