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教えるのみの教育。答えがない教育。答えのない教育は子供を伸ばす。しかしそこに私欲がない事を、大人が背中で見せなければ良い教育では無い。

儒教や陽明学を勉強している方なら分かると思うが。覚悟を決め暴論とお叱りを受ける覚悟で言えば、儒教の勉強はしなくても良い。

勿論、儒教の勉強は大切で、かつ真理である。した方がいい。

特に私の様なプラス思考で究めたいという、達成型な人間は読み、知り、更にアイディアが湧くから行動する。更に疑問が湧く。

しかし儒教だ、哲学だと勉強をし、所謂、世間で言うところの立派で学歴のある人は、知行が伴う率が少ない。

確かにこう言う勉強をしてる人は、言葉はよく知っているが行動が伴わない。又は勉強したんだと言う自己満足で終わる。

知ると達成するのは違う。なのに全てを解ったつもりでいる。
これは批判じゃなく、私の様な物覚えの悪いものからすると、勿体無いなあ、と思う。

と、まあこう言う事を考えた結果、じゃあ自分もそうなってないかを省みて、現在に至る。

利他的に生きてきたつもりだが、真理を追うと私は確かに先にお金目当て、という思考はないが承認欲求を求めていた事に気づく。

そうして日々、彼女も結婚もできず、結婚歴なし、バツゼロ、子供なし、賞なし、罰多少あり・・・(笑)となった今、考えた。

これはイカン、と思ったが時既に遅く、読書以外とうとう趣味がなくなった。これを悲劇と思うかチャンスと思うか、である。

その結果、読書をする事をチャンスだと決めた。

冗談はさておき、こう言う事が分かりだしたのは、勉強し我が身を振り返るから理解しようと出来る。

すると、時代の流れに乗りつつ、原理原則を曲げぬ事が大切である事を、たった数百円の本で学べる。

そうすると、この世に書物ほど安い物は無い。

小学生に話す時は2年生と、3年生で言葉を変える。この世代の一年差は大きい。此方が本を読んでなければ、これが出来ない。

小学4年生位で朧げに善悪が分かり出し、5、6年生で特に変化し出し、中学3年生でスタートに立つ。

私は優秀な経営者ではなく、閃きでやるタイプだが、一応は30年の間今のところ、経営者でいる。

だから私と反対の能力を持つ従業員を入れ、閃きはなく事業計画は考えれる従業員に任せていた。

だが、これはYANAGIHARAホールディングス(株)の行う教育事業とは、別部門の収益事業の話。

この従業員の管理する部署はとても収益、成績、勤務態度と素晴らしい。

何故ならこの幹部社員はよく勉強する。

私はボクシングの方は、ずっと1人でやって来たが、教育と指導に力を入れすぎて、ビジネスにしなかった。

子供の教育と言いながら、私は教育をしてるという私心と承認欲求が少なからずあったかも知れぬ。そしてジムの収益は考えず来た。

ある時から、「儒教」や「東洋哲学」を学んだ。

今後はこれを入れて、YANAGIHARAホールディングス独自の、教育をオリジナルにしていく。

ボクシングジムの方は、若い従業員を入れてやらせ、もっと厳しくもっと褒める、と言う信賞必罰を入れる。全員を平等に見る。

平等に見るという事は、指導者の言う事を、素直に聞いて頑張る子と、そうでない子の扱いは当然公平には成らぬ。

YANAGIHARAジムは、共産主義でも社会主義でも、ましてや資本主義でもない。真面目に頑張れば報われる。そういうジムだ。

素直に言う事を聞き、自分で考え出すと子供は「ここはこうではないのですか?」と言う質問が出だす。そういう子は必ず伸びる。

次にスパルタというのは、誤った洗脳である。

若しくは教育者の頭が悪い。勉強しなければ言葉で話せない。
言葉がないから言霊とならず暴力で押さえつける。

殴って恐怖を植え付け抑えつけるが。子供は敏感なので抑えつけられてる事を一番感じている。そして大人になると嘘をつく。

アル中の親がいかにいけないか、なんて私が産めれた頃に、既に陽明学者が理由を明確にして、世に知られていた事を最近知った。

次に、勉強しかした事のない、テレビに出て自分が分かってもいない論陣を張る、自称教育評論家の言う様な体罰というのは無い。

同じ悪い事を続けたら、たまに頭を1発バチッと行くのはスパルタでも暴力でもない。そこに信頼関係があれば体罰とは言わぬ。

そもそも体罰という言葉を作らずとも、己の感情の赴くままこれを行えば、それは傷害か暴行と言う立派な刑事事件である。

当然こう言う事をする者に同情の余地はない。当たり前の事である。

なのにそれを、マスコミ受けする体罰だの、今の教育は等とややこしく批判するだげでギャラを貰うが、肝腎な義を説明できぬ。

これは頭が悪いより質が悪い。ギャラを上げる方法を知り、体罰があれば非難する。

モンスターペアレントがあれば、如何にこれに耳目を集め、大衆受けするか、その言葉を考える。

こう言うことばかりなので、テレビ離れが起きる。批判からは何も生まれないが、嘘は更に許されぬ。

国であれ、ボクシングジムであれ、まずはトップが子供の教育とは、という正しい勉強を行い自信を持ち正しく教育を施すべきだ。

国が悪い市町村が悪い、と言うならまず自分が信じた道を歩み、勉強し市町村に改善案や、素晴らしい案を出すべきである。

どうせ出来ないというネガティブな言葉。諦めると言う思考。
この思考は否定はしない。但しうちには要らない。

来月から子供のコースを分ける。本当は今のままの方が楽で、売上も上げやすい。

コースを分けると言う事は、コースにより1人単価がコースによれば今より上がる。今いる子供は減るだろう。

月謝を上げて結果を出すには、繰り返しになるが、トップが揺るぎない信念と知識を持ち継続をする。

継続は私の持って生まれた才能でもある。これをいずれ任せる従業員を、私は信頼している。だからコース分けを決断した。

動画にあるのは、こう言ってるシーンである。

「この世には嘘をついてもお巡りさんに捕まらないよね。じゃあ何故、嘘をついたら駄目なん?」。


明日迄を期限とし、この日宿題を出した。嘘とは口が虚しいと書く。この虚しいと言う言葉を小学生は知らなかった。

だから一人一人に分かるまで教えた。ここまでやるのは普通の教育で、大した事ではない。

1人だけ聞いてない子がいた。こう言う子は「理屈じゃねえ。人の話を聞く癖をつけろ」から始める。

こうして「嘘」という意味を教え、どさくさに紛れ嘘という文字を私が毛筆で書き、続いて子供達にも毛筆で書かせた。

これは私が習字準初段、と言う事とは関係ない(笑)。

さて明日。どう言う答えが出るのだろうか?

嘘を言ってはいけない理由は、と言う問いには、100も200も答えや意味があるだろう。

だから各々の答えを否定せず、一緒に考えて生きたい。

私は誰か何と言おうと、子供に「無理だ」と言わない。

この世に無理なんか無いからだ。



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