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人はプロセスで始まりプロセスで終わる

やんちゃん/感覚感情セラピスト


こんにちは!やんちゃんです🍫人生とは何か、生きるとは何か。僕なりにいつも考えているわけですが、僕が思う事。


人生なんてただのプロセス。生まれたからにはどーせ死ぬ。たったそれだけのこと。だけど、、、人間は死を知ってるっぽい、から生きる意味を考える。その意味をあーだこーだと考え、実行し、ゲームのように楽しんでいく。これが人生。だと思う。


人は見えない構造の力によって動かされている。なんていう賢い哲学者の人もいるけれど(僕はめっちゃ好き)正直あんまり実践的で現実味のある考え方ではないので、今回は割愛。


どう生きるかではなく、ただ生き方が在る


僕は、生きる意味とかって言いながら、実はあんまりそれも好まない。生きるってのは、つまり、今生きているってことだし。別に特別なことではない。何か素晴らしそうな意味や目的を置いてしまうと、自分からどんどん離れていくことになる。


規律や訓練を取り入れた評価型の管理社会では、自分の生き方ではなく他人の生み出した生き方を取り入れて、肩書き、権威、権力を持つことが目的になってしまう人が量産されてしまうからです。これが本当に素晴らしいのなら、人の心はもっと豊かになっているはずなのに、精神疾患や自殺は尽きないわけで、この辺りは強く声をあげて言いたい所です。


くだらないのかまともなのか


くだらない人生ってのを僕なりに定義するならば、自分のことを自分で、個人として認めていない人。僕であって僕でない。そんな感じ。5本生えてる指を見ながら、「なんで6本じゃないんだ!!努力しなければ!!」って全力で人生の時間を無駄にしてる人。自分自身より先に目的や目標って概念を持つと、こういうおかしな自己虐待が起こる。


まともってのはまともってことすら言わない、すーんっしていて自分な人。私は私。な人です。以上(._.)


何で、どうして、だって、でも、を使わやん


意識するとびっくりします。僕はなぜなぜ君、とか、わかりたいマンとか
、ゴースト人って揶揄するんやけど、嫌がられることは承知で、もはやこれをちゃんと伝える事の方が優しさなんじゃないかと思います。人の人生を何かしらの形で支えるってのは、くだらない人生の外側から、ちょっと痛いもんが飛ばさないと自覚出来ないと思うから。


カウンセラーでもセラピーでもそうやけど、痛み止め渡してるようじゃ、一流だとは僕は思わない。他人の人生を何らかの形で共有するんだったら、本気でまともで関わっていく必要があるわけです。

セラピストは人生に介入する。そして、人は人生しかない。生半可な想いでやったらいかんです。

あー脱線ww

つまりつまり、人生なんてのは自分だけの物、自分だけのプロセスだし、そもそも終わりがわからないもの。くだらない人生を歩かず、自分の人生を歩くこと。それしかありまへん。



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やんちゃん/感覚感情セラピスト
アラフォー関西人。 ゲシュタルトセラピスト。 カウンセリングスキル習得コミュニティ運営者。コミニュケーショントレーナー。 発達障害者支援から得たスキルを人類のために。孤独→介護福祉士→知的障害者援助専門員→カウンセラー→ゲシュタルトセラピスト 人類に寄り添うことに人生を捧げる🍫