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ボクシング人口の増加と住職会長

可愛い後輩で、プロボクサーの頃は殺人パンチャー、現在は住職である矢鳴君は、福岡県豊前市という田舎町に住む。

私の住む北九州の小倉北区から車でちょうど1時間。

「今日はアマチュアの試合で誰もいませんよ」と電話で言ったので「ちょうどいい。気兼ねせず2人でゆっくり出来る」。

という訳で、彼が新しく豊前市に出したボクシングジムに行った。
ここには私の所にボクシングを習いにきた子もいる。

ルンルンと鼻歌を歌い、1人、ドライブがてらに豊前市に行く私は、あとで考えると周到な餌にかかった小魚だった。

ジムに着くと、10人程がいて歓迎され、ふと嫌な予感がした。その中には、明らかに選手と思われる子が2名いる。

「ちょっとシャドーさせてみて」。
口が滑り2人に私がそう言うと、矢鳴君から両手にミットを装着された。もはや嵌められたとしか言えぬ。

2人の子達と出会ってまだ10分。案の定、バカな私はシューズがないので靴下を脱ぎ、裸足でリングに上がり指導した。

「君は思ったとこにパンチが行かない癖がないか?」。
「君は右が強く打てないな?」。

そういうと霊能力者のように見られた。

2人で計6ラウンドほどの指導を終え、矢鳴君に「腹が減って死にそうだ」と訴えると、チャーハンと酢豚を買ってきてくれた。

因みに指導するまでは、何度腹が減ったと訴えても食事は与えられなかった。

チャーハンを箸で食べさせ、飲み物はリンゴジュースと言うのは、最早、虐めである。

その上指導した2人は私のチャーハンの前で、ずっとサンドバッグを打っていた、

箸でチャーハンと酢豚を食べ終わると、昔教えてたこのジムの選手のお父さんが、甘党の私にシュークリームを出してくれた。

これを「さらに指導を続けろ!」という無言のプレッシャーだろうと思った私は、まな板の上の鯉であった。

結果、そのプレッシャーに負け、餌を与えられた鯉である私は、さらに指導を続けさせられる事になる

指導し終えた後、矢鳴君がホールドの解き方を聞いてきた。
現役の時強かった過去を捨て、質問する彼は偉いと思う。

矢鳴君は現役時代、空間を把握する能力が高く、相手が近づくと同時にワンツー、下がると一歩入りワンツー。
いつも彼の試合相手は、血だらけだった。

こんな田舎だと、精神もひん曲がる事もなく、ロードワークに集中出来る、と言うと、「ここに悪い人はいません!」。
坊主はそう言い、胸を張った。

田舎にも都会にも、ボクシングジムは多くあった方がいい。

こうして分母を増やし、ボクシングを知る子が、少し遠いけどあのジムがいい、と思えば他のジムに行く。

結果、会員を大切にする、キチンと営業をするジムが残る。

あぐらをかいて、お金お金というジムは淘汰される。

これはビジネスの初歩であるので、私は新しいジムが出来ると嬉しい。

相乗効果も狙えるし、お互いのいいところを模倣し、ボクシングの底上げになる。

パチンコ屋の近くにパチンコ屋があるのは、そういう市場原理であ
る。

さあ帰ろうかと思うと、矢鳴さんは私の初対面の人に「柳原さんが単車に乗ってる時、先輩が頭を下げ挨拶してた」。「若い時100キロ以上体重があった」。

今後、2度と過去の話を彼にはしまい、と神に誓った。

私は若い頃、確かにプロレスラーの様な体格だったが、90キロし
かなかった。
100キロと90キロは、誰がなんと言おうと聞こえが違う。

しかも、単車は1ヶ月で免許取り消しになった。僅かその1ヶ月で先輩が挨拶などするはずがない。

免許取得後、1週間目で信号無視。2週間目に左折違反。3週目に64キロオーバー。

こうして一発取り消しになった。単車の話は嘘である。

他の中学を卒業した同級生が、私に敬語で話し挨拶していた事を、
面白おかしく話しただけだが、今度来た時、どこまで話が大きく
なってるのか、その時は再度ここに書く。

まさか殺人犯になってない事を祈る。

しかしいい1日だった。
最後に記念写真を撮ろうとなった時、矢鳴君は父兄に「あれあれ。
ハイチーズ機能はないの?」と聞く。

私は小声で「それをセルフタイマーと言う」と教え、こうして珍し
く笑顔で撮影する運びとなった。

昨日指導した子が、試合で色々と学んでくれたらいいなと思う。

今は勝ち負けよりも、矢鳴君がどう言う動機でこのジムを出した
か?
その想いを受け素直なまま、このジムの子達が、道徳を学んで
欲しい。

徳を積む。
素直で人のためになる事をできる子供。

あ!

私は大変な事を忘れていた・・・。

矢鳴君は来迎寺というお寺の住職だった(笑)。

取り敢えず、おめでとう!


矢鳴君とその生徒と親御さんへ捧ぐ。
令和4年 5月5日


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