昔読んだ夏目漱石の「三四郎」だけど、全く覚えていない。面白すぎて、ひっくり返った!
夏目漱石著 「三四郎」
三四郎を再読した。
昨日、ようやく三四郎を読み終えた。1ヶ月くらい掛かったように思う。
当初写真の文庫本で読み始めたのだが、ことのほか文字が小さくて手こずった。これもパソコンの大きな文字を長い間見続けている影響のように思う。
と言うわけで、途中からFBで知ったネットの「青空文庫」に移行して読み進んだ。これがすこぶる快適で、とても楽に読むことが出来た。
この「青空文庫」には著作権が切れた書籍がふんだんにある。中島敦や萩原朔太郎とかも普通にあって楽しい。
電子書籍には、当初違和感があったのだが、こうして使ってみるといつでもどこでも嵩張らずに、いたって使いやすい。書物の手触りが好きなことには変わりはないが、ネットブックも思っていたほど違和感はない。多分視力の厳しい年配者に思いの外嬉しい。
そろそろ本題。
「三四郎」は、何となく懐かしくなり、読みやすいかなぁと思い読み始めた。大学生の頃に読んで、とても気に入り、美禰子というちょっと素敵な女性のことや、ストレイシープと言う言葉が気に入り、その当時よく使っていたように思う。
この辺りのことはよく覚えているのだが、ストーリーの中身は全く想い出せない。この頭の悪さは、生まれつきらしい。
ところが読み始めるとあまりに面白いのでびっくりした。最初に三四郎が熊本から東京まで汽車でいく場面が出てくる。東京大学の学生になるので上京する場面である。
のっけから驚いたのは、この汽車の終点は名古屋で、東京に行くにはここで一泊する必要がある。隣に座る年配の奥さんが、自分は不案内なので一緒に宿を探してくれという。三四郎も困ったもののちょっと裏寂しい通りの宿に入った。そうすると一緒の部屋に案内される。三四郎はこれでは困ると文句を言うが取り合ってくれない。
三四郎は困って、では風呂に行くと言ってその場を立つと、そのうち例の女が、着物を脱いでギィと風呂の戸を開けて中に入ってくる。三四郎は慌てて風呂から飛び出す。
なんとこちらもビックリ。漱石さんどうなっているの?
部屋に戻ると布団が一組しか敷かれていない。三四郎は慌てて、シーツを端から巻いて真ん中に仕切りを作る。ノミ除けだとか何だとかいい加減なことを言って、難を逃れようとする。
スゴイ、これにもびっくり。こんなストーリーがあったとは!ついぞ知らなかったし、全く覚えていない。
翌朝となり、ほうほうの体で難を逃れ、駅にたどり着くのであるが、ここでくだんの奥さんから言われるのだ。
「よくよくあなたは意気地の無い方ですね」
三四郎は、顔を真っ赤にして汽車に乗り込む。三四郎は、「都会は恐ろしいところだ」とため息をつく。
なんとまるでAVストーリー。全く信じられない展開にこちらも驚いた。
なぜ、こんなショッキングなシーンのことを全く覚えていないのか、合点がいかない。それもこんなに露骨に描いてしまっていいものかと、またまた驚いた。自分の中では、三四郎は青春の爽やかなイメージしかないのである。
この辺りが大学の試験問題に出たら受験生たちは、腰を抜かすと思う。
東京大学の学生になって。
東京大学に行ってからは、予想通りの展開であった。場所は、東京大学で日本の最高学府。大学の授業や先生達はつまらないという話で、これは今も昔も同じ。
好きな授業に出て、図書館に入り西洋の哲学書や文学書に読みふける。この小説の執筆時代を年表で確認すると漱石の朝日新聞時代の明治41年である。その頃には、翻訳本もたくさん出版されていたのかも知れない。しかし改めて思うのは、ここに書かれている内容もとても知的で格調が高い。
大学の研究者や教授陣、そして学生たちも出て来る。その中に女性が2人出てくる。
その一人が美禰子という美人で知的な良家の女性である。ここの展開はなかなか面白くて予想通りであった。
大学近くの公園の池で初めて見てから、だんだんと言葉を交わすことが増えて来る。ある日、三四郎が知り合いの引っ越しに呼ばれて、行ってみるとそこに美禰子さんがいて言葉を交わすことになる。
三四郎の恋が始まる。
急速に近づいてくる。そこから三四郎の恋が始まり、苦悩が始まる。
彼女は、新しいタイプの女性には違いない。はっきりとものを言うし、恋愛にも積極的なように移る。周りの男性たちをよそに、振り回されてしまう感じ。コケティシュな感じか?
正直この女性の姿に、全く古さを感じないのである。おそらく漱石先生も知的で上品で若さのある素敵な女性、ちょっと謎めいた、先生の理想の女性を書きたかったのだと思う。
小説には、こうした魅力的な主人公が出て来なければ、読み進められない。
三四郎は、そんな思わせぶりな彼女に振り回されるのだが、彼女は三四郎を前にして、私たちは「ストレイシープ(迷える子羊)」と言って混乱させられる。
若い男性が、美しくて品があり、知的で若干年上の女性にこんなことを言われたら、センサーが狂ってしまい制御不能に陥るのは間違いない。
漱石先生のストーリーでは、彼女は一時、間違いなく三四郎に好意を持っているのだが、なぜかきちんとした背広を着た紳士に嫁がせてしまうのだ。やはり生活力のある男性に嫁ぐべき?
恋愛と結婚は別ですか?
あるいは恋愛と結婚は別?議論の分かれる所であろう。
まぁ、人生というのは、しばしばこういう展開になるのは間違いない。
しばらく振りに読んだが、大、大満足であった。
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