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#思い出
学校、病院、スーパー、美容院、レストラン……いろんな「ハウス」があるけれど。
初代リカちゃんが開発された時、同時にドリームハウス(いわゆるリカちゃんハウス)が開発されていた。というより、当時のタカラとしては、ハウスの構想が先にあったようである。(参考文献『リカちゃん生まれます』小島康弘著/集英社 ←面白いからオススメ。)
幼きやんちゃっちゃんがリカちゃんを入手した頃、遊ぶ舞台はたくさんあった。ハウスは初期の壁のあるものから平面へと移っており(この変遷については『リカちゃん
『3年2組のなかまたち』『やんちゃ学園』に、どうしてこんなに惹きつけられたのか。
『3年2組のなかまたち』の当初の売り出し文句は「やんちゃ!グラフィティ」。ファンクラブの名前は「元気組」、会報は「ワイワイタイムス」。
やんちゃ、元気、ワイワイ。
内気で大人しくて、親からは「外で遊びなさい」、通信簿には「もっと活発に」が決まり文句だった幼きやんちゃっちゃんとは真逆なのであった。
今でこそ、子どもの個性はそれなりに受け入れられているようだが、80年代は「子どもは風の子」。元気
『3年2組のなかまたち』の魅力を引き立てる小物たち
『3年2組のなかまたち』のメンバーには、それぞれ通知表と性格に合わせた小物が付いている。ミーコのような制服組は大抵カバン。当時の中高生が持つ革のカバンを模した形の赤や青のカバン。オープンハンドにプチッと嵌めて持たせることも可能。
ミーコは「ミーハーグループ」所属で、ここのメンバーはグループ揃いの小物はあまりなかったけど、ネコのキャティが代表する「なまいきっこグループ」はカラフルなサングラスでほぼ
タカラの『3年2組のなかまたち』―—80年代に現れた、ポップでキッチュでやんちゃなヤツら
イトーヨーカ堂の二階のおもちゃ売り場でミーコを見つけた。一目惚れで「欲しい!」と強烈に思い、貰い始めたばかりのお小遣いを貯めることにした。
「誰かに買われないように、後ろに隠しておこうね」と、母がミーコの箱を列の一番後ろに置いた。
数週間して、買える金額が貯まった。誰かに先に買われていたらどうしようと心配する数週間は長かった。
学校から帰ったらヨーカドー直行!だが、そんな日に限って近所の花ち
ボロこそ個性だぜ!『3年2組のなかまたち』30年の時を超えて!
『3年2組のなかまたち』が発売されていたのは1984〜1986年頃(多分。違ってたらご教示ください、タカラ様!(現タカラトミー))。
デッドストックや新古品など、新品はフワフワできれい!プレミア価格だけど。でも、うちのミーコ番長のように遊び倒されてボロボロになった子も可愛いのだ。
何と言っても思い切り遊べるし。
もともとボロければ、これ以上状態を悪くする心配ないもんね。オープンハンドにバチッと
踊りたくなる気持ち。
帰宅した夫が、文明堂のカステラをくれた。可愛い絵が描かれている文明堂の小さいパックは、やんちゃっちゃんのお気に入り。夫が文明堂の近くを通ると、買ってきてくれるのである。
嬉しいと踊りたくなるよね。それが文明堂のカステラならなおさら。カステラ一番を歌いながら例の踊りを踊っていると(手足の連動が難しい)、風呂から上がってきた夫にスルーされた。いつものことなのでね。
考えてみると、やんちゃっちゃんの