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歴史の小箱

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自作記事のうち、歴史に関わるもので特に読み応えのありそうなものをまとめました。
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2023年12月の記事一覧

続・邪馬台国と卑弥呼に関する私見

続・邪馬台国と卑弥呼に関する私見

中国史研究の界隈では、政治的理由から邪馬台国の位置が意図的に南へずらされているのでは、と考えられているようである。そうなると、魏志倭人伝の里程(日程)表記は信用できなくなる。ただ、伊都国以前と以後で表記が違う(伊都国以前は里程、以後は日程)ところから、魏の使節は伊都国までは行ったと考えられる。それ以前の日程は使者の報告があるのでさすがに改竄できないだろうし、以降の日程も無理に引き伸ばしたり縮めたり

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天皇の実在はどこまで確かと言えるか

天皇の実在はどこまで確かと言えるか

日本の皇室の系譜は一体どこまでが確かなのか、考えてみよう。
手がかりになるのは継体天皇である。現状、実在が確定している最初の天皇は継体天皇と言っていい。継体天皇が生きたのは6世紀初頭。墓は大阪府高槻市の今城塚古墳が有力視されている。そこから類推すると、応神天皇以降の天皇は実在した可能性が極めて高い(ただ、顕宗〜武烈天皇は実在があやふやで、応神天皇の系譜は清寧天皇で途絶えている可能性もあると思う)。

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記紀の記述と春秋二倍暦説

記紀の記述と春秋二倍暦説

記紀(古事記と日本書紀の総称)によると、雄略天皇以前の天皇について、多くが100歳以上という人間離れした長寿だったことにされている。これはおそらく、寿命が引き伸ばされた事によるだろう。

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「四道将軍」考

「四道将軍」考

古墳の分布を見ていると、吉備に造山古墳・作山古墳、丹波(丹後)に網野銚子山古墳・神明山古墳、越に秋常山1号墳、毛野に太田天神山古墳と、その地域で隔絶した規模の前方後円墳が築かれている。これは在地豪族の墓ではなく、中央(ヤマト王権)が派遣した節度使的な人物の墓ではないかと自分は考えている。これらの古墳はだいたい4世紀後半〜5世紀に築かれているが、この時期はヤマト王権の中央集権化が一気に進んだ時期で、

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馬見古墳群、佐紀古墳群は誰の墓か

馬見古墳群、佐紀古墳群は誰の墓か

日本ではおおよそ3世紀から7世紀にかけて、古墳と呼ばれるマウンドを伴った大型の墳墓が権力者によって造営されてきた。そうした古墳はときに古墳群を形成するが、他を凌駕する規模の大和古墳群、馬見古墳群、佐紀古墳群、古市古墳群、百舌鳥古墳群を「畿内五大古墳群」と呼ぶ。このうち大和古墳群だけが古く、あとはおおよそ5世紀に盛期がある。

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継体天皇の出自について

継体天皇の出自について

今回は継体天皇の出自について書いてみる。
継体天皇は越前の出身で、北近江の息長氏や三尾君との関係が取り沙汰されているが、記紀によると応神天皇五世の孫となっている。

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