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「話を聞いているようで聞けていない人」は、無自覚に人を傷つける。

最近少し思うことがあったので、普段のnoteとは少し違うことを書いていく。

ここしばらくコロナの影響からか、仕事がうまくいかなかったり、心が病んでしまっている方のSNS投稿を目にする機会がいくつか出てきた。

本人の投稿自体は別になんとも思わないし、ストレスの分散先としての場所はむしろ必要だと思う。

だが、その投稿への「コメント」を見た時におぞましい気持ちになった。

「僕も実は同じで......」
「私は〜〜という状況で......」
「経験則ですが、そういう時は絶対にこうすべきです!」


「聞いていない」のだ。

人の話を聞いて心配しているように見えて、"自分語り"しかしていない。

さらに酷いと、人のコメント欄を自分のタイムラインと勘違いしたかのようにコメント連投する人すらいる惨憺たる状況だ。

SNSが広まって個人の発言機会は増えたが、反面で「人の話を聞くスタンス」は相対的に弱まってきてしまったのでは?と、つい勘ぐってしまうほどに話を聞いていない人が増えたように感じる。


そして、これは構造的に実際の会話でももちろん起こりうる

特に1対1で人の相談に乗る時は顕著だ。

●こちらが相談をしているはずなのに、気づけば相手の話になってしまう。

●自分の話をしても、相手の興味のある範囲/知っている話しか取り上げられない。

どうにかしたくてもどうにもこうにもならない状態のところに「あなたはこうすべき!」というド正論な解決方法を突きつけたり、一方的に経験談だけを浴びせられたりして、本人は何かアクションを起こせるだろうか?

逆に不要なストレスだけが塵のように積もっていくだけではないだろうか?


このように、こちらの話をしながらも相手の話を引き出すという「発する受信」ができている人は意外と少ない。

なぜ人は他人の話をこんなにも上手く聞けないのか、ものすごく気になってモヤモヤと考えてみた。

この問題の根元は何か?といえば、話を聞くスキルの問題もあるがそこは芯を食った答えではない。

本当の原因は、

「他人への思いやりが、

"思い込み"にすり替わっていること」。

つまり、コメントをしたり相談に乗っている本人としては、これを「思いやり」だと信じて疑わないし、疑えないのだ。


自分も過去にうつ病を経験したことがあるので分かるが、これは相談する側の心情として相当きつい。

「この人は心配して自分へ言ってくれているのだな」という純粋無垢な優しさと、「それってあなたの話であって、何か実際にできる具体的なアドバイスや示唆はある?」という身勝手さへの苛立ちが同時に頭をついよぎる。

まさに、"思いやり"が"思い込み"に変わってしまう瞬間とはこうしたボタンの掛け違いから生まれてしまうのだ。

もちろん思いやり自体は悪くないのだから、こちらから責める道理は無い。

かといって、上記の葛藤を直接本人に言えるかというと言える訳もないので返事はもちろんしづらい。

そこから返事が遅くなってしまう自分に対してストレスがさらに積み重なり、余計に精神は夜の底に溜まる澱のようになってしまう。


この負のループを引き起こすからこそ、「人の話を聞けないこと」は非常に難しい問題かつ、誰もが心に留めなければならない問題だ。

油断すると誰もがすぐに「話を聞いていない存在」になってしまうので、常に気をつけなければならない。

※この時点で「じゃあそもそもSNSに投稿したり、人に相談しなければいいのでは?」と思う方もいるだろうが、それは強者の論理だ。
強いストレスはどこかへの吐き出し口と共感を求める上、本人の精神状態を考えるとその緊急性はどうしても逼迫してしまう。


では、僕らは一体どのようにこの"思い込み"を抜きにして、話を聞く側に回ればいいのだろうか?

個人的な経験則だが、企業ブランドや組織カルチャーについて考える仕事柄も相まって、毎日のように人の思想や悩み、その根底で自我形成をしている事象について対話を繰り返す日々の中で見えてきたものがある。

シンプルだが、この2つが自分なりの答えだ。

1."事実"に共感し、"感情"には共感しない

2.経験談を語る時は「問題構造を示す時」


1."事実"に共感し、"感情"には共感しない

大人になると、人間は価値観がより強く・深くなっていく。

それがゆえに相手の発言に対して「(自分の価値観的に)良い・悪い」という判断を無意識でしてしまい、ついその思考がちょっとした言葉選びや声色に滲んでしまう。

そうすると「この人は自分と同じ思考回路だから言わずとも分かってくれるだろう」という甘えに繋がったり、「この人は自分と違うから何を言っても分かってもらえないのでは?」という不信に繋がってしまうので、話を聞く上では大きな障害になりうる......というのが問題の構造だ。

(※自分で「自分の感情」と「その原因」をメタ認知しないと、人の感情の歪みは治らないので、甘えが過ぎると「あなたは分かってくれるでしょ?」と自分の頭で考えなくなってしまうため注意しなければならない)


これを防ぐには相手が何かを口にした時、その人の感情への共感ではなく、相手が経験した事実だけに共感を示すことが重要になる。

それはつまり、「相手の話に"自分の善悪の価値基準"を押し付けないこと」と言い換えられる。

少し想像がしづらいと思うので、具体例で説明していこう。

文字にするとどうしても平べったくなるが、こうした言葉がそれに当たる。

「なるほど、そういうことがあったからこういう気持ちなのか!」
「それって具体的にどういうこと?」

「良いですね」「イケてないですね」といった感情に寄り添う言葉を使わず、いかに事実だけに目を向けられるかどうかが大切だ。


しかし、ただ言葉を口にするだけではいけないことも忘れてはならない。

というのも、「あ、この人は"傾聴の技術"で聞いているな」と勘づかせてしまったら最後、人によっては内心を気づかせまいとする防衛本能が強く働いてしまう。

結果、その人から深い話が引き出しにくくなってしまうので注意してほしい。

(「人は営業されるのが嫌いな生き物だ」と同じ理由である)


2.経験談を語る時は、「問題構造を示す時」

2つ目は、ついつい共感やアドバイスをしたくて自分の経験談ばかりを話してしまうパターンだ。

相手から聞かれた場合は別だが、自分から話すと会話の最後で「それはあなただからできたことでは?」「むしろできない自分がおかしいの?」と、後々で相談した側が自分をさらに責めることに繋がってしまいかねない。
(※精神状態がそこまで悪くない場合はこの限りではない)

自分の話をする時は誰しも気分はいいが、その時間はあなたの気分を良くする時間でなく「相手の悩みを解決する時間」であることをまず念頭に置く必要がある。

特に相談に乗っている側は「相談されている」というちょっとした無意識の優越感から、自分の話をし過ぎてしまうので注意してほしい。


ただ、一概に経験談を話すことが悪いこととは言い切れない。

思いやりを思い込みにしないようにするには「その経験談を構造化した時にどこがポイントなのか?」を示すことだ。

「ここが構造的に一緒だと思うけど、〇〇さんの問題の根本もこの話と似ている?」などと声をかけて相手に内省を促すと、一方的な押し付けは少なくなる。
(「構造的に〜」とそのまま言うのはナンセンスなので、言い回しを相手に合わせて変化させるのは前提。)

このように、いかに自分の話を手短に切り上げて相手の話に戻すのか?を意識して話すようにすると、経験談をフックに相手の深層をより聞き出すことができる。


「話すこと」も、聞くことの一部

自分は仕事でもプライベートも境目なく人の話をずっと聞き続ける人間で、かつ話を聞いてもらえない苦しみを身をもって知っているからこそ、今回このnoteを書いた。

話をする、チャットをする、SNSで反応する。

コミュニケーションの幅が広がったとしても、どんな場面においても「話をするスタンス」すらもが話を聞くことの一部であることを僕らは忘れてはいけない。

話をすることで話を引き出すという言わば二律背反なこの「発する受信」は、冒頭のSNSのコメント問題に見るように、これからその意味合いをより高めていくと思われる。

オンラインの気軽なコミュニケーションに光が射せば、影になる1:1の深い対話の輪郭もよりくっきりと存在感を増していく。

このご時世だからこそ、これまで以上に少しでも「話を聞ける人」が増えて、ちょっぴりとでも気が楽になる人が出てくればそれに越したことはない。


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