ちょうどいいブスと、卒業しないミニ丈
23歳のお姉さんは、ミニ丈タイトなスカートを着こなして、おしゃれだと思っていたし、イメージはそのままだった。
先日発売した、姉アゲハが最高なことを言っている。
”おばさんになっているヒマはない。「この年齢だからこうしなきゃいけない」なんて決まりは存在しない”
ギャルは強い。メンタルがとか肉体がとかではなく、考え方が。「自分」を貫くことがどれだけのことか知っていると私は思っている。
少し前に、「ちょうどいいブス」がSNSで話題になって悲しくなった。
私は、女の子は幾つになってもファッションなりなんなり楽しんでいいと思っているし、最高だよって思っているからこそ余計。
そもそも「ちょうどいいブス」ってなんだ。
年齢にふさわしい服装、ってなんだ。
「ねえ、いつまで履けると思う?」
先日友人と買い物に行った時に、友人が手に取ったミニ丈のスカート。試着しても似合っていたし、求めていた形だったらしい。
「ねえ、ミニ丈ってまだ許されるかな?」
試着室からひょっこりと顔を出し、「似合う?」と聞く前に出てきた言葉はそれだった。
友人も私も同い年で23歳。
社会人になってだいぶ年数は経ったし、日々の生活は学生ではなくて社会の一部になりつつあるけれど、思ったよりも世間は23歳のミニ丈に厳しいらしい。
もちろん会社に履いていくわけではないし、好きな格好でいいのにと思うのに、許されなければいけないことなのかな、と疑問に思った。
いつか卒業するのかもしれないけれど、少なくとも今はそれを卒業しなくてもいいんじゃないか。
”可愛い”にもうけられた年齢制限
日本は年齢に厳しい。仕事をしていても、日常生活でも感じることがある。
「若すぎる」「年がいきすぎている」そんな言葉は頻繁に聞くし「もう」と「まだ」の狭間で揺れるくらいには年齢に厳しい。
これだけ、年齢の・国籍の・ジェンダーの関係ないと言われる時代になっても。
少し前までは、きっともっともっと言われていたんだなと思う。「若作りして」「もう◉◉歳なのに」「◉◉歳にもなって」「年甲斐もなく」「男の子なのに」「女の子なのに」
可愛いの定義は、人それぞれで感じ方は千差万別、十人十色だ。
なのに、求められるファッションは同じだなんておかしな話。
その人にとって可愛いものは可愛いし、
私にとって可愛くなかったら私にとっては可愛くないもの、という認識なだけ。
可愛い
に年齢制限なんて、ないはずなのに
知らないうちに世間という名の名付け親がいて、年齢制限をかけられてしまう。
「あなたのための可愛いじゃないのよ」
って。
’ちょうどいいブス’という褒め貶し。
「ちょうどいいブス」は、「そこまでブスではないよ、美人ではないし可愛くもないけど。でもブスではないよ」という意味だと思っている。
可愛くない・美人じゃない は 貶しているけれど
ブスじゃないよ とまるで悪口ではないかのようにカバーする。
「ブス」と言われることには慣れたし、まあまあ挨拶のように交わされる言葉でもあるからこそ、その言葉の効力は絶大だと理解していてほしい。
「ちょうどいいブス」になんてなって欲しくない。ならなくていい。
だいたい、「お前何様だよ」という話だし。ブスとか人様に言える立場か。
卒業しないミニ丈
ミニ丈も、別に卒業しなくていい。何歳でも履いてくれと思う。
高校生のミニ丈と、20代のミニ丈はまた別物。込められている思いやセンスも違う。「この年齢だから」と制限されるのは、下の年代にも失礼なのではないかと思う。
雑誌やモデルを見て憧れて、大人っぽい格好やOLさんのようなファッションをする高校生や中学生もいる。
安い服も増えたことで、服・ファッションのコーディネートの幅はぐんっと増えた。同じように言うのだろうか「若いのにそんな20歳以上の人がするような格好して」って。
これだけファッションだけではなくて、色々なものが自由になったからこそ「◉◉歳なのに」なんて言葉で全てをひとくくりになんてして欲しくない。
ミニ丈もショートパンツも、何歳でも履いてほしい。コスプレするのだっていいと思うし、逆に挑戦するのだっていいと思う。
「おばさんになっている暇」なんてない。
ファッションを諦めている暇も、やりたいこと諦めている年齢制限も守っている暇なんてなのだ。
きっと私はまたミニ丈を履くし、それをSNSにも載せる。
でもそれでいいと思っている。「23だから、ミニスカートやめます」「23だからショートパンツやめます」も必要ない。
きたいと思った服は、自分の感性で求められたものだし他の人も同じ。女の子たちは、好きな服を着てほしい。
どんな思いを込めてもいいけれど、自分のことを信じるためにも自分の感性を信じるためにも好きな服を着てほしいと思う。
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