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米津玄師と、僕と、社会復帰。

米津玄師の故郷である徳島県で、このnoteを書き始めている。

「次は米津玄師についてnoteを書こう」と意気込んでいた矢先、たまたま徳島県への出張が決まった。

これまで欅坂46ELLEGARDENBUMP OF CHICKENKing Gnuと「音楽×ブランディング」の視点でnoteを書いてきた。

どれもこれも本気で好きなアーティストを「ブランディング」という眼差しで、ヒットの法則や組織崩壊の気づきを分析・解釈してきた。


が、今回の米津玄師に関しては、そうした分析や解釈では済まない。


いつもと違い、非常に個人的で、エゴイスティックで、小っ恥ずかしさも滲んで仕方のない文章になると思う。

僕は、彼がいなかったら社会復帰していなかった。

それくらい、個人的な思い入れの強いアーティストだ。

今回は、いつもと違った視点で筆を取っていきたい。


◆「1人の暗くて狭い部屋」から、外の世界へ開いていった天才クリエイター

米津玄師は、徳島県出身で1991年生まれの28歳のマルチクリエイターだ。

シンガーソングライターと称されることも多いが、イラスト・MV制作・ダンスと多種多様な表現方法を持つ。

サウンドはBUMP OF CHICKENやASIAN KUNG-FU GENERATIONなど、邦楽ロックがルーツになっているものの、その音楽性は既存の枠に捉われない。
アルバムを追うごとにエレクトロや民謡など、新しい音楽性をプラスして進化していっている。

特にここ2〜3年の楽曲は「誰の耳にも馴染みやすい歌謡曲メロディ」が多い。代表曲『Lemon』や『パプリカ』などが非常に幅広い層に聴かれているのは、前回のKing Gnuの『白日』の楽曲考察と同じ構造だ。

そして歌詞に関しては、異様なまでに聴き手と曲との間に"近さ"を感じさせる。

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(画像出典:音楽ナタリー)


彼のファーストキャリアは、ニコニコ動画発のボーカロイドプロデューサー(通称:ボカロP)だ。

当時18歳前後だったにもかかわらず、『マトリョシカ』『パンダヒーロー』といった楽曲でニコニコ動画音楽シーンを湧かせた。

「本当に20歳前後の若者が作った曲なのか?」と疑ってしまうほどのメロディーセンスとリズムの複雑性、歌詞の奥深さは、この頃すでに備わっていた。

この頃から楽曲だけでなく、イラスト・MV制作など幅広いクリエイターとしての才能も遺憾なく発揮しているのが、さらに彼の才能の奥行きを感じさせている。

2012年、21歳になる年に「米津玄師」の本名名義で、ネットから現実へ自分の声と肉体を連れ、リアルな場としての音楽シーンへやってきた。

※彼は自分のその姿を”移民”を意味する「YANKEE」という英単語になぞらえて、2ndアルバムのタイトルとしている。

ただ、自分の見た目や姿・形が好きではない米津は、デビュー初期にひたすら「自分の顔が映らない・分かりにくい」ようなアーティスト写真やMVで自分を演出している。

実は、この「自分への嫌悪感」こそが彼の作品の魅力の原点となっているのだ。

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(画像出典:rockin'on.com)


本名名義で出された1stアルバム『diorama』は、本人も口にしているように米津玄師の色が非常に強く出たエゴ的なアルバムだった(それでもオリコン6位を記録している時点で十分凄いのだが……)。

歌詞は内省的で暗いものが多く、例えるなら「暗くて狭い部屋に1人でいる」ようなアルバムだった。

『ゴーゴー幽霊船』『vivi』など、不協和音的に聴こえるメロディセンスも中毒的だったが、やはり一般大衆には複雑性が高かったのだろう。

*本人曰く「オリコン1位を取れなかったことは相当衝撃だった」という。

(*参照:ORICON MUSIC♪)

インタビューでも、本人はデビュー時をこう振り返っている。

「正直に言うと、前作『diorama』のときは、聴く人のことはあまり考えていなかったし、自分の思う美しさは、万人に共有してもらえるものだと勝手に思い込んでいたんです。しかも自分のなかでの美学しか信じてなくて、他人の意見や感性をまったく寄せ付けなかったから、ガラパゴス状態もいいとこだった。今の自分に欠けているのは、人と一緒に同じ方向を向いて、同じ熱量を持って物作りをすることだったと気付きました
(引用・抜粋:ORICON MUSIC♪)


このような背景だったこともあり、2ndアルバムから最新曲にかけては「より大衆に」「聴いている人が少しでも前向きになるように」という意識が生まれ、歌詞のメッセージ性を始め楽曲の方向性が少しずつ変わっていった。

また、「(自分のコミュニケーション能力の問題で)人と音楽を作ることができなかった」と語っていた彼が、近年は菅田将暉や池田エライザなど、他アーティストとのコラボや楽曲提供を頻繁に行なっている。

米津自身の*「確固たる国民的なアイコンになりたい」「普遍的な楽曲をつくりたい」というビジョン、実現するためのミッション感が、己の壁をも超え始めている。

それが、最近の米津玄師の音楽性を築いていると言っても過言ではない。

(*参照:cakes)


◆米津玄師が"光"を歌うのは、「異常なまでの絶望」があるから

米津玄師という存在は、なぜここまで共感を生み続けるのか?

耳に残るサウンドの良さももちろんあるが、それは表面的な理解に過ぎない。

彼の曲の良さの秘密は、歌詞・楽曲・MVなど、強い原体験から来る「絶望と光」が全てのアウトプットに一気通貫されていることだ。

メロディや歌詞、イラスト・映像制作のセンス、果ては社会文脈の汲み取り方に至るまで。

全ての能力パラメーターが異様なほど高いのだが、これは彼の原体験がベースにあるからこそである。


では、「米津玄師の原体験」とは何なのか?

彼の2万字インタビューや過去のブログ、ネットに落ちているありとあらゆるインタビューに目を通してきたが、端的にまとめるとするならば、彼はおそらく想像を絶するほどに「他人と分かり合えない期間が長かった」のが最大の原体験だったと思われる(その分、今は人や社会の心の変化を敏感に汲み取ることが出来ているのだろう)。


彼は*生まれた瞬間から4,500gと身体が大きく、この時点から「普通」という枠から外れていたと語っている

幼稚園の頃に、ケガをして唇を縫い、みんなの前に帰ってきた時に、まるで化け物のように見られた感覚を持ったという。

その経験から「自分は普通ではなくなってしまった」と感じ、そのままの感覚で青春期へと成長していく。

(参照:HIGHSNOBIETY.JP)

中高時代、彼は「どうしてみんなは空気を読めたり、暗黙のルールを理解してコミュニケーションを取れているのか分からない」と真剣に悩んでいたという(おそらく、彼が高機能自閉症であったからだと推測する)。

友人たちとバンドを組もうにも「メンバーは、自分の楽曲の良さが分からない」と判断すると、議論する気も失せてしまい、集団で何かをつくることが難しいことを自覚していたらしい。


その後、*うつ病にもなっていたことをカミングアウトしている。

ストイック且つ感受性が豊かなゆえに、「どうして自分は、こうも人と違うのだろう」と、自分を追い込んでしまったのだろう。
(参照:REISSUE RECORDS)

*最近ではマルファン症候群の可能性があることも示唆しており、改めて「だから自分は四肢が長く背骨も曲がったような歪な肉体なのか」と腑に落ちたらしい。
(参照:HIGHSNOBIETY.JP)

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(画像出典:HIGHSNOBIETY.JP)


他にも家庭のエピソードなども含め、こうした数々の原体験は普通の人間では理解できないような「異常なほどの絶望」を醸成していったのだろう。

ラジオやインタビューで自分自身を「人生の落伍者だ」と口にすることからしても、相当な苦しみを覚えていたことは間違いない。

しかし、パンドラの箱とも言える”壮絶な原体験の積み重ね”が大きなバネとなり、それが他人への光や希望として作品に投影されている。

(この『TEENAGE RIOT』は、特に彼の思春期時代の鬱屈とした原体験をそのままダイレクトに楽曲へと昇華させているので、気になる方はぜひ歌詞と共にチェックしてみてほしい)

彼の原体験を抽象化・最大公約数化すると「普通とは違う自分への絶望」が考察できるのは、ここまで述べてきた。

そこから市場を見ていくと「中高生などの若者やネット民の共感」を呼ぶ火種が、こうした具体的な輪郭を持っていることに気づく。


普通になりたいけれど、なれない自分。

クラスで孤立して、浮いてしまう自分。

周囲に対して、建前で付き合っている自分。


学校や家庭などの中で、誰もが心のどこかで感じる孤独感や、スクールカースト的に感じる疎外感。

「誰にも言えない心の柔らかく繊細な部分」を最大公約数的に歌い、メロディやMVにまで込めているのが、彼の生み出す「巨大な共感」の秘密なのだ。

スクールカースト

(画像参照:スクールカースト)

絶望しているがゆえに、他のアーティストが表現できない「心の弱さや絶望への共感」を全ての作品ににじませている。

これこそが、米津玄師の独自ブランドとも言い換えられる。ビジネス的に言うなら「コアバリュー」だ。

そして、その強みを各種タイアップ曲や、紅白出場などのメディア露出のプロモーション戦略と嚙み合わせることで、新たなファンを獲得し続けている。

この一連の流れが、米津玄師を国民的アーティストまで引っ張り上げた構造と言えよう。


では、具体的に「米津玄師ブランドが、ファンに対してどのように刺さっているのだろうか?」。

これは、筆者であるヤマグチ自身の例を持って述べていこうと思う。

原体験をさらけ出すので小っ恥ずかしい部分もあるが、「米津玄師というブランドが、ターゲットの深いところに届く一例として学びにしていただく」方が個人的には嬉しいので、赤裸々に書いていこうと思う。


◆"絶望が絶望に寄り添ってくれた"から、僕は社会に戻れた

僕は、米津玄師と同様「うつ病」の経験者だ。

母が15歳の時に急逝してから、父は母の代わりに家事をこなしながら働きつつ、息子の僕に「中高生の時期は大事だから、やりたいことは何でもやりな」と伝えてくれた。

2つの部活動に予備校通い、充実した時間を過ごさせてもらった。


......のだが、当の僕はその時、内心でこう感じていた。


「これだけ好きなことをさせてもらっているのに結果を出せないのなら、生きている価値を出せていない。命をくれ、懸命に育ててくれた両親に顔向けできない。」


ここから僕は、いわゆる「真面目でいい子な優等生」のマスクを長年被り続け、それがいつしか無意識下で自分のアイデンティティとなっていった。

しかし、社会人になってからこの「真面目さ」が災いし、とあることをきっかけにうつ病を患ってしまったのだ。

いま考えても恐ろしいのだが、その時の僕は、それこそ死ぬ気で手塩にかけて自分を育ててくれた父に対し、こんな言葉を口にしてしまっていた。



「せっかく育ててもらったのに申し訳ないんだけれど、普通に生きられないオレは、死んだ方がいいのかな?」



父が泣いたのを見たのは、母親が亡くなった時だけだったので、これが2回目だった。


ひたすらに鬱屈としていたこの時期、真面目さが抜けない僕は「どうしたらうつ病から脱せられるのだろうか?」と、うつ病を克服して今も活躍しているロールモデルのような著名人をひたすら探していた。

その時に、上述の米津玄師の過去に触れることとなったのだ。

そこから、約3ヶ月間、彼の全楽曲の歌詞とメロディ、MVの意味を徹底的に考察した。

先ほどの章で記載した米津玄師の過去以上に詳細な彼の過去や、彼のインタビューやラジオでの言葉にも全て触れ、ありとあらゆる彼の1次情報に当たっていった。

そして、そこから分かったことは「米津玄師は、絶望に絶望を重ねたからこそ、それを反転させて大きな光に転換している」という事実だった。


その具体例として、楽曲『WOODEN DOLL』のCメロを紹介したい。

「人生で1番影響を受けた歌詞は何か?」と言われたら「この歌詞だ」と即答できる、個人的に大変救われた言葉である。

あなたが思うほどあなたは悪くない 誰かのせいってこともきっとある
痛みを呪うのをやめろとは言わないよ それはもうあなたの一部だろ
でもね、失くしたものにしか目を向けてないけど
誰かがくれたもの数えたことある?
忘れてしまったなら 無理にでも思い出して
じゃないと僕は悲しいや
(出典: WOODEN DOLL 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)


こんなにも「心を串刺しにしつつ、後ろから支えてくれる歌詞」に、僕は未だ出会えていない。

実はこの歌詞、「元々、もっと鋭利な言葉で構成されていたところをあえて変えた」と米津さんはインタビューで口にしている。

最初はもうちょっと辛らつな言葉が多かったんですけど。相手の急所を一突きするような。でもそれじゃダメだなと思って、こういう形になりました。
(引用・抜粋:M-ON!MUSIC)

「相手の急所を一突きにする」という*プロダクトアウト的思考だった彼が、1stアルバムで感じた感情から「歌詞を"肯定"に変えた」ことは、マーケットインとの共存にも通ずるもので、ビジネス視点で見ても非常に学びの深いものとなっている。

もし、この歌詞が「絶望」のままだったらと思うとゾッとする。下手したら、僕は未だに社会と接続点を持てずに鬱屈としていたかもしれない。

・プロダクトアウト・・・提供側からの発想で商品開発・生産・販売といった活動を行うこと(自分のエゴを表現する)

・マーケットイン
・・・市場や購買者という買い手の立場に立って、買い手が必要とするものを提供していこうとすること(市場のニーズに合わせる)
(引用・一部加筆:日本総研)


このような作品解釈の繰り返しから、「自分も彼同様、"うつ病になったからこそ"に捉え直して活動することができれば良いのでは?」と思い、そこから「なぜ?」を深く考えるブランディングの仕事に出会え、社会復帰を果たすことができた。

※うつ病の数ヶ月間、毎日「なぜ自分は生きているんだろう?」と考えていた経験があったからこそ、「なぜこの企業は社会に存在するのか?」を言語化するブランディングの仕事に活きていった。


「"普遍性"の編集」が、さらなる共感を生む

改めて、「米津玄師が、なぜ共感を呼びながら市場で売れているのか」をまとめていく。

シンプルにいえば、前回のKing Gnuの記事などで語ったように、「自分のエゴを土台にしながら、大衆に届くように編集できている」のが最大の理由だ。

ビジネス的に言えば「コーポレートブランド(=企業哲学)を元にして、サービスや組織作りを行ない、市場にしっかり良さを分かってもらえるようプロモーションできている」ような状態だ。

(例えばAppleだと、このようなイメージになる)

スクリーンショット 2019-11-30 2.35.58


1番のヒット曲である『Lemon』でも、やはりこの構造は変わらない。

本人曰く「*あなたの死がただただ悲しいという思いを曲にした」と、一見するとプロダクトアウト的に作ったように見えるが、実はそうではない。

メロディやMVにはマーケットイン的要素もしっかり入っているのだ。

(*参照:ナタリーミュージック)

「どの辺りがマーケットインなのか?」について、書き出すとまた前回の記事以上(11,500文字以上)になってしまうので、下記の図で説明する。

スクリーンショット 2019-11-30 11.26.21


このように、自身の原体験をそのまま相手に伝えるのではなく、「どんな人でも解釈できる余白を残す"編集力"」が、彼の原体験の強みを最大化させ、「米津玄師といえば心地良いメロディに心に響く歌詞を載せるアーティスト」としてのブランドを確立させている。

この「編集力」こそが、米津玄師の楽曲の共感性を増幅させている秘密と言えよう。

「編集力」の詳細については、米津玄師が最近よくインタビューで口にする「普遍性」について考察していくと、そのヒントが垣間見えてくる。

ーー米津さんの考える「普遍的な言葉と音」とは。
米津:みんなが知っていることだけで音楽が作れたら、それはすごく強いことだと思ったんです。
〜中略〜
……自分だけの文脈とか、自分が良いと思うこととか、自分がそれまで見て聞いてきた情報や知識というものは、必ずしもみんなが共有しているものではないわけですよね。自分にとって当たり前のことも、他人にしてみれば当たり前なことでもない。かつてのように、自分のことしか興味がないというような状態で音楽を作り続けたら、どんどん“袋小路“にはまり込んでいくような感覚があり、このままなら死ぬしかないと考えるようになってしまいました。だから全うな人間として生きていくためには、それしか道が残っていなかったんです。
(*参照・引用・抜粋:Real Sound)


前回のKing Gnu然り「表現したいもの(エゴ・哲学)」を土台に持ちながら、それを「いかに市場に伝えるか」という"二律背反"を共存させる編集の大切さを、国内の才能溢れるアーティストたちは深く理解している。

・言いたいことだけ言っていたら、売れない。

・売れ線ばかり作っていたら、差別化できない。

普遍的なアーティストとは、こうした矛盾するものを共存させる器をつくれる人のことを指すのだろう。


◆「その日の前」に、米津玄師を1度聴いてほしい

米津玄師の魅力とその秘密、それがどうターゲットに届くのかについて言語化してきた。

最後くらい綺麗にまとめようと思ったが、正直なところ上手くまとめられない。

きっと楽曲やアーティストのブランド分析をもっと最後に書けば、それはそれで今までのnoteのように、またきっと「先週一番読まれた記事の1つです」とか何か賞や評判を得られるのだろう。

でも、今回はどうしても結びの言葉は、そこではないのだ。


そんな中ででも、ただ1つ最後に言いたいことは、自分とは背景が違うにせよ、上手く社会に馴染めなかったり、自分の思いを上手く周りに伝えられない人だったり、場合によっては、

「明日、学校や会社を休んでしまおうか」

「明日、線路にでも飛び込んで死んでしまおうか」

と、「その日の前」で命をすり減らして崖っぷちギリギリで片足を踏み外しながら戦っている人がいたら、一度でいいから米津玄師の楽曲に触れてみてほしいという純粋な気持ちだ。

あらゆる絶望に寄り添い、包み込む。

そんな懐の深さが、米津玄師の楽曲にはある。


SNSの良いところは、知らない誰かにも自分の言葉や思想が届くチャンスがあることだ。

ネットの海を漂って、いま苦しんでやまない誰か1人にでもこのnoteが届いてくれたのなら、それがこのnoteにとって1番の結びになると感じている。

最後の結びを、このnoteを読んでくださった全員でつくれたのであれば、これ以上のことはない。


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