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嘘が無い事が愛の証明とは思わないけれど

嘘が無い事が愛の証明とは思わないけれど

「アジサイって何かモザイクみたいじゃない?」

買い物の帰り道、古ぼけた理容室の前に植えられたアジサイを見た彼が不意にそう言った。私はまだ蕾のアジサイよりも動脈と静脈を模したクルクルに目を奪われていたので、言葉の意味が分からないどころか、言葉そのものを聞き逃すところだった。

「モザイク?」
「うん、アジサイってさおんなじ形の小さい花がいっぱい咲いてぎゅっと集まってるじゃん。そんで色も同じかたまり

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弔いの花となり、墓標となり

弔いの花となり、墓標となり

それは私が八つの時であった。

東京は日に日に戦火に見舞われる事が多くなり、父は招集され、商家を構える我が家もとうとう疎開せざるを得なくなった。
幼い弟妹は母と共に母方の実家へ、そして長兄の私だけが父方の叔母の家に疎開する事となった。
食い扶持が増えるから良い顔をされないのではないかという心配は杞憂であった。叔母の家は山間にあり、農作物は豊富にあった。白米も東京では目にしない程の量の備蓄があった。

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風の強い日

風の強い日

今日は朝から風が強かった。

晴れていたので眠い目を擦りながら洗濯物を干したのだが、さっきからバタバタとそれらが風にはためく音がしている。
今机に向かって描いているのはどちらかと言えば気乗りしない挿絵の仕事で―私のような何とか辛うじて食い繋いでいる者が選り好みしている場合ではないのだけど―ベランダの洗濯物が気になるせいで余計に捗らない。
下絵にしてもペン入れにしても、これだという線が決まらない日が

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落雷、そして再試行

落雷、そして再試行

ゴロゴロと、空が大きく唸った。
そろそろ落ちるかな、と身構えているとカーテンの隙間が白く光って、やがて大した間を置かずにドーン、と大きな音が鳴った。その大地を揺るがす振動が全てに伝播したように、窓硝子がビリビリと震えた。
「結構近かったね」
ミートソースのスパゲティを啜りながら俺が言うと、彼女は頷いた。
「まだ今からもっと近くに落ちたりして。停電したらやだね」
「風呂入ってる時とか嫌だよなぁ、あれ

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苛々の発散とそれに要するエネルギーを天秤に掛ける

苛々の発散とそれに要するエネルギーを天秤に掛ける

鍋に湯を沸かしていると、背後に人の立つ気配がした。振り向くと夫が立っていて、ぼさぼさの髪を更に掻き乱しながら、おはようも言わずに私に問うた。
「なあ、最近夜中に俺のこと起こしたりしないよな?」
油に塗れた換気扇の立てるゴウゴウと喧しい音で聞こえないフリをしようかとも思ったが、ずっと後ろに立たれているのも面倒臭い。
「起こさないけど、何で?」
「いや、何か夜中に体揺すられたりしてる気がして、お前かな

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