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落雷、そして再試行

ゴロゴロと、空が大きく唸った。
そろそろ落ちるかな、と身構えているとカーテンの隙間が白く光って、やがて大した間を置かずにドーン、と大きな音が鳴った。その大地を揺るがす振動が全てに伝播したように、窓硝子がビリビリと震えた。
「結構近かったね」
ミートソースのスパゲティを啜りながら俺が言うと、彼女は頷いた。
「まだ今からもっと近くに落ちたりして。停電したらやだね」
「風呂入ってる時とか嫌だよなぁ、あれ。懐中電灯ってあるっけ?」
「あるよ、下駄箱の上」
ハラ、と落ちた長い茶色の髪を耳に掛け直して、彼女はスパゲティを啜った。俺はもう終わりかけだが、食べるのが遅い彼女の皿にはまだ半分以上残っている。
「昔買ったあれ、どうしたっけ?」
俺が問うと、彼女は麺をフォークに巻き付ける手を止めて視線を上げた。
「あれって?」
「ほら、停電した時とか用の、ポンって押したら灯り点くやつ」
「ポンって押すって、ボタンを?」
「違う違う、何て言うか…電気そのものがスイッチになってるって言えばいいかな?半球みたいな形で、押したらカチってなって少し沈むんだよ。それで電気を点けたり消したりするやつ」
「あったっけ?そんなの」
「あったよ。ホームセンターで買ったんじゃん、いつだか。それで俺が、これって何か早押しクイズのスイッチみたいじゃない?とか言って押しまくってたらうまく点かなくなってお前がめちゃくちゃ怒って」
「えー?私そんなことで怒んないよ」
「怒ったよ、買ったばっかなのに、って」
「そうだった?」
「そうだよ。お前雷苦手だから、いつぞや急に停電してびっくりしてお茶入ったグラス割っちゃったじゃん」
「そうだった?」
会話しながらも合間にスパゲティを啜り続けていたので俺はすっかり食べ終わったが、彼女の静かな声音に顔を上げると、彼女のスパゲティはほとんど減っていなかった。
「…ほんとに、そうだった?」
彼女はスパゲティを口に運ぶのを止めると、フォークの先で皿のミートソースをなぞった。陶器に金属が擦れる耳障りな音が微かにして、赤い脂の溜ったところに白い溝が出来た。
「え……あれ、違う?」
「残念ながら、違うね。ホームセンターでライトを買ってあなたが壊したのは、ミハルの時。グラスを割ったのは、リコの時。ついでに言うと、グラスの中身はお茶じゃなくてハイボールだったわ」
「…あ、れ…?」
「そう、残念」
彼女がにやりと、口の端を持ち上げて、キ、と強く皿を引っ掻いたのを合図のようにして、閃光と雷鳴が起こった。

チカチカする視界に彼女は静かに笑っていて、曖昧に記憶していた出来事が徐々に鮮明になる。
ライトを壊したのに怒っていたミハルは、肩にかかるミディアムヘアで、目元に少し盛り上がった黒子があるのを気にしていた。
ハイボールのグラスを割ったリコは、長い黒髪を引っ詰めてフレームの無い縁の危うい眼鏡をかけていた。

俺は一体何の咎で、このルールの分からない繰り返しをさせられているのだろう。何も思い出さずにいられたら、普通に人生がその先に続いてそして終われるのだろうか。そもそも俺はこれを生きて繰り返しているのか、もう死んでいるのか、それすらも分からない。

「一旦さようなら、頑張ってね」

暗闇の中に「彼女」の声が静かに響いた。
部屋の外ではまだ空が低く唸っている。

次の落雷で俺の視界は暗転して、そして明るくなった時にはきっと、違う「彼女」が全てを忘れた俺の前に、座っている。

End.

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