嘘が無い事が愛の証明とは思わないけれど
「アジサイって何かモザイクみたいじゃない?」
買い物の帰り道、古ぼけた理容室の前に植えられたアジサイを見た彼が不意にそう言った。私はまだ蕾のアジサイよりも動脈と静脈を模したクルクルに目を奪われていたので、言葉の意味が分からないどころか、言葉そのものを聞き逃すところだった。
「モザイク?」
「うん、アジサイってさおんなじ形の小さい花がいっぱい咲いてぎゅっと集まってるじゃん。そんで色も同じかたまりでも何かちょっとずつ違ったりするじゃん、それが何かモザイクっぽいなと思って」
「はあ、なるほど」
彼は時々酷く感覚で物を言うところがあるので、私は分かったような分からないような気持ちで曖昧に返事をした。彼は同い年なのに、子供と喋っているような気分になる時がある。
「でも、アジサイにモザイクを掛けてもなんとなくすぐにアジサイだって分かりそう」
私がそう言うと、彼は一瞬考えるような顔をした後にうーん、と唸るような声を出した。
「そうかもしれない、でもアジサイにモザイクを掛けたことがないから分からないな」
「まあね」
空はどんよりと一番中途半端な色で曇っていて、気温はそんなに高くないけど湿気が凄くて何だか肌がべたついている。
彼がスーパー袋を反対の手に持ち替えて、黙ってするりと私の手を握った。私の手も彼の手も何と無くしっとりしていて、互いに吸い付くようだった。
あれは漫画で読んだのだったか、それとも2時間サスペンスドラマで観たのだったか。
アジサイの花の色は土壌の性質で変化するから根本に死体が埋まっていたら赤くなる、というのは本当なのだろうか。確か人間は弱酸性だからとか何とか言っていた気がするけど。
アジサイにモザイクを掛けてもアジサイと分かるかどうかは写真を加工すれば簡単に確かめられるけれど、こればっかりは中々確認出来そうにもない。
―――私が彼を殺してアジサイの根本に埋める事でも無ければ。
ガサガサと鳴る袋の中身をふたりして全て把握していても、握る手にこれから湿った部屋で抱き合う事を予感していても、互いに何かにモザイクを掛けるような日が来ないとも限らないのだ、と私はぼんやり思った。そのモザイクの下のものに気付いてしまった時、私が彼に愛情や執着を変わらずに持っていたなら、私は彼をアジサイの下に埋める事になるのだろうか。
もし反対に私が彼に殺されて埋められるような事があるなら、爛れた皮膚には砂糖菓子みたいなパステルカラーのアジサイの花が咲いて全てを覆って欲しい。彼が私への執着を失くしていたとしても、掘り起こされた時に醜い姿を誰にも見られたくない。女の子だから。
「今日、生姜焼きでいい?」
彼が訊いて、私は我に返った。
「うん」
そういえばアジサイの花に見えるのはガクで、本当の花は真ん中の小さい粒なのだと、私は思い出した。アジサイは小さな嘘をついて、咲くのだ。
知ってる?と彼に訊こうとして、やっぱり止めた。
アジサイのその小さな嘘を私は御守のようにして、彼が知らないならずっと黙っておこうと思った。
End.
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