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西の御所?46塔頭「妙心寺」衣笠山「東林院」【きぬかけの路シリーズ】【嵐電シリーズ】

きぬかけの路は京都の特徴を掴んだ観光コースである。金閣寺、龍安寺、仁和寺など有名どころ以外にも見どころがあります。纏めてどうぞ!!宇多天皇ゆかりの「衣笠山」シリーズでしょうかね。宇多天皇が「夏は暑いな~」ということで白い絹を集めて涼しく見せかけたところから「衣笠山」と呼ばれてそうな。
 伽藍の広さは10万坪もあり見どころが多いのだが、参拝する人は少ない認識である。開山は1337年で、博識な花園法皇が大徳寺で禅を習得し、自らの離宮を禅寺にしたのが妙心寺である。1399年に室町幕府と、この寺につながりが強い大内氏の戦いで幕府から没収され、天台宗にさせられた歴史を持つ。潰されなかったのは皇族が関係しているのか?
 その後、応仁の乱などもあり焼失などするが、細川氏が復興させる。現在の建造物は安土桃山時代・江戸時代のものが多いが禅宗の特徴である伽藍の並びになっている。

変更履歴
2023/06/12 初版

▼HP、アクセス、本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

 妙心寺は46の塔頭があった大寺院。

▽東林院

 「小豆粥で初春を祝う会」が行われる。妙心寺正門から入って敷地内を10分ほど歩く。。。と未参拝なので他力本願です。


▽妙心寺:右京区花園妙心寺町1

 法堂@重文(はっとう)の鏡天井には、8年の歳月を費やして描かれた狩野探幽の筆による雲龍図と庫裏@重文が見どころ。ここはまったり出来る寺院である。面白いのは、20分間隔で専属のガイドとともに巡るところですね。

 境内に入ると七堂伽藍が並ぶ。勅使門もあるので、皇族も来たということだろう。

 →三門@重文

 本来は三門だが、ここでは山門と呼ぶ。儀式のときのみ山門を登れる。ここは悟りの世界で極楽浄土につながり、観音と十六羅漢を祀る。天井には楽器が描かれているが、紐で縛られている。これは、静かに極楽浄土にを意味する。

 →三門右:浴室

 明智光秀と関係がしていることから明知風呂と呼ばれている。法華寺と同じく蒸し風呂になっている。

 →仏殿@重文

 通常非公開!珍しい釈迦三尊像で、脇侍に聖観音・普賢菩薩ではなく、釈迦の弟子たちを置いており、金波羅華を持っている。

 最後に南東のみ鬼瓦ではなく龍になっているのも注目!!

 →仏殿右:経蔵(通常非公開)

 800箱に6500巻のお経が収められている。文字が読めない方を憂い、経蔵を回せば読んだのと同じとしたルールでおなじみの経蔵ですね。
 経蔵を回せるところは、清涼寺、三井寺などあります。

 →法堂

 仏殿より後ろにある。住職が説法をするところで、仏像はなく、須弥壇だけがあるのだが、天井には狩野探幽の雲龍図が描かれている。
 なぜ、龍が描かれているかというと、仏法の守り神であり、水につながり、雲を呼び雨を降らせることから法の雨を降らしていただくように描かれたそうな。狩野探幽はここに座禅などを組み、住み込みで仕上げたようだ。
 

 →大方丈

 狩野探幽の襖絵があり、192畳もあるそうな!?

 →大庫裏

 数百人もの食事を調理できる施設で、大きな竈が4つあり、1つで200合のお米が炊けるとか!?なお、禅寺なので韋駄天が安置されている。


▽妙心寺塔頭:大雄院

 真田家のお墓があるが、通常非公開なので要注意。

妙心寺大雄院は妙心寺の塔頭寺院です。1603年(慶長8年)尾張藩家老であった石河光忠が、その父の菩提寺として慧南玄譲を開祖に迎えて、建立されました。
(略)
江戸から明治にかけて活躍した天才美術家 柴田是真の、随一の襖絵が残っています。明治皇室の御所、明治宮殿にあった千種の間に、柴田是真が描いた13種類もの草花の天井画がありました。その花の丸図が、戦火で失われてしまったため、保管されていた下絵を元に襖絵として復活すべく、「大雄院襖絵プロジェクト」として発足されました。日本で唯一の「宮絵師」安川和風氏によって復元され、未来に向けて残していこうと言う取り組みだそうです。

↓引用元


▽妙心寺塔頭:玉鳳院

 花園法皇が禅の教えを学んだところで、妙心寺発祥の場所。花園法皇は大覚寺で修業をするのだが、次の師匠ことを探すように伝える。法皇は全国で探すよう指示し、岐阜の小さな村から次の師匠・開山慧玄を探す。その師匠の教えの中の言葉から「妙心寺」をいただく。


▽妙心寺塔頭:春光院

 1590年創建で松江藩主の菩提寺で、禅を体験できる場所。禅を「ZEN」にした僧がいるそうな。 お茶をいれた後に座禅を組み、良い時間になったら飲むというやり方らしい。
 なお、梵鐘はポルトガル製の南蛮のもの。1577年作でIHSというイエスズ会を示すものがあり、花鳥図には隠れキリシタンの図とされる。3身一体などキリスト教と繋がる構成図になっているとか!?


▽妙心寺塔頭:退蔵院

 妙心寺の塔頭。方丈(本堂)には本尊として当院開祖「無因宗因禅師」を安置している。方丈付近には、室町時代の画聖・狩野元信が作庭した「元信の庭」や、如拙による日本最古の水墨画「瓢鮎図@国宝(模本)」が拝見できる。

▽妙心寺塔頭:長慶院@通常非公開(右京区花園寺ノ中町8-1)

 境通常非公開寺院だが、2022年は庭園の藤の花の見頃に合わせて、三日ほど公開された。創建は1600年で、豊臣秀吉の正室・ねねの姉にあたる松嶽寿保信女(杉原くま)を開基とし創建。

 樹齢約140年の白と紫の藤の庭が鑑賞できる。

▽妙心寺塔頭:石田三成菩提寺「壽聖院」(右京区花園妙心寺町44)

 石田三成の菩提寺で、石田三成親子三世代の掛け軸が安置されている。全盛期は今の4倍の境内があったようだが、関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍は敗れたので縮小された歴史がある。石田三成の父は領民を逃がし自害したという性格で死ぬ前に建てた寺である。光成の子は出家して、この寺の住職になっており、朝鮮出兵時に石田三成がこの寺に送った手紙が残っている。かなり癖が強い字のようで難読なんだそうな。ただ、光成の書は珍しいよう。なぜなら、敗者になったので、名前のところは破られたりしたものが多く真作かがわからないんだそうな。

 境内には三成などの供養塔が並んでいる。2023年は石田三成の位牌も公開された。光成が朝鮮から帰ってきたときに反物を奉納したようで、僧侶が三成から先代からの記録が残っており、関ケ原の戦いの記録が記している。ただ、歴史の敗者のため徳川家は三成などの記録は消したので、残ったのは珍しいとされる。三成嫡男はここに出家したこともあり、貴重なA級資料なのだろう。

▼旅行記、セットで行くところ



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